辺境の鑑定士 第三話 紋章の来歴
謎のメダルの来歴を辿るため、カイはギルド長ノーラと共に街の古文書庫へ向かう。断片的な映像をひとつずつ手繰り寄せていくうち、ドルムンドという街そのものの成り立ちに関わる、隠された過去が姿を現し始める。
翌日、カイはノーラに連れられて、ギルドの地下にある古文書庫を訪れていた。
石段を降りるたびに空気が冷たく湿っていく。ランプの明かりだけが頼りの薄暗い通路の先に、鉄格子付きの重い扉があった。ノーラが古びた鍵を回すと、蝶番が軋んだ音を立てて開く。
普段は施錠され、ギルド長格の職員しか立ち入れない部屋だという。埃をかぶった書架には、年代物の羊皮紙や革表紙の記録簿がびっしりと詰まっている。カビと古紙の匂いが鼻をつき、カイは思わず咳き込んだ。
「ここなら、あのメダルについて何か手がかりがあるかもしれない。街の設立当初からの記録が全部残ってるからね」
「ドルムンドの設立当初、ですか。この街、そんなに古いんですね」
「表向きはね。この土地に人が住み着いたのは三百年前ってことになってる。でも――」
ノーラは言葉を濁し、一冊の古びた記録簿を書架から抜き取った。
「これは初代ギルド長が残した個人的な日誌。正史には載ってない話が書いてある」
カイは記録簿を受け取り、ページをめくった。文字は薄れ、判読しづらい箇所も多い。だが、それよりも先に、記録簿そのものに触れた瞬間、来歴の映像が流れ込んできた。
――誰かの手で急いで書かれるページ。隠すように仕舞われる引き出し。そして、恐れるような視線。
「……この日誌を書いた人は、何かに怯えていたようです」
「怯えてた? 誰に」
「分かりません。ただ、その感覚だけは伝わってきます」
カイは日誌を閉じ、代わりに懐から例のメダルを取り出した。昨日感じた激しい映像の奔流を思い出すと、少し手が震える。だが、ここで止まるわけにはいかなかった。
「もう一度、視てみます」
「無理はするなよ」
「大丈夫です。今度は心構えができてますから」
カイは深く息を吸い、メダルに両手を添えた。
視界が白く染まり、映像が流れ込んでくる。今度はゆっくりと、まるでカイの理解を待つかのように、断片が繋がっていった。
――炎に包まれる街並みは、今のドルムンドとよく似た地形をしている。同じ川、同じ丘の稜線。だが建物の様式は、今よりずっと古い。
――地面に沈んでいく巨大な影。それはドラゴンでも魔獣でもなく、何か人工物のような、規則正しい輪郭を持っていた。
――そして最後に、翼を広げた鳥の紋章を掲げた一団の姿。彼らは炎の中、何かを地中深くに封じ込める儀式を行っていた。
映像が途切れ、カイは目を開けた。額に汗が滲んでいる。
「……封印、です。この紋章を掲げた人たちが、何か巨大なものを、この土地の地下に封じました」
「巨大な、何かって」
「形までは分かりません。ただ、生き物ではなく、何かの構造物のようでした。それと――この光景があった場所は、今のドルムンドと、地形がほとんど同じです」
ノーラの顔が強張った。彼女は記録簿の別のページを開き、地図らしき図を指差した。
「……見てみな。これは正史に載ってる、街の最初の入植記録だ。ここに描かれた土地の形、あんたが今言った光景と同じじゃないか」
古い地図に描かれた丘と川の位置は、確かに今のドルムンドと一致していた。つまり――この街は、何かを封じた土地の上に、そのまま築かれたということになる。
「待てよ……」ノーラが地図の隅に記された小さな文字を指でなぞる。「この土地、元々の呼び名が『ドルム』ってなってる。今の『ドルムンド』は、そこから来てるのか」
「地名にまで、痕跡が残っているんですね」
「意識してた奴なんて、街の誰もいなかっただろうよ。ただの古い地名だと思って、誰も疑わなかった」
ノーラは震える指で、さらにページをめくった。そこには、封印の儀式を行ったとされる一団についての短い記述もあった。彼らは「境を守る者たち」と呼ばれ、儀式のあと忽然と姿を消したという。
