木造の薬屋の店内。天井の梁から、乾かした薬草の束が何束も吊り下がっている。カウンターの奥に、亜麻色の髪を後ろで結び、麻の服に緑のエプロンを着けた若い女性が立ち、右手に緑色の液体の入った小瓶を持って微笑んでいる。背後の棚に色とりどりの小瓶、手前に白い乳鉢と乳棒、左の窓の外に街道の街並み。
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偽聖女として追放されたので、隣国で薬屋を始めました 第二話 鉄葉の湿布

借りた釘抜きを返しに、朝のうちに鍛冶場へ行く。片腕の鍛冶屋ネイは、動かない左腕を「痛くない」と言う。嘘だ。金槌を持ち替えるとき、顔が動く。ミアは初めて「治りません」と口にする。動くようにはならない。でも、痛みは引く。鉄葉を砕いて、煮出して、熱いうちに布に広げる。そして宿の主ボルグが、約束どおり、値段の付け方を教え始める。

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 朝のうちにおいで、とネイは言った。昼は暑い。

 だからミアは、鐘が鳴る前に通りを南へ歩いた。右手に、借りた釘抜き。左手に、布の袋を一つ。袋の中身は、乾かした鉄葉だ。

 動かない腕は、たいてい痛む。祖母の手帳に、そう書いてある。昨日、袖の中で動いていない左腕を見たときから、持っていくつもりだった。

 鍛冶場は、低い煙突のある建物だった。戸は開いていて、中から、鉄を叩く音が一定の間隔で聞こえてくる。

 かん。かん。かん。

 ミアは戸口で止まって、中を見た。

 ネイは、炉の前に立っていた。右手に金槌。鉄床の上に、赤くなった鉄の棒。左腕は、袖の中で、体の横に垂れている。

 叩く。返す。叩く。

 返すときが、問題だった。

 鉄を返すには、普通、両手を使う。片手で挟み、片手で叩く。ネイは、挟む手が無い。だから、金槌を置いて、右手で鉄鋏を取って、返して、鉄鋏を置いて、金槌を取る。

 その、金槌を取り直すときに、ネイの顔が動いた。

 ほんの少し。眉のあいだが、狭くなる。それだけだ。叩き始めると、戻る。

 ミアは、それを三度見た。

 三度目で、ネイがこちらに気づいた。

「早いね」

「朝のうちに、と伺ったので」

「言ったね」

 ネイは金槌を鉄床に置いて、前掛けで右手を拭いた。

「釘抜き、返します。ありがとうございました」

「折れてないね」

「折れてません」

「なら、いい」

 ネイは釘抜きを受け取って、腰の前掛けに差した。右手だけで、慣れた動きだった。

「石臼の話だったね」

「はい」

「大きさは」

 ミアは両手で、器の形を作った。

「これくらい。深さは、指四本」

「草を挽くんだろ。目は細かくていい?」

「細かいほうが。でも、内側は、あまりつるつるでないほうが」

「なんで」

「つるつるだと、草が滑って、砕けずに逃げます」

 ネイは、片眉を上げた。昨日と同じ上げ方だった。

「……ふうん。銀貨二枚」

「はい」

「はい?」

「はい。お願いします」

 ネイは、しばらくミアの顔を見てから、声を上げて笑った。

「あんた、値切れよ」

「値切るんですか」

「値切るんだよ。二枚って言われたら、一枚半って言うんだ。そこから始まるんだ」

「そこから始まるんですか」

「そこから始まるんだよ」

 ネイは笑いながら、炉に戻った。

