名言
古今東西の言葉を、原文と出典と一緒に。
物語の題辞や、人物に言わせる一言を探しに来る場所です。全67件、すべて著作権の切れた言葉に限っています。 出典は書名と巻・章まで書き、誰の言葉か原典で確かめられないものには「伝承」「異説あり」の札を付けています(6件)。 「誰それの言葉」として広く出回っていても、確かめられなかったものは載せていません。
日本
12件
やればできる。やらなければできない、何事も。できないのは、その人がやらないからだ。
成し遂げられないのは、能力ではなく、やらないからだ。米沢藩の財政再建を成した藩主の言葉として、実行の大切さを説く歌。
働いても、働いても、私の暮らしは楽にならない。じっと手を見る。
貧しさの歌。理屈を言わず、働く手を見つめる、という動作だけで終わるところにこの歌の力がある。
流れゆく河の流れは絶えることがなく、しかも元の水ではない。
河は同じ河に見えて、水は常に入れ替わっている。人も住まいも同じで、永く留まるものは無い。無常を河と泡で示した書き出し。
あなた、死なないでください。
日露戦争に出征した弟に向けて、死ぬな、と呼びかけた詩。「親は刃をにぎらせて人を殺せとをしへしや」と、戦争そのものへの問いが続く。
月日は永遠の旅人であり、行き交う年もまた旅人である。
時間そのものが旅人である。だから人生も旅であり、旅の途中で死んだ古人も多い。自分も旅に出よう、という書き出し。
人の世の五十年は、天界の時間に比べれば、夢か幻のようなものだ。一度この世に生を受けて、滅びないものがあろうか。
人の一生は短く、天上の一日にも満たない。生まれた以上、滅びないものは無い。無常を歌いながら、それゆえに今この一戦へ、という気迫に転じる。
人生は一行のボードレールにも及ばない。
本屋の二階の梯子の上から人生を見下ろす青年の感慨。実人生より一行の詩の方が価値がある、と思ってしまう者の自画像。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
自分だけの幸福というものは無い、という賢治の信条。「われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である」と続く。
精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。
「先生」が学生時代、友人Kに向かって言った言葉。もともとはKが自分に言っていた口癖で、先生はそれをKの恋心を封じるために投げ返した。
恥の多い生涯を送って来ました。
自分の人生を「恥」の一語でくくる告白の書き出し。「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」と続く。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
理屈で動けば人とぶつかり、情に流されれば自分を失い、意地を張れば身動きがとれない。人の世はどう生きても住みにくい。だから詩が生まれ、絵が生まれる、と続く。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言われている。
人は生まれながらに平等だ、という宣言として広まった。だが原文はそこから「それなのに実際には賢愚貧富の差がある。その差は学ぶか学ばないかで生じる」と続き、学問を勧める導入になっている。
中国
11件
過ちを犯して改めない。それこそが過ちである。
人は誰でも間違える。本当の過ちは、間違えたことではなく、間違いを認めて直さないことだ。
学んで、折にふれてそれを復習する。なんと喜ばしいことではないか。
学ぶこと、学んだことを繰り返して身につけることの喜びを述べた、『論語』冒頭の一句。「友が遠くから訪ねてくる、楽しいことではないか」「人が認めてくれなくても怒らない、それこそ君子ではないか」と続く。
自分がされたくないことを、人にしてはならない。
「恕(じょ)」、つまり思いやりを一言で言い表したもの。子貢が「生涯守るべき一語は」と問うたのに対し、孔子は「恕だろう」と答えてこの言葉を続けた。
かつて荘周は、夢の中で蝶になった。ひらひらと舞う蝶で、自分が荘周であることを知らなかった。ふと目覚めると、まぎれもなく荘周だった。荘周が夢で蝶になったのか、蝶が夢で荘周になっているのか、分からない。
夢と現実、自分と他者の区別は、思うほど確かではない。物の区別を絶対視しない「斉物」の思想を、一つの寓話で示したもの。
最上の善は、水のようなものだ。
水は万物を潤しながら争わず、人の嫌う低い場所に流れていく。だから道に近い、と続く。柔らかく、低く、争わないものこそ強い、という思想。
人は意気に感じて動く。功名など、誰があらためて問題にするものか。
人が命を懸けて働くのは、相手の心意気に応えるためであって、手柄や名声のためではない。
千里の道のりも、足もとの一歩から始まる。
どんな大事業も、最初の小さな一歩から始まる。「抱えるほどの大木も毛先ほどの芽から生じ、九層の高台も一盛りの土から起こる」と続く。
桃や李は何も言わないが、その下には自然と小道ができる。
美しい花と実をつける木の下には、誰も呼ばなくても人が集まり道ができる。徳のある人のもとには、宣伝しなくても人が集まる。
