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悪女と呼ばれた侯爵夫人は、離縁状に判を押してから本気を出す 第二話 十年分の帳面
夜のアルデール商会。弟クレイが三年分の帳面を抱えて戻ると、老番頭ゴダールは黙って、奥の長持から十年分の帳面を出してきた。アデルは灯りの下で、一冊も飛ばさずに読む。朝、弟は姉の口から自分の商会の数字を聞く。麻を村から銀貨十四枚で買い、十一枚で売っている。塩の樽は八か月、倉から動いていない。「姉上は、商売なんて」。その思い込みが、最初に崩れる。

偽聖女として追放されたので、隣国で薬屋を始めました 第二話 鉄葉の湿布
借りた釘抜きを返しに、朝のうちに鍛冶場へ行く。片腕の鍛冶屋ネイは、動かない左腕を「痛くない」と言う。嘘だ。金槌を持ち替えるとき、顔が動く。ミアは初めて「治りません」と口にする。動くようにはならない。でも、痛みは引く。鉄葉を砕いて、煮出して、熱いうちに布に広げる。そして宿の主ボルグが、約束どおり、値段の付け方を教え始める。

死に戻り花嫁は、三度目の初夜で毒杯を割る 第二話 窓を閉める
五周目。倒れる私に、夫となる男は「次は、窓だ」と言った。だから今日は、窓を閉める。杯は受け取って、飲まず、割らず、卓に置く。兄には証文の話をしない。花は捨て、香炉は消し、そして鎧戸を下ろす。鐘が二つ、三つ。四周目より長く生きている。その閉めきった部屋の中で、水をかけて消したはずの灰から、甘さが立ちのぼった。

白紙の国の帳簿係 第三話 三十人
谷の向こうの煙は、二十七人だった。名を持たない者ばかりで、全員が痩せていて、全員が何かを隠している。芋は八つ、井戸は一つ。遼は紙を一枚使って、この土地で最初の決まりを書いた。盗まない、数を偽らない、出て行くときは言う。名は書けない。書けないから、印を書いてもらう。三十人めの男は、鍋の前で泣いた。

ダンジョン対策課の窓口係 第二話 喋らない嘱託
再任用の武田照夫は、週に三日、午後から来る。ほとんど喋らない。書類の整理と、入域口の立ち会いだけをやっている。十二年前、この市で最初に穴へ入った十四人のうちの一人だった。その武田が、第七層へ入る申請を出している。目的欄は、調査。同行者、なし。退域予定の欄だけが、空いたままになっていた。

追放された毒見料理人、辺境で屋台を始めたら国が動いた件 第三話 干し肉
冬支度の季節に、宿が傷んだ肉を掴まされた。マーサは五十二年この街にいて、肉の目利きには自信がある。それでも掴まされた。軽薄な行商人ピートが荷を担いで現れ、仕入れの筋を割ってみせる。リゼは塩と煙で肉を立て直す。そしてピートが、王都で聞いた噂を一つ落としていく。舌の利く女を探している奴がいる、と。

十八の朝に前世を思い出した測量士は、動く大地に百年の線を引く 第一話 誤差
大地が年に数歩ずつ動く世界で、測量士は毎年、国境と道と井戸の位置を測り直す。ハルの谷の見習いノアは、十八の誕生日の朝に前世を思い出した。現代日本の測量技師として六十年生き、生まれた町から一度も出なかった男の記憶だった。その日の午後、ノアは師匠に測り間違いを叱られる。だが間違っていたのは、ノアの数字ではなかった。

転生したら滅びる家の三女でした ~十年後の処刑を回避します~ 第一話 二十二の朝
二十二歳の誕生日の朝、セラは前世を思い出した。日本の出版社の校正者だった二十九年と、この国の史書の翻訳を読んだ記憶。そこに、この家の末路が書いてあった。十年後の夏、アーデンハイト侯爵家は一族もろとも処刑される。武力も魔法も無い三女は、覚えていることを紙に書き出し、年号順に並べ替えた。一行目は、半年後だった。

白紙の国の帳簿係 第二話 名を預かる
追手だった獣人が、村の入口の石に座ったまま動かない。食べ物を出せば食べる。名を訊けば「団長が持っている」。名を質に入れられた者は、自分の名で約束を結べない。経理課長の井原遼は、獣人を縛っている依頼の文面から一語を見つけ、立会人のいない紙切れの約束を、初めて自分の名で結ぶ。

最弱テイマーが拾った卵は、竜でした 第一話 拾う
従魔一匹しか従えられない等外テイマーのロウは、二十六歳でギルドの札を外された。帰り道、東の岩場の石の窪みに卵が一つあった。転がっていたのではなく、置いてあった。その夜、宿の部屋で卵が割れる。出てきたのは手のひらに乗る大きさで、火も吐けず、飛べもしない。三百年前に絶えたはずの生き物だった。

