
転生したら滅びる家の三女でした ~十年後の処刑を回避します~ 第一話 二十二の朝
二十二歳の誕生日の朝、セラは前世を思い出した。日本の出版社の校正者だった二十九年と、この国の史書の翻訳を読んだ記憶。そこに、この家の末路が書いてあった。十年後の夏、アーデンハイト侯爵家は一族もろとも処刑される。武力も魔法も無い三女は、覚えていることを紙に書き出し、年号順に並べ替えた。一行目は、半年後だった。
お使いのブラウザの音声合成を使います。本文が外部へ送信されることはありません。
一年目 春 ―― 十年目 夏 一族、処刑。
「セラさま。セラさま、お誕生日でございます」
名前を呼ばれた。
その瞬間、頭の中に、別の二十九年が流れ込んだ。
蛍光灯。四階の窓。机の上の赤い鉛筆と、付箋が三色。ゲラの束。締切。終電。コンビニのおにぎり。指の腹の、紙で切った細い傷。
校正。
わたしは、校正者だった。
二十九歳で、死んだ。
わたしは、寝台から転がり落ちて、床に手をついて、吐いた。
「セラさま!?」
侍女が悲鳴を上げた。誰かが走っていく音。桶を持ってくる音。背中をさする手。
わたしは、吐きながら、床の木目を見ていた。
木目を見ながら、この部屋の間取りを知っていることに気づいた。扉は東。窓は南。書き物机は窓際。十四年、この部屋で暮らしてきた。
同時に、四階の事務所の間取りも知っていた。デスクは窓から三番目。給湯室は左奥。
二つが、同時にあった。
頭が割れそうだった。
医者が呼ばれた。
北の辺境に医者は一人しかいない。呼びに行って、来るまでに半日かかる。その半日、わたしは寝台に横になっていた。
天井を見ていた。
整理しよう、と思った。
それは、校正者の癖だった。分からない原稿が来たら、まず、分かっているところに線を引く。
一、わたしはわたしである。二十二歳。北の辺境を預かる侯爵家の三女。嫁ぎ遅れと言われている。
二、わたしは前世で、日本の出版社の校正者だった。二十九歳で死んだ。死因は覚えていない。
三、前世で、この国の史書の翻訳を読んだ。歴史小説の校正のために、資料として。
四、その本に、アーデンハイト家のことが書いてあった。
わたしは、天井の梁の節を数えながら、思い出そうとした。
本文は、ほとんど覚えていない。
覚えているのは、見出しと年号だ。校正者は本文を読むが、頭に残るのは見出しと数字のほうだ。数字は照合するから、何度も見る。
――「アーデンハイト家の没落」
――「偽造書簡事件」
――「王位継承と北辺の粛清」
最後の見出しの下に、年があった。
王暦四百二十七年、夏。
いまが、王暦四百十七年の春。
十年。
わたしは、寝台から起き上がった。
立ちくらみがして、寝台の支柱を掴んだ。
「セラさま、お休みください」
「紙を」
「は?」
「紙と、インクを。たくさん」
医者は、夕方に来た。
脈を取って、目を見て、それから「お疲れでしょう」と言った。
北の辺境の医者が言えることは、だいたいそれだ。
「ありがとうございました」
わたしは礼を言って、医者を帰した。
そして、机に向かった。
紙が十二枚、積んである。侍女が困った顔で持ってきたものだ。この家では紙は安くない。
わたしは、一枚目に、思い出せることを片端から書いた。
順番は無視した。思い出した順に書く。校正の作業と同じだ。まず拾う。並べるのは後。
――王が死ぬ。三人の王子が争う。
――第一王子が勝つ。
――北の辺境の家が、反逆の罪で処刑される。罪状は書簡。偽造。
――偽造された書簡は、王都の家との縁組を通じて渡った。
――アーデンハイト家の姉が、王都の家へ嫁ぐ。
――兄が、馬から落ちる。
