
ダンジョン対策課の窓口係 第二話 喋らない嘱託
再任用の武田照夫は、週に三日、午後から来る。ほとんど喋らない。書類の整理と、入域口の立ち会いだけをやっている。十二年前、この市で最初に穴へ入った十四人のうちの一人だった。その武田が、第七層へ入る申請を出している。目的欄は、調査。同行者、なし。退域予定の欄だけが、空いたままになっていた。
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九月十七日(木) 曇。 受付 二十八件。 うち差戻し 三件。 備考 第七層、本日二件。今週で十四件。
武田照夫は、午後一時十分に来る。
一時ちょうどではない。一時十分だ。この十分の理由を、黒木は知らない。訊いたことがない。
嘱託職員は週に三日、午後一時十五分から五時十五分まで。武田は一時十分に来て、出勤簿に判を押し、十五分になるまで書類の棚の前に立っている。挨拶はしない。帰るときも、何も言わずに帰る。
六十三歳。
十二年前、この市で最初に穴へ入った十四人のうちの一人だ。
いまは、紙を綴じている。
「武田さん」
黒木が声をかけると、武田は手を止めた。振り返らずに、首だけ少し傾ける。それが返事だった。
「第七層の申請、拝見しました」
武田の手が、動かなくなった。
「明日ですね」
「……ああ」
声は、思ったより低くなかった。
「目的欄が、調査になっています」
「そうだ」
「調査の内容が、書かれていません」
武田は、綴じ紐を指に巻いたまま、しばらく黙っていた。
「様式に、書く欄が無い」
「無いです」
黒木は認めた。
「第七層の申請様式は、素材採取を前提に作られています。調査を選ぶと、内容を書く欄がありません」
「だろう」
「ですので、差し戻せません」
武田が、初めて振り返った。
顔に表情は無い。この人は、笑ったところも怒ったところも、黒木は見たことがない。
「差し戻したいのか」
「いいえ」
「なら、いい」
武田は、また棚のほうを向いた。
黒木は、自分の席に戻った。
戻ってから、しばらく画面を見ていた。何も開いていない画面だった。
差し戻したいわけではない。
黒木は、画面を閉じないまま、十分ほど何もしなかった。
新人の岸が、綴じ込みを間違えたのは、その日の三時過ぎだった。
「あっ」
声で分かった。
黒木は、席を立った。
岸の机の上に、紙の束が開いていた。第六層の綴りに、第七層の申請が一枚混ざっている。
「すみません、様式が似てて」
「似ています」
黒木は、混ざった一枚を抜いた。
「第六層は上部に二本線、第七層は三本線です。一枚目の見た目だけが、よく似ています」
「見落としました」
「見落とします。私も三年目まで間違えました」
岸が、顔を上げた。
「黒木さんもですか」
「はい」
「……ちょっと安心しました」
「安心しないでください」
岸の顔が、また下を向いた。
「すみません」
「間違えるのは構いません。気づかないのが困ります。いま、気づきましたね」
「はい」
「では問題ありません」
黒木は、抜いた一枚を持ったまま、岸の机の横に立った。
「綴じる順番を、決めていますか」
「……日付順です」
「日付順のあとは」
岸が、黙った。
「層です。日付、層、受付番号。この三つで、必ず一つに決まります」
黒木は、岸の机の紙の束を、三つに分けた。
「同じ日の、同じ層で、番号が飛んでいたら、抜けています。抜けているのか、そもそも無いのかを、その場で確かめてください。あとからでは分かりません」
「どうやって確かめるんですか」
「受付簿と突き合わせます。受付簿は、番号を飛ばさずに振っています」
岸は、受付簿を開いた。開いて、しばらく指で追った。
「……〇八三が、ありません」
黒木は、受付簿を覗いた。
「〇八三は、午前に取り下げがあった分です。取り下げは、綴らずに別の箱です」
「別の箱」
「棚の下から二段目、右です。取り下げも記録です。捨てません」
岸は、立ち上がって、棚の下から二段目を開けた。開けて、中を見て、戻ってきた。
「ありました」
「では、〇八三は抜けていません。抜けていない、と受付簿の余白に書いてください。次に見る人が、同じ確認をしなくて済みます」
岸は、鉛筆で書いた。書いてから、顔を上げた。
「黒木さん、これ、毎日やってるんですか」
「はい」
「何年ですか」
「十二年です」
岸は、何か言いかけて、やめた。
黒木は、抜いた一枚を第七層の綴りへ回した。
回しながら、手が止まった。
黒木は、キャビネットから今週の日別の綴りを順に出して、第七層の欄だけを数えた。
月曜三件、火曜二件、水曜五件、木曜二件。先週までの繰り越しが二件。
十四件。
黒木は、今日の二枚を机に並べた。
九月十七日受付、第七層、二件。
一件目、三十代の男。所属は市内の組合。退域予定、九月十八日午後六時。