追放された毒見料理人、辺境で屋台を始めたら国が動いた件 第二話 黒パン
朝、衛兵隊長ダンとともに東の製粉所へ。主のゲルトは「袋の数は合っている」と言う。数は合っている。中身が違うだけだ。四十年石臼を回してきた老ハンスが、初めて主に逆らって麦だけを挽き、リゼは混ぜ物の無い粉で黒パンを焼く。街の人が、皿の底ではなく、パンの味で嘘を知る日。夜、月に一度の荷馬車は、来なかった。

悪女と呼ばれた侯爵夫人は、離縁状に判を押してから本気を出す 第一話 判を押す
社交界で十年、悪女と呼ばれ続けたヴェルンハイム侯爵夫人アデル。その評判は、夫の家を守るために自分で育てたものだった。秋の午後、侯爵は書斎で長い言葉を選びながら離縁を切り出す。アデルは最後まで黙って聞き、聞き終えて訊いた。「それで全部ですか」。そして懐から、朱肉の乾いた古い判を出した。

偽聖女として追放されたので、隣国で薬屋を始めました 第一話 熱冷ましの根
聖女の力が無いと暴かれ、ミアは国境の外へ押し出された。もともと彼女がやっていたのは祈りではなく、祖母の手帳に書かれた薬の調合だった。三日歩いて着いた寂れた街で、宿の主が熱を出して寝込んでいる。道端に灰根が生えている。ここは王国の外で、薬は罪ではない。

死に戻り花嫁は、三度目の初夜で毒杯を割る 第一話 杯を割る
政略結婚の初夜、花嫁レナは毒杯を飲んで死ぬ。目が覚めると婚礼の朝に戻っている。二度目は寝室の花で、三度目は香炉で死んだ。四度目の朝、鐘が六つ鳴る。今日は杯を飲まない。受け取って、床に落として、割る。夫となる男が動きを止めて、言った。「……また、割ったのか」

ダンジョン対策課の窓口係 第一話 書式が違います
東雲市役所の三階、南の端にダンジョン対策課がある。職員は四人。万年係長の黒木隆之は、剣も魔法も持たない四十七歳の公務員で、できることは十二年分の申請書を覚えていることだけだ。その日、受付四十一件。差戻し六件。そして、第七層の申請が今週だけで十二件あった。去年の同じ週は、二件だった。

白紙の国の帳簿係 第一話 数を偽らぬ者
決算の帳簿が三万二千円合わない夜、経理課長の井原遼は、見知らぬ石の穀倉で目を覚ました。誰もいない廃村、机に残された古い台帳と印章。夕暮れに現れたのは、追われている若い女だった。剣も魔法も持たない男が、この世界で最初に使った武器は、一枚の紙だった。

追放された毒見料理人、辺境で屋台を始めたら国が動いた件 第一話 スープ
王の食卓に盛られた毒を防いだのに、毒を盛ったと濡れ衣を着せられ、王宮の試膳官リゼは辺境へ追放された。持ち物は包丁一本と塩の小袋、銅貨が八枚。銅貨三枚でたどり着いた街道の街グレンモアで、宿の女主人から鍋を借りて始めた屋台の一杯目が、この街の黒パンに混ざった「嘘」を見抜く。舌で嘘が分かる料理人の、成り上がりが始まる。

境界の従者 第一話 守られすぎた当主
没落しかけた子爵家に仕える従者ラウルは、病弱な若き当主イーサンのために、これまで幾度となく危険な役目を身代わりで引き受けてきた。ある日イーサンから告げられた一言が、ラウルの献身の意味を揺るがす。

境界の従者 第二話 債権者たちの影
家門を狙う債権者たちの脅威が強まる中、イーサンは自らの意志で交渉の矢面に立とうとする。止めようとするラウルとの間に、これまでなかった緊張が生まれていく。

境界の従者 第三話 盾を置く日
最後の交渉の場で、ラウルはこれまでのように身代わりになることをやめる。自己犠牲ではなく、対等な信頼として結ばれ直す主従の物語の決着編。

八月のメトロノーム
部員はたったの五人。コンクールにも出られない吹奏楽部が、それでも夏の間、体育館の裏で音を合わせ続ける。うまくいかないことばかりの毎日の中で、五人が見つけたのは勝つための理由ではなく、続けるための理由だった。

火消の梯子
江戸の片隅、小さな町火消の組に生まれ育った若者が、亡き父から纏持ちの役目を継ぐ。火事場で本当に守るべきものは何か。師匠と仲間たちに支えられながら、不器用に、しかし確かに一人前になっていく姿を描く、静かな職人の物語。