「三日。三日でできる。金は、できてからでいい」

 ミアは頷いた。それから、袋を持ち直した。

「ネイさん」

「なに」

「左の腕、痛いですよね」

 ネイの右手が、止まった。

 止まってから、ゆっくり、こちらを向いた。笑っていない。

「動かないだけだ。痛くはない」

「嘘です」

 言ってしまってから、ミアは、少し言い方を考えた。考えたが、他の言い方が思いつかなかった。

「金槌を持ち替えるとき、顔が動きます。三回、見ました」

 ネイは、何も言わなかった。

 炉の火が、ぱちりと鳴った。

「……あんた、見てたのか」

「戸口で。すみません」

「謝るな。見てたなら、見てたでいい」

 ネイは金槌を置いて、鉄床に右手をついた。

「三年前だ。理由は聞くな」

「聞きません」

「動かない。動かないのは、もういい。慣れた」

 ネイは、そこで少し息を吸った。

「痛いのは、慣れない」

 ミアは、袋を開けた。

 中は、乾いた葉だった。細長く、硬く、乾くと灰色を帯びる。指で持つと、葉脈が鉄の筋のように浮いている。

「鉄葉です」

「鉄の葉」

「腹を下したときに、粉にして飲みます。それとは別に、湿布にします」

「湿布」

「熱くして、布に広げて、巻きます」

 ネイは、袋の中を覗いた。

「それで、動くようになるのか」

 ミアは、首を振った。

「治りません。動くようには」

 はっきり言った。言ってから、自分でも少し驚いた。神殿では、こういうとき、祈ればきっと、と言うことになっていた。言えば、相手の顔が明るくなった。

 言わなかった。

「動くようには、なりません。三年前のことは、私には分かりません。でも――」

 ミアは、ネイの左腕を見た。

「痛みは、引くと思います。夜、眠れるくらいには」

 ネイは、長いあいだ黙っていた。

 それから、鉄床の上の、冷めかけた鉄の棒を見た。

「……眠れるなら、それでいい」

 *

 臼は、まだ無い。

 だから、砕くのは、平たい石でやった。鍛冶場の隅に、鉄を冷ますための平石があった。ネイに断って借りた。

 鉄葉を、一掴み、石の上に広げる。

 その上から、別の石で押す。叩かない。押して、転がす。叩くと飛ぶ。転がすと、葉脈のところで折れて、細かくなる。

 乾いた葉は、押されるたびに、かさかさと音を立てた。においが立つ。青い草のにおいの奥に、錆びた鉄を舐めたような、金気のにおい。

「変なにおいだね」

 ネイが、後ろから言った。

「鉄葉なので」

「名前どおりか」

「はい。祖母は、名前どおりのものは信用できると言っていました。名前と違うものは、たいてい誰かが盛っているって」

「盛る」

「値段を」

 ネイが、鼻で笑った。

 細かくなった葉を、布で集めて、宿へ持って帰った。厨房を借りる。ボルグは、カウンターの奥で帳面を広げていて、顔を上げただけだった。

「また煮るのか」

「はい。今日は短いです」

 鍋に、水を指二本ぶん。少ない。湿布は、飲まない。だから、濃くていい。

 沸かして、火から少し離して、砕いた鉄葉を入れる。

 しゅ、と音がして、湯が、緑がかった黒になった。

 これは、ゆっくり百。

 灰根は三百だった。鉄葉は、長く煮ると渋みが抜けて、効きが薄くなる。手帳にそう書いてある。祖母は「百で下ろす。惜しんで二百にするな」と、わざわざ太い字で書いていた。惜しんだことがあるのだろう。