二件目、四十代の女。無所属。退域予定、九月十八日午後六時。
また、十八日の午後六時だ。
黒木は、十四件を全部引き出して、退域予定時刻だけを紙に書き写した。
九月十八日 午後六時 十件。 九月十九日 正午 二件。 九月二十日 午後三時 一件。 (未記入) 一件。
未記入の一件が、武田の申請だった。
第七層の様式では、目的欄で調査を選んだ場合に限り、退域予定時刻を「未定」と書いてよいことになっている。未定と書いた者は、事前面談で口頭の予定を申告する。そういう運用だ。
武田の欄は、未定とも書かれていない。ただ、空いている。
黒木は、その紙を折って、手帳に挟んだ。
挟んでから、課長席へ行った。
仁科は、画面を見たまま、キーボードを打っていた。
「課長。第七層の事前面談ですが」
「うん」
「武田さんの分は、いつ取りましたか」
打つ音が、少しだけ遅くなった。
「……取ったと思うよ」
「記録が、綴りにありません」
「探しとく」
仁科は、画面から目を離さなかった。
黒木は、礼を言って、席に戻った。
探しとく、は、この課では「やらない」と同じ意味で使われることがある。いつもそうだとは限らない。
四時二十分、探索者の高橋詩織が来た。
「あの」
カウンターに座らずに、立ったまま言う。
「昨日の、あれ、通ったんですけど」
「受理しました」
「で、今日、潜って、帰ってきたんですけど」
「お疲れさまでした」
「そうじゃなくて」
詩織は、ジャケットのポケットから紙を出した。折り目が四つついている。
「これ、退域届。書き方が分かんない」
黒木は、受け取った。
退域の確認そのものは、入域口で立会人が取る。退域届は、そのあとで本人が窓口に出す事後の様式だ。A5一枚で、十二の欄がある。持ち帰った素材と、置いてきたものを、ここで初めて紙にする。
詩織の書いた紙は、六つ埋まっていた。
「六つ空いています」
「分かんなかった」
「どこがですか」
詩織は、指をさした。
「ここ。『到達層』って、いちばん深いとこでいいの? それとも最後にいた層?」
「いちばん深いところです」
「じゃあ五層」
「はい」
「で、ここ。『残置物の有無』」
「置いてきたものがあるかどうかです」
「ないです」
「では、無し、と書いてください」
「無しって書くの? 空欄じゃ駄目?」
「駄目です」
黒木は、少しだけ椅子を引いた。
「空欄は、書き忘れたのか、無かったのか、区別できません。無しと書いてあれば、無かったと分かります」
「……それ、毎回言われる」
「言っています」
「なんで通じないんだろ」
「たぶん、理由を言われていないからです」
詩織は、口を開けかけて、閉じた。それから、残りの欄を自分で埋めた。二つだけ、また空いた。
「これ、最初から教えてくれたらよかったのに」
詩織は、そう言った。
黒木は、判を押しながら、少し手が止まった。
「講習で、やっています」
「やってない」
「第五層講習の、四日目です」
「四日目、行ってない」
「行かないと、修了になりません」
「なりましたけど」
黒木は、顔を上げた。
「なりましたか」
「なった。バッジもらった」
詩織は、袖のバッジを叩いた。
「三日目の最後に、四日目は実技だけだから来なくていいって言われて」
黒木は、判を持ったまま、動かなかった。
「誰にですか」
「講師の人。名前は知らない」
「第五層講習は、市が上に足している講習です。委託先は、県内に三社あります」
「三社」
「どこで受けましたか」
詩織は、思い出そうとして、眉を寄せた。
「……駅の南のビル。四階」
黒木は、判を押した。
押してから、退域届を綴りに回して、それから、手帳を出した。
書いた。
『九月十七日。第五層講習、四日目を受けていない修了者。駅南のビル、四階。』
「なんか、まずいことですか」
「分かりません」
「分かんないのにメモするんですか」
「分からないことを、いちばんメモします」
詩織は、しばらく黙っていた。
「……あのさ」
「はい」
「あたし、その四日目って、受け直せる?」
「受け直せます。手続きは、この窓口です」
「じゃあ、また来る」
詩織は、退域届を置いて、帰った。
空いた二つの欄は、黒木が明日また訊く。
訊かれなければ、言わない。
三時五十分、黒木は書類を一つ持って、庁舎の裏へ出た。
入域口は、フェンスを二つ越えた先にある。歩いて四分。
武田が、そこに立っていた。
立ち会いの当番だ。入る者の資格証を確かめ、入域簿に時刻を書き、出てくる者の時刻を書く。それだけの仕事で、一日のうち一時間ある。
黒木が着いたとき、武田は二人組を通していた。
資格証を受け取り、顔を上げ、写真と顔を見比べる。返す。何も言わない。
二人組の片方が、何か軽口を叩いた。
武田は、答えなかった。
