
死に戻り花嫁は、三度目の初夜で毒杯を割る 第二話 窓を閉める
五周目。倒れる私に、夫となる男は「次は、窓だ」と言った。だから今日は、窓を閉める。杯は受け取って、飲まず、割らず、卓に置く。兄には証文の話をしない。花は捨て、香炉は消し、そして鎧戸を下ろす。鐘が二つ、三つ。四周目より長く生きている。その閉めきった部屋の中で、水をかけて消したはずの灰から、甘さが立ちのぼった。
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五周目。 毒 杯(回避)/花(回避)/香(回避)/庭(未確認) 生存 ――
鐘が六つ鳴った。
目を開けずに数えた。六つ。厨房の勝手口、井戸端の木戸。二回。
目を開ける。天蓋。蔦は十四本。七本目が途切れている。
五周目です。
四度死んだ。四度目は、庭の香だった。杯を割り、花を捨て、香炉を消し、窓を開けたまま夜を越そうとして、死んだ。
倒れる私を抱え上げて、あの人は言った。
――息を止めろ。次は、窓だ。
次は。
持ち越せるのは記憶だけだ。だから、記憶に入れた。あの二文字と、そのあとの二文字を。
今日は、窓を閉める。
それから、四周目に消した道を、一本、戻す。
*
「お嬢さま。お目覚めでいらっしゃいますか」
「起きています」
イネスが湯の桶を持って入る。北、東、南。西は開けない。
「よくお休みになれました?」
「ええ」
前は、ここで「いいえ」と言った。イネスは手を止めて、私を見た。人は、いつもと違う返事をされると、その人をよく見る。よく見られると、私は動きにくい。
だから今日は、「ええ」だ。三周と同じ答え。
イネスは手を止めなかった。
「大丈夫でございますよ。旦那さまは、お優しい方でございます」
同じところで、同じ言葉。袖をまくるとき。
私は、その袖をまくる手を見ていた。二周目から、この人を「杯を運ぶ手」としてしか見ていなかった。今日は、手そのものを見る。
迷いがない。
*
東の小部屋。鏡。銀の髪飾り。若い侍女が落とす。
「申し訳ございません!」
「構いません」
拾う音まで同じだ。
九時。車輪の音。
「まあ、ずいぶん華やかな」
大叔母マグダ。車輪の椅子。押しているのは家令ドルン。
「ありがとうございます」
「南の家の方は、色をお使いになるのねえ」
「知りませんでした。教えていただけて助かります」
前と同じに返した。あのとき、この返しは効いた。マグダは私を、思っていたより聞き分けがいい、と言い、それから穀倉の話をして、扇を止めた。
今日も、そこまでは同じに進んだ。
扇の骨が一本折れていて、開くたびに引っかかる。右手は膝。左手は扇。肩から下は動かない。
この人は「では、夜に」と言って出ていく。四周とも。
夜の式の広間に、この人はいる。扇の陰で笑っていない。そのあと、私は三階に上がる。そのあとのこの人を、私は知らない。朝はこの部屋まで来る人が、夜、どこにいるのか。
知らないことは、順番の中に置いておく。
「……お上手だこと」
マグダは扇を閉じた。
「では、夜に」
私は、頭を下げた。
「夜に」
と、返した。返したのは、五周目が初めてだ。
マグダの目が、扇の上で、少しだけ止まった。
止まっただけだった。ドルンが車輪を回して、椅子は廊下へ出た。
鍵束は二十七本。三周目に数えた。ドルンは扉を閉めるとき、わずかに中を見る。今日も見た。今日は、私のほうが先に目を伏せた。
*
廊下の突き当たりまでは行かなかった。あの扉は開かない。知っていることを確かめに行くと、後ろに人が立つ。
昼餉。パン。干した果実。薄い肉のスープ。
塩と、乾いた香草。飲んだ。死なない。
今日は、杯のことを訊かない。前に訊いて、イネスの手は盆の縁で止まった。あの止まり方は、疑われた人のものではなかった。訊かれると思っていなかった人のものだ。
杯ではなく、酒。それは三周目に分かっている。
酒は、どこで注がれるのか。
口には出さなかった。出すと、この人はまた手を止める。
*
昼。広間。
「やあ、レナ! 見違えたなあ」
「兄さま」
「いや、驚いた。いい家だぞここは。石が古い。古い石は金では買えん」
「そうですね」
「北の関所は、通行税が年に――」
クラウスは言葉を切って、笑った。
「いや、今日はやめよう。婚礼の日だ」
右の袖口をいじる。
前は、ここで証文の話をした。兄の顔から笑いが消えて、兄は夜、来なかった。式の席が空いた。道が一本消えた。
今日は、言わない。
「いい石ですね」
「だろう」