 百。

 鍋を下ろす。漉さない。葉ごと、布に広げる。

 ――鉄葉の渋みは、熱で葉から出て、皮から入る。だから漉さない。冷めると入らない。だから熱いうちに。

 手帳のその行の横に、祖母の字で、小さく「急げ」と足してある。

 布は、ボルグに借りた。「布、ありますか」「使え」で済んだ。ミアはそれを二枚に裂き、一枚に葉を広げて包み、もう一枚と一緒に懐に入れて、鍛冶場まで急いだ。

 *

 鍛冶場に戻ると、ネイは炉の火を落として、丸太に腰かけていた。

「巻きます。左腕、出せますか」

 ネイは、右手で左の袖をまくった。

 腕は、細かった。右腕の半分ほどしかない。三年、使っていない腕の細さだ。肘のところに、古い跡があった。火傷の跡に似ている。

 ミアは、それを見た。見て、何も言わなかった。理由は聞くな、と言われている。

 ミアは懐から包みを出して、開く前に、自分の左手首の内側に当てた。一つ、二つ、三つ。熱い。だが、離せないほどではない。

 開いて、肘から手首まで巻いた。熱い葉が、皮膚に当たる。ネイが、息を吸った。

「熱っ」

「熱いです。火傷はしません。我慢できないほどなら、言ってください」

「……できる」

 上から、もう一枚の乾いた布を巻いて、押さえた。

「冷めるまで、このままで。だいたい一刻です。それと」

「それと」

「赤くなって、痒くなったら、すぐ外してください。合わない人がいます。合わない人には、効きません」

「効かない人がいるのか」

「います。効いた人と、効かなかった人と、どちらも祖母の手帳に書いてあります。効かなかった人のほうが、多く書いてあります」

「なんで効かないほうを多く書くんだ」

「効いたほうは、書かなくても覚えているので」

 ネイは、少し黙った。

「……それは、そうだな」

 ネイは、巻かれた左腕を見下ろした。

「……変な手帳だな」

「よく言われます。祖母が」

 ネイは、鼻で笑った。

「効かなかったら、言ってくださいね」

「言う」

 ネイは、巻かれた腕を膝に載せたまま、右足で床の石を蹴って、こちらへ転がした。

 丸い、灰色の石だ。膝ほどの大きさ。床に、二本の杭が打ち込んである。

「見てな」

 ネイは石を杭のあいだに挟んで、右手の鑿を当て、右足で木槌を蹴った。

 こん。

 石の面が、少し欠けた。

 挟む手が無いなら、杭で挟む。叩く手が一本なら、足で叩く。三年かけて、自分で作ったやり方なのだろう。

「これが、私の臼ですか」

「まだ石だ。三日で臼になる」

「杭で挟むんですね」

「他にどうする」

「どうもしません。いいやり方だと思って」

 ネイは、鑿を持ったまま、少しだけこちらを見た。

「……ふうん」

 *

 宿に戻ると、ボルグがカウンターの上に、銅貨を並べていた。

 十枚。一列に。

「座れ」

 ミアは座った。

「一昨日、俺の熱を下げた。今日、ネイの腕に何かした」

「湿布です」

「いくら取った」

「取ってません」

「取ってねえだろうな」

 ボルグは、銅貨を一枚、指で押して、ミアの前へ滑らせた。

「これが一枚だ。銀貨一枚は、これが百枚だ」

「百枚」

「うちの一泊が六枚。朝の粥が二枚。今朝あんたが食った粥だ」

「あれ、二枚なんですか」

「二枚だ。取ってねえけどな」

「取ってください」

「取らねえよ。話を聞け」

 ボルグは、指で銅貨を揃えた。

「家賃は月に銀貨一枚。つまり、月に銅貨で百、稼がなきゃ、あの店は続かない。粥で言えば、五十杯ぶんだ」

 ミアは、銅貨を見た。

「材料はいくらだ」

「ただです。裏の空き地で掘りました」

「掘る時間は」

「……半刻くらい」

「煮る時間は」

「三百、数えました」

「その三百のあいだ、他のことができたか」

「できません。数えていたので」

 ボルグは、二枚目の銅貨を滑らせた。

「その半刻と、三百が、金だ」

 ミアは、二枚の銅貨を見た。

「材料がただでも、あんたの半刻はただじゃない。ただで配ると、どうなるか分かるか」

「……分かりません」

「二つある。一つ。あんたが飢える。二つ。誰も、あんたの薬を信じなくなる」

「信じなく」

「ただのものは、効かねえと思われる。この街だけじゃねえ。どこでもだ」

 ミアは、それを、少し考えた。

 神殿では、祈りはただだった。ただで、みんなが信じていた。