「先代のギルド長が『触れちゃいけない』って言ってたのは、これのことか……」
ノーラは日誌の最後のページを開いた。そこには、震える筆跡でこう記されていた。
『この土地に住む者は、決して地下を深く掘ってはならない。封じられたものを起こしてはならない。紋章を持つ者が現れたなら、それは何かの予兆である』
沈黙が古文書庫に満ちた。
カイは手の中のメダルを見つめた。錆びた剣の真価を見抜いたときの高揚とは、まるで違う重さがそこにはあった。あのときは、誰かを喜ばせる発見だった。だが今は――この街に暮らす誰もが知らずにいる、大きな秘密の入り口に立っているという感覚だった。
「ノーラさん。このメダルは、木箱の記録が空欄だったって言ってましたよね。誰が、どこから持ち込んだものなんでしょう」
「……調べる必要があるね。ただ、今すぐに公にするのはまずい。街のみんなが、自分たちの暮らす土地の下に何が眠ってるかなんて、考えたくもないだろうさ」
「僕にできることは何かありますか」
ノーラはしばらくカイを見つめてから、静かに言った。
「あんたの目は、他の誰にも視えないものを視る。だったら、その目で、この紋章の続きを追ってほしい。誰がこれを持ち込んだのか。この街の下に何が眠ってるのか。危険かもしれないが……」
「やります」
カイは即答した。都で疎まれた力が、ここでは誰かの役に立つ。それだけでなく今、自分はこの辺境の街そのものの秘密に触れようとしている。恐れがないと言えば嘘になる。だが、それ以上に、確かめたいという気持ちが勝っていた。
「ただし」ノーラが釘を刺すように付け加えた。「今日のことは、ギルド内でもごく一部にしか話すな。あたしとあんた、それとこの記録を見た職員だけの秘密だ。誰が絡んでるか分からない以上、迂闊には動けない」
「分かりました」
「それと――査定の仕事は普段通り続けてもらうよ。目立たないようにな。急に鑑定士が調べ物ばかりしてたら、それこそ怪しまれる」
カイは頷きながら、手の中のメダルをそっと布に包み直した。何気ない日常の裏側に、これほど大きな謎が眠っていたとは、辺境に来るまでは想像もしていなかった。
古文書庫の窓から差し込む夕陽が、メダルの紋章を赤く照らしている。翼を広げた鳥の意匠は、まるでこれから始まる何かを予感させるように、静かに輝いていた。
その夜、カイが宿に戻ろうと表通りを歩いていると、路地の陰から声がかかった。
「――お前が、噂の鑑定士か」
振り向くと、フードを目深に被った人物が立っていた。その手には、カイが持つものとよく似た紋章の刻まれた短剣が握られている。
「その紋章のメダル、どこで手に入れた」
街灯りの届かない路地に、二人分の息遣いだけが響く。フードの奥から覗く目は、値踏みするような、それでいてどこか焦っているような色を宿していた。
「答える前に、一つ聞かせてください。あなたは、その紋章について何を知っているんですか」
「質問してるのはこっちだ」
短剣を持つ手に、微かに力が入るのが見えた。カイは動じないよう、ゆっくりと息を吐いた。逃げれば、ここで得た手がかりごと失うかもしれない。だが下手に踏み込めば、危険は避けられない。
「僕はギルドの依頼で、この街の古い記録を調べているだけです。あなたこそ、なぜその紋章を知っているんですか」
フードの人物は一瞬、言葉に詰まったように黙り込んだ。その隙に、カイは相手の短剣にちらりと視線を走らせた。触れることさえできれば、来歴が視える。だが今、この距離でそれをするのはあまりに危うい。
「……今夜のところは、これで済ませてやる。だが、その紋章に関わるのはやめておけ。お前が思っているより、ずっと根の深い話だ」
そう言い残すと、フードの人物は路地の闇へと溶けるように姿を消した。カイはしばらくその場に立ち尽くし、ようやく詰めていた息を吐き出した。
秘密は、思っていたよりずっと早く、彼のもとへ牙を剥き始めていた。
(第四話に続く)