代わりに、その男の腰のカラビナを指で示した。
男が、自分の腰を見た。留め金が、開いていた。
男は「うわ」と言って、留め直した。
武田は、入域簿に時刻を書いた。
黒木は、少し離れたところで、それを見ていた。
十二年、この人はここに立っている。
黒木は、書類を渡して、戻った。
五時を過ぎて、庁舎が静かになった。
武田は、まだ棚の前にいた。
嘱託の勤務は五時十五分までだ。もう過ぎている。
黒木は、自分の綴りを閉じて、立ち上がった。
武田の背中に、声をかけた。
「武田さん。時間です」
「ああ」
武田は、綴じ紐を結び終えて、棚に戻した。
戻してから、動かなかった。
「黒木さん」
黒木は、振り返った。
この人が自分の名前を呼ぶのは、今年に入って二度目だった。
「はい」
武田は、何も言わなかった。
黒木は、待った。
待ってから、自分のほうから言った。
「十二年前の様式は、B5一枚でした。欄が五つ。氏名、住所、入域希望日、目的、そして、緊急連絡先」
武田の背中は、動かなかった。
「受け付けたのが十四件です。全部、私が受けました。あの年は、四人でした」
まだ、動かない。
「武田さんの分も、私が受けました」
武田が、棚のほうを向いたまま、首だけ少し傾けた。それが返事だった。
「帰る」
「……はい」
黒木は、待った。
窓口の仕事で身についた癖だった。相手が言葉を探しているとき、こちらから言葉を出さない。出すと、相手は探すのをやめる。
武田は、探さなかった。
「お疲れさまでした」
武田は、出ていった。
黒木は、棚の前に立った。
武田が今日綴じた分は、第一層から第三層の日帰りだ。十七件。紐の結び方が、いつもどおり左が上になっている。
黒木は、その結び目をしばらく見ていた。
それから、自分の席に戻って、第七層の綴りをもう一度開いた。
武田の申請書。
氏名、武田照夫。国家資格の番号の下に、市の入域者台帳の番号が振ってある。東雲〇〇〇七。
番号を見て、黒木は指を止めた。
〇〇〇七。
十二年前の十四人のうち、七番目に登録した人間だ。
黒木は、キャビネットの奥を見た。
いちばん下の段に、十二年前の綴りがある。法が出来る前に、市が独自に取っていた受付簿だ。年に一度、県への報告のときにしか出さない。触ると、紙が少し粉になる。
十四枚。
黒木は、取っ手に手をかけた。
かけて、そのままにした。
県への報告は、来月だ。いま開ける理由が無い。
理由の無いものを開けると、次から、理由が要らなくなる。
黒木は、手を離した。
離してから、少し立っていた。
嘱託の武田照夫の人事記録も、見ていない。見る権限はあるが、見る理由が無い。
ただ、この十二年で、この課の飲み会は四回あって、四回とも武田は来なかった。家族の話を聞いたことは、一度も無い。
武田が席を立つとき、いつも、椅子をきっちり机の下に戻す。誰も見ていない時間に、戻す。
武田の申請書は、要件を満たしている。目的欄は空欄ではない。調査と書いてある。同行者なしも、第七層では違反ではない。年齢に上限は無い。
止める根拠が、一つも無い。
黒木は、自分の席に座って、手帳を出した。
ペンを取って、今日の一行を書いた。
九月十七日(木) 曇。 受付 二十八件。 うち差戻し 三件。 窓口 二百四十一分。 備考 第七層、本日二件。今週で十四件。
書いてから、その下に、もう一行足した。
武田さんの退域予定が、空欄のままだ。
書いて、少し見て、さらに一行足した。
十二年前も、調査だった。
手帳を閉じて、鞄に入れた。
立ち上がって、窓の外を見た。
曇っている。庁舎の裏のフェンスの向こうに、入域口へ続く道の街灯が、一定の間隔で並んでいる。数えられる。十七本。
黒木は、電気を消した。
消してから、岸の机を見た。
書類の山が、三つに分かれて、日付順に重ねてあった。
黒木は、それを直さずに、そのまま帰った。
その夜、匿名掲示板「潜り板」の東雲スレッドに、こんな書き込みがあった。
501 名前:名無しの潜り屋
七層、明日の夕方までに出ろって言われてる
502 名前:名無しの潜り屋
>>501
誰に
503 名前:名無しの潜り屋
それは言えない
504 名前:名無しの潜り屋
言えないのかよ
505 名前:名無しの潜り屋
東雲の窓口、なんか言ってた?
506 名前:名無しの潜り屋
>>505
何も。いつも通り書式だけ
あの人、何も言わないよ
507 名前:名無しの潜り屋
言わないだけで、全部見てると思うけどな
黒木は、この掲示板を見ない。
見ないまま、その夜、手帳をもう一度開いて、十四件の退域予定時刻を書き写した紙を、もう一度眺めた。
空欄が、一つ。
黒木は、その空欄を、指でなぞった。
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