知っている者は、好む者にかなわない。好む者は、楽しむ者にかなわない。
知識として知っている段階、好んで求める段階、その中で楽しんでいる段階。上に行くほど強い。
敵を知り、自分を知れば、百度戦っても危うくない。
勝敗は戦う前に決まっている。「敵を知らず自分を知れば、一勝一敗。敵も自分も知らなければ、戦うたびに危うい」と続く。
民が最も貴く、国家がそれに次ぎ、君主は軽い。
国は民のためにある。君主が民を苦しめるなら、君主を替えてよい、という革命思想につながる言葉。後世の権力者に長く嫌われた。
ギリシア・ローマ
12件
一日を摘め。明日をあてにするな。
今日という日を果実のように摘み取れ、という勧め。刹那的に遊べという意味ではなく、明日が来る保証は無いのだから今日を確かに生きよ、という節度のある言葉。
我々に与えられた時間が少ないのではない。我々が多くを失っているのだ。
人生が短いと嘆く人は多いが、実際には浪費しているだけだ、という指摘。時間を意識して使えば、人生は長い。
吟味されない人生は、人にとって生きるに値しない。
自分の生き方を問い直さずに過ごす人生には、人間らしい価値が無い、という宣言。死刑を避けるために哲学をやめると誓えば助かる場面で、それを拒む理由として語られた。
人を動揺させるのは物事そのものではなく、物事についての考えである。
死そのものは恐ろしくない。死を恐ろしいと思う考えが恐ろしいのだ、と続く。自分の力の及ぶのは「考え」の側だけだ、というストア派の核心。
人間は、生まれつき、国家(ポリス)をなす動物である。
人間は共同体の中でしか人間らしく生きられない、という人間観。共同体なしに生きられる者は「獣か神か」だと続く。
人間は万物の尺度である。あるものについてはあるということの、あらぬものについてはあらぬということの。
物事がどうあるかは、それを見る人間ごとに決まる、という相対主義の宣言。同じ風が一人には寒く一人には暖かいなら、風そのものに寒暖は無い、と続く。
人生は短く、術は長い。
技術(医術)を身につけるには長い時間が要るのに、人の一生は短い、という嘆きであり戒め。「機会は逃げやすく、経験はあてにならず、判断は難しい」と続く。後世には「芸術は永く、人生は短し」と読み替えられた。
夜明けに起きるのが辛いときは、こう思え。私は人間の仕事をするために起きるのだ。
皇帝であっても朝は辛い。だが人間として生まれた以上、人間のなすべきことをするために起きる、と自分に言い聞かせる言葉。
汝自身を知れ。
自分の限界と分際を知れ、という戒め。神の前で人間は有限である、という意味が最初にあり、のちに「自分の内面を吟味せよ」という自己認識の勧めとして読まれるようになった。
万物は流転する。
世界は静止した実体ではなく、絶え間ない変化そのものである、という世界観。「同じ川に二度入れない」は、川も自分も一瞬ごとに別のものになっているという意味。
来た、見た、勝った。
戦いがあまりに速く片付いたことを、三つの動詞だけで誇った言葉。簡潔さそのものが自慢になっている。
賽は投げられた。
もう後戻りはできない、という決断の言葉。賭けの賽を振ってしまった以上、あとは出た目を受け入れるしかない。
ヨーロッパ
18件
ここに入る者は、すべての希望を捨てよ。
地獄の門に刻まれた銘文の最終行。門は「正義」と「愛」によって造られたと語り、その上で希望を捨てよと命じる。
この世界はすべて舞台で、男も女もみな役者にすぎない。
人は登場し、退場し、その間に七つの年齢を演じる、と続く。人生を演劇にたとえた最も有名な台詞。
第一幕で壁に銃が掛かっているなら、最後の幕でそれは発砲されなければならない。さもなければ、そこに掛けてはいけない。
物語に置いたものは、必ず使え。使わないものは置くな。伏線と回収の原則を、一丁の銃で言い表した作劇の鉄則。
それはもっともだ。だが、我々は我々の庭を耕さねばならない。
世界のすべては最善だ、と説く哲学者に対して、あらゆる災難を経た主人公が答える最後の言葉。大きな理屈より、目の前の仕事を。
我々はみな溝の中にいる。だが、そのうちの何人かは、星を見上げている。
人はみな泥の中にいる。それでも上を見る者と見ない者がいる。皮肉屋の台詞として書かれたが、希望の言葉として引かれることが多い。
それについて考えれば考えるほど、常に新しく、増していく感嘆と畏敬の念で心を満たすものが二つある。我が上なる星空と、我が内なる道徳法則である。
外には無限の宇宙、内には道徳の法則。人間はその二つの間に立つ小さな存在でありながら、道徳法則によって無限に高められる。
私は考える。ゆえに私は在る。
すべてを疑っても、疑っている自分がいることだけは疑えない。近代哲学の出発点。
幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。
幸福には一つの形しかないが、不幸には無数の形がある。だから小説は不幸を書く、という宣言にもなっている。
私は何を知っているだろうか。
断定ではなく問いの形で懐疑を表した言葉。モンテーニュは「私は知らない」と言い切ることさえ断定になると考え、問いにした。
私を殺さないものは、私をより強くする。