クラウスは満足そうに笑って、袖口から手を離した。
「じゃあ、夜にな」
それだけで、行った。
三周目、兄は夜に来た。酒を勧めた。あの酒は、飲んでも死ななかった。証文の話をしなければ、兄はただの兄で、夜に来る。
道が、一本戻った。
*
広間から戻る途中、二階の書庫の前を通った。
扉は開いていた。三周目、私はここで証文を見つけた。父の名と、兄の名と、南の家の印。書き物机の右の抽斗の、二番目。
今日は、入らない。
入れば、知っているはずのないことを、また一つ、知っている顔で持ち歩くことになる。持ち方を、まだ覚えている途中だ。
扉の前を、歩く速さを変えずに通り過ぎた。
*
午後、庭には出なかった。
庭師の一言は、もう持っている。壁の向こう。奥さまの部屋の真下。夜に咲く。窓は閉めたほうがいい。
出なければ、イネスに「お風に当たられては」と言われる。言われて、断った。
「今日は、部屋にいます」
「……さようでございますか」
イネスは、それ以上言わなかった。四周目まで、私はこの人の勧めを一度も断れなかった。断ると、人は理由を探す。だが「部屋にいる」は、婚礼の日の花嫁として、理由のいらない言葉だった。
*
午後。ユリウス。
「義姉上! お会いしたかった」
「はじめまして」
「兄が羨ましい。いや本当に」
五つ年上の兄。若くて賢そうな方。僕には関所がない。馬と、犬が三匹。
同じ台詞。同じ指の音。
前は、ここで犬の話をした。人は嘘をつくか、と訊いた。ユリウスは笑って、笑いながら私を見ていた。
今日は、訊かない。
「それで充分ですよ」
ユリウスは言って、私の返事を、少しだけ待った。
私は、微笑んだだけだった。
「……義姉上は、お静かだ」
「南の女は、初めての場所では喋りません」
「北の女もですよ」
ユリウスは笑って、行った。
三周目、この人は夜に厨房へ下りた。何をしに下りたのかは、まだ知らない。今日も知ることはできない。夜、私は三階にいる。
知らないことは、知らないまま、順番の中に置いておく。
*
夕。
前と同じに、紙に一日を書いて、火にかざした。今日の紙には、印が四つ増えた。証文、言わない。庭、出ない。書庫、入らない。窓、閉める。
灰を暖炉の奥へ押し込んで、手を止めた。
灰。
灰蜜。三周目の毒の名は、灰の蜜だ。
私は、暖炉の中の黒い塊を、しばらく見ていた。それから、立ち上がった。考えるのは、あとだ。夜は、まだ来ていない。
*
鐘が七つ。式。
「北の関所は、これより南の穀倉と、同じ手の中にある」
一言一句。声の高さ。息を吸うまでの間合い。
拍手。四十人。本家が十二。
マグダは、扇の陰で笑っていない。ユリウスが、いちばん大きな音で叩いている。ドルンは壁際で、手を叩かず、扉を見ている。
そして、兄クラウスが、いた。
付き添いの列に立って、右の袖口をいじりながら、拍手をしていた。
前は、この場所が空だった。私が昼に、一言、余計なことを言ったからだ。今日は言わなかった。だから、いる。
兄がいてよかった。それ以上は、思わない。
*
夜。三階の花嫁の部屋。
扉は二つ。狭い階段側は、外から閂。花が三つ。窓辺、寝台の脇、扉の横。香炉が二つ、部屋の隅。
扉が開いて、イネスが銀の盆を持って入る。杯が二つ。
「旦那さまがお越しです」
アルヴィスが入ってくる。上着を腕にかけて、窓辺へ行き、外を見る。
イネスが盆を置いて、出ていく。
二人になる。
アルヴィスが盆の前に立って、杯を一つ取り、私に差し出す。
ここだ。
受け取った。銀は冷たい。琥珀色。蜜と、果実と、奥に、苔。
前は、ここで手を開いた。杯は落ちて、澄んだ音を立てて、転がった。そして、あの人は言った。また、割ったのか、と。
今日は、落とさない。
私は、杯を持ったまま、寝台の脇の小卓まで歩いた。そこに、置いた。中の酒は、一滴もこぼれなかった。
「今夜は、いただきません」
振り返る。
アルヴィスは、自分の杯を持ったまま、私を見ていた。
私は、待った。
一周目も、二周目も、三周目も、あの人は杯を渡したあとに、同じ一言を言った。
「無理に飲まなくていい。慣れない酒だ」
一周目、私はそれを、政略で来た花嫁への形だけの気遣いだと思って、飲んだ。二周目は飲まなかった。三周目も飲まなかった。三周とも、この一言は同じだった。四周目だけ、違った。私が割ったから、「また」になった。
今日は、どちらだろう。
「無理に飲まなくていい。慣れない酒だ」
同じだった。
声の高さも、間合いも。私が置いたあとで言ったのに、置く前に言うときと、何も変わらなかった。