 ただし、神殿は、寄進を受けていた。ただではなかったのだ、と、いま気づいた。

「一椀、銅貨二枚」

 ボルグが言った。

「湿布は、三枚。布ぶんだ」

「高くないですか」

「安い」

「そうですか」

「相場を知らんだろ」

「知りません」

 昨日と同じやり取りだった。ボルグも、それに気づいたらしく、少しだけ、口の端を動かした。

「値切られたら、一枚だけ引け。二枚は引くな」

「一枚」

「それ以上引くと、最初の値が嘘だったことになる」

 ミアは、頷いた。頷いてから、訊いた。

「ネイさんには、もう巻いてしまいました」

「なら、明日取れ。効いてからでいい」

「効かなかったら」

「取るな」

 ボルグは、十枚の銅貨を集めて、自分の手の中に戻した。

「効かなかったら金を取らない、ってのは、効いたら取るって意味だ。分かるな」

「……はい」

「それが、薬屋だ」

 *

 翌朝、ミアは鐘が鳴る前に、また鍛冶場へ行った。

 音がしていた。

 かん。かん。かん。

 戸口で止まって、見る。

 叩く。金槌を置く。鉄鋏。返す。鉄鋏を置く。金槌。

 眉のあいだが、狭くなった。

 一度目。

 二度目は、ならなかった。三度目も。

 三度のうち、一度。

「入ってくれば」

 ネイが、叩きながら言った。

「見てました」

「知ってる」

 ネイは鉄の棒を水に沈めた。じゅう、と音がして、白い湯気が上がった。

「眠れた」

「そうですか」

「三年で、いちばん眠った。朝は、また少し痛い」

「毎晩、巻けば減ります。無くなるかは、分かりません」

「分からない、か」

「分かりません」

 ネイは、左腕を見た。細いままだ。動かないままだ。

「動かない」

「はい」

「動かないって、あんた、最初に言ったな」

「言いました」

「前のやつは、言わなかった」

 ミアは、それを聞いた。聞いて、それ以上は訊かなかった。聞かない、と決めている。

 ネイは、前掛けの腰から、小さな革の袋を出した。

「いくらだ」

 ミアは、口を開けた。開けて、閉じて、もう一度開けた。

「……三枚、です。銅貨で」

 言えた。

 ネイは、右手で袋の口を緩めて、中から銅貨を三枚、鉄床の上に置いた。

 かち、かち、かち。

「値切らないのか、って顔だね」

「……少し」

「一枚引けって言われてるんだろ。ボルグに」

「言われてます」

「なら、値切ったら二枚になる。二枚じゃ、布代が出ない」

 ミアは、鉄床の上の三枚を見た。

 それから、手を伸ばして、取った。

 銅貨は、鉄床の熱で、少し温かかった。

「効かなかったら、言ってくださいね」

「効いた」

 ネイは、金槌を取った。

「明後日、街道の行商が来る。草が要るなら、あいつだ。サシャっていう。口が回る。値段は、あんたより百倍うまい」

「百倍」

「気をつけな」

 かん。

 ミアは、三枚の銅貨を握って、通りへ出た。

 通りの向こうから、ボルグが歩いてくるのが見えた。朝の買い出しの籠を提げている。すれ違うとき、ボルグはミアの握った手を見て、それから顔を見て、何も言わずに通り過ぎた。

 何も言わなかった。顔も、変わらなかった。籠の中の、朝の粥の材料だけが見えた。

 朝の光が、閉じた店の板に当たっている。自分の店の窓には、板が無い。一昨日、自分で剥がした。

 握った手を開いて、三枚を数えた。

 一、二、三。

 値段が、ついた。

 その夜、店の棚に、袋を並べた。

 十二段のうち、いちばん手の届く段に、五つ。灰根、しろ苔、鉄葉、まだ使っていない一袋、そして月花の半袋。名前は書かなかった。書いても、この街で読める人がどれだけいるか分からない。代わりに、袋の口から葉を一枚ずつ出して、棚の縁に置いた。見れば分かる。嗅げば、もっと分かる。

 残りの十一段は、空だ。

 空の段を、ミアはしばらく見ていた。埋まる日が来るのかどうかは、分からない。分からないことは、手帳に書かない。

 書けることだけ、書く。

 ミアは手帳を開いて、空いている行に書いた。

 ――鉄葉、湿布。平石で転がして砕く。水は指二本。ゆっくり百。漉さず、葉ごと布に。二十代、女、左腕。動かない(三年)。痛みは翌朝に引いた。動かない。銅貨三枚。

 書いてから、最後の四文字を、しばらく見ていた。