苦難は人を鍛える、という意味で広まった。ただしニーチェ自身は病と孤独の中でこれを書いており、強がりとしても読める。
心で見なければ、ものごとはよく見えない。大切なものは、目に見えない。
狐が王子に教える秘密。「君がバラのために使った時間が、バラを大切なものにしたのだ」と続く。
神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。
神を殺したのは無神論者ではなく、神を信じなくなった近代人自身だ。だが人々はまだそのことの重さに気づいていない、と狂人は嘆く。勝利宣言ではなく、喪失の告知。
人は努力するかぎり、迷うものだ。
迷いは努力の証である。神はファウストの魂を賭けるメフィストフェレスに、こう答えて賭けを受ける。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものだ。だが、それは考える葦である。
宇宙は人間を一滴の水で殺せる。だが人間は自分が死ぬことを知っており、宇宙はそれを知らない。だから人間の尊厳は考えることにある、と続く。
人生は後ろ向きにしか理解できない。だが、前向きに生きなければならない。
意味は振り返ったときにしか分からない。だが振り返る暇は無く、人は分からないまま前へ進むしかない。
生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。
生きて苦しみに耐えるべきか、死んで終わらせるべきか。だが死の先に何があるか分からないから、人は決断できない、と独白は続く。
本は、我々の中の凍った海を砕く斧でなければならない。
読んで幸福になるだけの本なら要らない。噛みつき、刺す本だけを読むべきだ、と手紙は言う。文学は慰めではなく、凍りついた内面を割る道具である。
あなたの心の中の、まだ解決されていないすべてのものに対して忍耐を持ち、問いそのものを、閉ざされた部屋のように、見知らぬ言葉で書かれた本のように、愛してみてください。
答えを急ぐな。今は答えを生きることができないのだから、問いを生きよ。そうすれば、いつか答えの中に入っていることに気づく、と続く。
アメリカ
7件
この世で確かだと言えるものは、死と税金のほかに無い。
新しい憲法は長持ちしそうだが、確かなものは死と税金だけだ、という皮肉。
偉大であるとは、誤解されることである。
一貫性にこだわるな、昨日の自分と矛盾することを恐れるな、という文脈の中の言葉。誤解されることは偉大さの証ではなく、偉大さに伴う代償。
「希望」は羽根を持つもの、魂にとまって、言葉のない歌を歌い、決してやめない。
希望を小鳥にたとえ、嵐の中でも歌い続け、しかも一粒のパン屑さえ求めない、と歌う。
私の死の報道は、誇張である。
誤報を怒らず、一言のユーモアで返した機知。
私は自分と矛盾するだろうか。よろしい、では私は自分と矛盾する。私は大きい、私は多くのものを含んでいる。
一貫していなくてよい。人は矛盾を抱えるほど大きい。自己肯定の詩の頂点。
人民の、人民による、人民のための政治を、この地上から消え去らせてはならない。
民主政治の定義として引かれる一句。戦死者の墓地の献納式で、二分ほどの短い演説の最後に置かれた。
大多数の人は、静かな絶望の人生を送っている。
人々は諦めを分別と呼び、絶望を静かに抱えて生きている。ソローはその生活から降りて、森の湖畔に小屋を建てた。
聖典
7件
この世において、怨みは怨みによって決して静まらない。怨みを捨てることによって静まる。これは永遠の真理である。
復讐は復讐を呼ぶ。怨みの連鎖を断てるのは、怨まないことだけだ。
求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門を叩きなさい、そうすれば開かれる。
祈りは聞かれる、という約束。三つの動詞(求める・探す・叩く)の畳みかけが、この言葉の力。
空の空。空の空、すべては空である。
すべては息のようにはかない。太陽の下に新しいものは無い、と続く。聖書の中で最も無常観の強い書。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
世界は言葉から始まった。書くこと、名づけることが世界を作る、という思想の源泉。
形あるものは実体を持たず、実体を持たないことがそのまま形あるものである。
物には固定した本質が無く、関係の中で仮に成り立っている。だからこそ物は物としてある。
人はパンだけで生きるのではない。
食べ物だけでは人は生きられない。言葉、意味、信仰が要る。
善人でさえ極楽に往生できる。まして悪人が往生できないはずがない。
自分の力で善をなせると思う者より、自分の悪を知って仏にすがるしかない者の方が、救いに近い。悪人正機。
この棚の約束
収録するのは、著者の死後70年を過ぎた言葉と、古典・聖典だけです。訳文はfantasist.org編集部が原文から起こしています(定訳がある場合はそれに寄せています)。 「出典で確認」は、書かれた文献で本人の言葉として確かめられたもの。「伝承」は、その人の言葉として伝わるが原典で確かめられないもの。 「異説あり」は、別人の言葉とする説や後世の創作の疑いがあるものです。確かめられないことは、確かめられないと書きます。