――飢饉。
――次兄が、死ぬ。
書きながら、手が震えた。
次兄。ルーカス。二十五歳。いまこの瞬間、この屋敷の書庫にいる。朝、廊下ですれ違った。皮肉を言われた。「誕生日か。めでたいな、嫁ぎ遅れ」と。
その人が、死ぬ。
わたしは、ペンを置いた。
置いて、両手で顔を覆って、しばらくそのままでいた。
それから、手を下ろして、二枚目の紙を取った。
年号順に、並べ替える。
覚えている年号を、一つずつ当てはめていく。
覚えていないものは、前後関係から推測して、仮に置く。仮に置いたものには、脇に小さく丸を打つ。これは前世の癖だ。確定していない箇所には印をつける。
一時間かかった。
できたのが、これだった。
一年目 秋 兄、落馬。〇 二年目 春 父、王都へ召還。〇 三年目 姉、王都の家へ嫁ぐ。 三年目 飢饉。〇 五年目 次兄、死。 六年目 王、崩御。〇 七年目 王子たちの争い、表に出る。 九年目 偽造の書簡が渡る。 十年目 夏 一族、処刑。
九行。
十年で、九行しか思い出せなかった。
わたしは、この紙を何度も読み返した。
読み返しながら、校正者として気づいたことが三つあった。
一つ目。この表は、粗い。
史書の見出しは、起きたことのうち大きいものしか拾わない。この九行の間に、実際には何百という出来事がある。
二つ目。この表は、間違っている可能性がある。
十年以上前に読んだ本の、見出しの記憶だ。丸を打った行は、特にあやしい。
三つ目。これがいちばん大事だった。
この表には、原因が書いていない。
なぜ処刑されたのか。誰が書簡を偽造したのか。書いていない。書いてあったのかもしれないが、覚えていない。
つまり、犯人を捕まえる、という方法は使えない。
使えるのは、日程表を一行ずつ潰すことだけだ。
わたしは、三枚目の紙に、一行目だけを書き写した。
一年目 秋 兄、落馬。〇
いまは春。
半年ある。
わたしは、紙を折って、懐に入れた。
立ち上がって、扉を開けた。
廊下は暗い。北の辺境の屋敷は、廊下に燭台を置かない。油がもったいないからだ。
わたしは、手探りで壁づたいに歩いた。
階段を下りて、東の渡り廊下を抜けて、外へ出た。
夜気が冷たい。春とはいえ、北はまだ冬の尻尾がある。
厩は、中庭の向こうにある。
近づくと、藁と、馬のにおいがした。
灯りがついていた。
中に、人がいた。
老騎士バーレだった。六十を越えている。父の元従者で、いまは厩の世話と、若い者の稽古を見ている。
「おや。セラさま」
「バーレ」
「こんな刻限に。お加減が悪いと伺いましたが」
「よくなりました」
わたしは、厩の中を見回した。
馬房が八つ。うち六つに馬がいる。
「バーレ。兄上の馬は、どれですか」
バーレは、いちばん奥の馬房を指した。
黒い馬がいた。大きい。たてがみが長く、耳が動いている。
「グラウでございます。三歳。まだ若うございますが、ギルベルトさまはこの馬がお気に入りで」
「三歳」
「はい」
わたしは、馬房に近づいた。
馬は顔を上げて、わたしを見た。近づくと、鼻を鳴らして、後ろへ一歩下がった。
「人を怖がりますか」
「知らぬ者は、警戒いたします」
「気性は」
バーレは、少し間を置いた。
「……悪くはございません」
「バーレ」
「はい」
「悪くはない、というのは、良いという意味ではありませんね」
バーレの目が、わずかに動いた。
「……セラさまは、昔から、言葉をよくお聞きになる」
「今日からです」
「は?」
「今日から、そうなりました」
わたしは、馬房の柵に手をかけた。
「この馬は、何を怖がりますか」
バーレは、腕を組んだ。