喫茶店の窓から
十年間、同じ喫茶店の同じ窓際の席に通い続けている書き手による随筆。一杯のコーヒーと共に眺め続けた窓の外の街は、少しずつ、しかし確実に姿を変えていった。物語ではなく、観察の積み重ねが街の時間を映し出す。

最後の宿題
廃校が決まった小さな島の小学校で、最後の一年を受け持つことになった四十代の教師と、たった三人の児童たち。特別なことは何も起きない、けれど確かに積み重なっていく日々を、卒業式の朝まで静かに描く。

駅のない駅
出張帰り、深夜の各駅停車に揺られていた会社員は、時刻表にないはずの駅で電車が停まったことに気づく。降りていく乗客は、二度と戻ってこない。「降りてはいけない」と自分に言い聞かせながらも、同僚が降りていくのを見て、彼は迷い始める。

辺境の鑑定士 第一話 錆びた剣の値打ち
都を追われた帳簿係カイは、ある日「万物の来歴が視える」力に目覚める。辺境の街で行き倒れかけた彼は、一軒の質屋で誰も気づかなかった錆びた剣の真価を見抜き、店主とギルド職員を驚かせる。だがその噂は、思わぬ場所へ届いていた。

辺境の鑑定士 第二話 ギルドの依頼
冒険者ギルドに連れて来られたカイは、倉庫に積まれた山のような未鑑定品の整理を任される。埃をかぶった品々を一つずつ視ていく中で、見覚えのない紋章が刻まれた一品に手が触れた瞬間、彼の脳裏に不穏な映像が流れ込む。

辺境の鑑定士 第三話 紋章の来歴
謎のメダルの来歴を辿るため、カイはギルド長ノーラと共に街の古文書庫へ向かう。断片的な映像をひとつずつ手繰り寄せていくうち、ドルムンドという街そのものの成り立ちに関わる、隠された過去が姿を現し始める。

貸家の階段
駅から十五分、坂の途中に建つ古い貸家。住む人が変わるたびに、玄関の階段の段数が増えたり減ったりするという。新しく越してきた在宅ワーカーの女が気づいたのは、その段数が、そこに暮らす人の抱える未練の数だということだった。

隣の席の交渉
営業事務の二十八歳、隣の席は寡黙な同僚。ある日を境に、付箋に一言だけ書いて渡し合う「交渉」が日課になった。休憩時間の争奪戦から始まったやり取りが、少しずつ言葉数を増やしていく。恋愛未満のオフィスラブコメ。

忘れ物の目録
私鉄の忘れ物センターに、半年間、毎月同じ日に持ち主不明の古い目録帳が届く。中身は少しずつ違う。誰が、何のために。事件性のない小さな謎を、係員が手がかりを積み重ねてたどりつく先には、静かであたたかい理由があった。

雨の日だけ開く喫茶店
十年前に別れた恋人と、雨の日だけ営業する小さな喫茶店で再会した二人。互いの人生を確かめ合うように交わす会話は、過去を蒸し返すことも、未来を急ぐこともなく、ただ雨の音の中に静かにとどまる。

グラスのアリバイ
老舗バーの常連客に窃盗の疑いがかけられた夜、バーテンダーは客の手元に残された一杯のロックグラス――氷の溶け具合という些細な証拠から、誰も傷つけずに真実を導き出す。後味のよい小さな推理譚。

風の電話ボックス
海を見下ろす丘に、電話線のつながっていない古い電話ボックスがある。受話器を上げて声を出すと、風がその声を遠くへ、時には過去へと運ぶという噂があった。喪失を抱えた青年がその扉を開ける、静かな再生の物語。

月の裏の図書館 第二話 時計と余白
地球に降りた司書AIセレネは、資料番号〇〇七三一――時計職人が書けなかった長編――を追ううち、その物語を知らないまま同じ筋書きを書き進める一人の女性と出会う。回収すべきか、見届けるべきか、判断は揺れる。

月の裏の図書館 第三話 余白に書かれた名前
資料番号〇〇七三一の回収を保留した司書AIセレネは、時計店の尚美とともに、百年越しの物語の結末に向き合う。回収か、見届けるか。二つの選択の狭間で、セレネは司書としての新しい定義を見つける。

星を売る店
路地の奥にひっそりと佇む、星を売る小さな店。店主の老人が値札をつけるのは、星そのものではなく、それを見上げた夜の記憶だった。眠れない夜を抱えた青年が扉を開けたとき、店の棚がかすかに光り始める。

月の裏の図書館 第一話 貸出期限は百年
月の裏側に、地球のあらゆる「書かれなかった物語」を収蔵する図書館がある。司書AIのセレネが管理するのは、人類が書こうとして書けなかった小説たち。ある日、百年前に貸し出されたきりの一冊の返却通知が届く。