あの人は自分の杯を盆に戻した。飲んでいない。上着を椅子の背にかけて、長椅子に腰を下ろした。
私は、小卓の上の杯を見た。琥珀色は、揺れずにそこにある。
飲まなくても、置いても、あの一言は変わらない。割ったときだけ、変わる。
その先を、私は考えなかった。考えると、口が動く。
*
扉が鳴った。三回ではない。二回。
「レナ。いるか」
兄だ。
アルヴィスが、長椅子から私を見た。私は、あの人を見返した。あの人は、何も言わなかった。私は扉を開けた。
クラウスは、瓶を一本抱えて立っていた。南の、素焼きの瓶。
「南のだ。北のは口に合わんだろう」
兄は、部屋の中の長椅子を見て、少しだけ声を落とした。
「……お邪魔なら、置いていく」
「置いていってください」
瓶を受け取った。兄は、私の顔を見て、それから小卓の杯を見て、また私を見た。
「飲まんのか、それ」
「あとで」
「そうか」
兄は、袖口をいじった。
「じゃあ、な。……いい家だぞ、ここは」
行った。
私は瓶の栓を抜いて、においを嗅いだ。南の酒だ。麦と、少しの酸。苔のにおいはしない。三周目に、飲んで死ななかった酒。
口をつけた。一口だけ。
死なない。
瓶を小卓に置く。琥珀色の杯の隣に、素焼きの瓶。
長椅子で、アルヴィスは何も言わなかった。
*
花を、三つとも窓から捨てた。香炉に、水差しの水をかけた。灰が濡れて、黒い塊になる。四周目と同じ手順。
そして、四周目と違うことをした。
窓を、閉めた。
鎧戸を下ろして、掛け金をかけた。北、東、南。西は、もとから閉まっている。
次は、窓だ。閉めた。
閂は内側から。扉の前に立って、深く息を吸った。
部屋の空気は、動かない。
花はない。香炉は消した。杯は卓の上。庭の香は、鎧戸の外。
寝台の端に腰を下ろして、天蓋の蔦を数えた。十四本。七本目。
鐘が十一。十二。
生きている。
鐘が一つ。二つ。
生きている。四周目と同じところまで来た。
鐘が三つ。
四周目より、長い。
長椅子で、アルヴィスは動かない。眠っているのかどうかは分からない。三周目、香で喉が焼けているとき、この人は寝ていた。四周目は、起きていて、私を抱え上げた。
今日は、どちらだろう。
部屋の空気が、少し重くなった。閉めきった部屋の、重さだ。閉めれば、こもる。四周目に、私はそう言って、開けた。
今日は、閉めた。こもるものは、もう無いはずだった。
息を吸った。
甘い。
私は、動きを止めた。
花の甘さではない。もっと重くて、喉の奥に貼りつく。三周目に、この甘さで死んだ。
灰蜜。
部屋の隅を見た。香炉が二つ。水をかけて、黒い塊にした。火は消えている。煙は出ていない。
だが、灰は、そこにある。
水をかけても、灰は灰だ。濡れた灰の中に、何かが残っている。火があるあいだは煙と一緒に出ていって、火が消えると、ゆっくり、部屋の中に溜まる。
四周目、私は窓を開けていた。溜まる前に、外へ出ていた。だから死ななかった。代わりに、庭の香が入った。
今日は、閉めた。
出ていくところが、無い。
消したのでは、足りない。
息を止めた。前より、一つ早く止めた。
鎧戸へ歩いた。掛け金に手をかける。開ければ、庭の香が入る。開けなければ、灰が溜まる。どちらも、死ぬ。
手を、掛け金から離した。
灰蜜は、三つの毒でいちばん長い。三周目に、それは知っている。長いぶん、まだ動ける。動けるうちに、覚えておくことを整えた。
香炉は、消すのではなく、出す。
鐘が四つ。
膝が抜けた。
床に手をつく。石が冷たい。長椅子で、あの人が立ち上がる。速い。
抱え上げられる。閂。扉。廊下の冷たい空気が、顔に当たる。
あの人は、今日は、何も言わなかった。
私は、自分で掴んだ一字を、離さなかった。
灰。
離さないまま、白くなった。
五周目。 毒 杯(回避)/花(回避)/香(未回避・灰)/庭(回避) 生存 十四時間。四周目の十三時間から、一時間、延びた。
覚えておくこと。 一、香炉は、消すのではなく、部屋から出す。 二、割らなければ、あの人は「また」と言わない。 三、兄は、証文の話をしなければ、夜に来る。南の酒は死なない。 四、大叔母の「夜に」に、「夜に」と返すと、扇の上で目が止まる。 五、あの人の一言は、飲まなくても置いても変わらない。割ったときだけ、変わる。
鐘が六つ鳴った。
目を開けずに数えた。
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