「……音でございます。金物の、高い音。蹄鉄を打つ音が苦手で、鍛冶場の前は通れません」
「ほかには」
「雷。あとは、鳥が急に飛び立つのを嫌います」
「秋は」
「秋、でございますか」
「秋に、鳥は飛び立ちますか」
バーレは、天井を見た。
「……北の湿地に、渡りが下りてまいります。九月の終わりごろから。あのあたりを馬で行くと、たしかに、いきなり百羽ほど飛び立つことがございます」
わたしは、懐の紙を握った。
一年目、秋。兄、落馬。
「その湿地は、狩場ですか」
「はい。ギルベルトさまが、毎年秋に」
「毎年」
「毎年でございます」
わたしは、目を閉じた。
史書は、原因を書かない。
書かないが、原因は、必ずある。
「バーレ」
「はい」
「お願いがあります」
「なんなりと」
「秋までに、この馬に、鳥の音を教えてください」
バーレは、まばたきをした。
「……と、申されますと」
「急に飛び立つ音を、何度も聞かせて、慣れさせてください。少しずつ、近くから」
「それは……できなくはございませんが、なぜ」
わたしは、答えを用意していなかった。
前世を思い出した、とは言えない。十年後に一族が処刑される、とも言えない。言えば、頭がおかしくなったと思われる。頭がおかしい三女がいる家は、縁組で不利になる。縁組で不利になると、三年目の姉の嫁ぎ先が変わる。変わったとき、日程表が使えなくなる。
だから、言えない。
わたしは、こう言った。
「夢を見たのです」
「夢」
「兄上が、馬から落ちる夢を。鳥が飛び立って、馬が驚いて」
バーレは、しばらく黙っていた。
老騎士の顔は、暗がりでよく見えなかった。
「……セラさま」
「はい」
「笑う者がおりましょう」
「笑うでしょうね」
「それでも、やれと」
「やってください」
バーレは、また黙った。
それから、馬房のほうを向いて、低い声で言った。
「わたくしは、四十年前に、同じことを申し上げたことがございます」
「え」
「先代さまの馬でございます。気性は悪くない、と、みなが申しました。わたくしは、悪くはないが良くもない、と申し上げました」
バーレは、馬房の柵を撫でた。
「先代さまは、その馬でお怪我をなさいました。歩けなくなって、三年で亡くなられました」
わたしは、息を呑んだ。
「……どなたも、聞いてくださいませんでしたか」
「聞かれませんでした」
バーレは、わたしのほうを向いた。
「やりましょう。夏のうちに始めます。秋には、鳥が百羽飛んでも、この馬は耳を動かすだけになっております」
「ありがとうございます」
「ただ、一つ」
「はい」
「ギルベルトさまには、お伝えになりますな」
「なぜですか」
「若さまは、お信じになります」
バーレは、そう言った。
「信じて、油断なさいます。馬は大丈夫だ、と思って、深いほうへ入られる。……夢の話は、信じる者にこそ、お伝えにならぬほうがよろしい」
翌朝、わたしは食堂へ下りた。
アーデンハイト家の朝食は、全員が揃う。これは父の決めごとで、十四年、破られたことがない。
長い卓に、六人。
父が上座で、母がその隣。左に長兄ギルベルトと次兄ルーカス。右に姉イーリスと、わたし。
「セラ、加減はどうだ」
父が言った。五十一歳。実直で、政治に向かない。話し始めると長く、要点が最後に来る。
「よくなりました」
「無理をするな。昨日は医者も驚いておった。あれは腕のいい男でな、わしが若いころ――」
「あなた」母が短く言った。「粥が冷めます」
父は、素直に匙を取った。
わたしは、母を見た。四十七歳。この家を実質的に回しているのはこの人だ。決断が早い。
「セラ」母が言った。「紙を何枚も、使ったそうね」
「はい」
「何に」
わたしは、用意していた答えを言った。
「書き取りの練習です」
「二十二になって」
「なったからです」
母は、少しだけわたしを見た。
それから、それ以上は聞かなかった。
「姉上」
わたしは、隣を向いた。
イーリス。二十四歳。美しく、王都で人気がある。押しに弱い。
「なあに」
「王都のお話、また聞かせてください」
イーリスの顔が、明るくなった。
「いいの? セラ、いつも興味なさそうにしてたのに」
「興味が出ました」
「どうして」
わたしは、粥をすくった。
「……知らないことが多すぎると、気づいたので」
斜め向かいで、次兄ルーカスが鼻を鳴らした。二十五歳。学者肌で、書庫にこもっている。
「今日は殊勝だな。熱でも残ってるのか」
「残っています」
「素直だと気味が悪い」
「兄上」
「なんだ」
「書庫に、この国の史書はありますか」
ルーカスの匙が、止まった。
「……あるが」
「どのくらい」
「正史が十二巻。北辺の記録が三巻。あとは写しだ」
「読んでもいいですか」
ルーカスは、心底不思議そうな顔をした。
「お前が?」
「わたしが」
「何のために」
わたしは、粥を飲み込んだ。
「この家のことが、どう書かれているのか知りたくて」
卓が、少し静かになった。
父が、笑った。
「よいことだ。武門の家といっても、書かれ方は大事だからな。わしが若いころ、王都で――」
「あなた」母が言った。「冷めます」
長兄ギルベルトが、大きな声で笑った。二十八歳。跡取りで、武に優れ、政治を軽んじている。
「セラが本を読むなら、俺は馬に乗るぞ。役割分担だ」
わたしの手が、止まった。
「兄上」
「ん」
「秋の狩りは、今年もお出になりますか」
「当たり前だ。北の湿地は今年もいい。渡りが早いらしい」
わたしは、粥の椀を見た。
一年目 秋 兄、落馬。
「……お気をつけて」
「なんだ、いまから気が早いな」
ギルベルトは、また笑った。
人を信じすぎる笑い方だった。
わたしは、部屋へ戻った。
机の上の紙を、もう一度開いた。
一年目 秋 兄、落馬。〇
この丸は、あやしい、という印だ。
覚え違いかもしれない。落馬は二年目かもしれないし、そもそも起きないかもしれない。
それでも、やることは変わらない。
わたしは、紙の余白に、細かい字で書き足した。
――馬に鳥の音を教える。バーレ。夏から。
書いてから、少し考えて、その下にもう一行。
――夢を見た、で通すこと。前世の話は、誰にもしない。
ペンを置いて、窓を開けた。
北の夜空は、王都より星が多いのだと、姉が言っていた。王都から戻ってきた年に、そう言った。
三年目、姉は王都へ嫁ぐ。
その縁組が、九年目に書簡を運んでくる。
止めるべきだろうか。
止めれば、九年目の書簡は来ない。
だが、姉は王都へ行きたがっている。十年後に死ぬ、とは言えない。言わずに止める方法を、わたしはまだ知らない。
わたしは、窓の桟に肘をついた。
二十二年、この家にいた。
厳密には、二十二年ぶんの記憶がある、というだけだ。今日の朝までは、たしかにこの家の三女として生きていた。
いまも、そうだ。
前世を思い出したからといって、この家の人間でなくなるわけではない。
むしろ逆だった。
十年後に全員死ぬと知ってから、初めて、家族の顔を思い浮かべた。
父の、要点が最後に来る長話。母の、短い決断。兄の、人を信じすぎる明るさ。次兄の皮肉。姉の、押しに弱い優しさ。
誰一人、欠けさせない。
わたしは、窓を閉めた。
閉めてから、口に出して言った。
「もう一度、読みます」
机の上の紙を、最初から読み直した。
縦書きでは右から左へ読み進みます。キーボードの ← → でもめくれます。