木造の薬屋の店内。天井の梁から、乾かした薬草の束が何束も吊り下がっている。カウンターの奥に、亜麻色の髪を後ろで結び、麻の服に緑のエプロンを着けた若い女性が立ち、右手に緑色の液体の入った小瓶を持って微笑んでいる。背後の棚に色とりどりの小瓶、手前に白い乳鉢と乳棒、左の窓の外に街道の街並み。
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偽聖女として追放されたので、隣国で薬屋を始めました 第一話 熱冷ましの根

聖女の力が無いと暴かれ、ミアは国境の外へ押し出された。もともと彼女がやっていたのは祈りではなく、祖母の手帳に書かれた薬の調合だった。三日歩いて着いた寂れた街で、宿の主が熱を出して寝込んでいる。道端に灰根が生えている。ここは王国の外で、薬は罪ではない。

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異世界ファンタジー6,462字約13分で読めます

 国境の石は、思っていたより小さかった。

 膝くらいの高さの、ただの白い石だ。表に王国の紋が彫ってあるが、風でだいぶ削れていて、鳥の足のようにしか見えない。

 ミア・ハルトは、その石を跨いだ。

 跨いだところで、背中を押された。押したのは神殿の衛士で、悪気はなかったと思う。その人は「早くしてください」という顔をしていた。日が暮れる前に帰りたかったのだろう。

 ミアはよろけて、二歩進んで、振り返った。

 国境の門が、閉まるところだった。木の門扉が二枚、内側から押されて、蝶番が鳴って、合わさった。閂の落ちる音がした。

「お世話になりました」

 ミアは言った。

 門の向こうから、返事はなかった。

 ミアは荷物を数えた。

 布の袋が六つ。乾かした草が四袋と、空が二つ。臼はない。重くて持てなかった。

 祖母の手帳が一冊。革の表紙で、角が丸くなっている。

 銀貨が四枚。追放される者に渡される決まりの額だそうで、大神官が直々に手渡してくれた。手が震えていた。年のせいだと思う。

 それから、着ている服。

 以上。

 ミアは空を見た。まだ明るい。南へ続く道は、一本しかない。

「まあ、いいか」

 そう言って、歩き出した。

 道は下っていた。

 王国は高いところにある。北の山裾に石の都があって、そこから南へ、ゆるい坂が延々と続く。歩いていると、空気が少しずつ重くなって、草の種類が変わっていくのが分かる。

 二時間ほど歩いたところで、ミアは道端にしゃがんだ。

 白い、小さな星形の花が咲いていた。

「月花だ」

 思わず声が出た。

 王国では見なかった。山が高すぎて育たない。手帳には絵と名前だけがあって、「南に多い」と書いてある。

 ミアは葉を一枚つまんで、揉んで、嗅いだ。青くて、少し甘い。舌の先に当てる。苦味が来て、すぐ引く。

「うん、月花」

 空の袋を一つ開けて、周りの株から葉だけを摘んだ。根は残す。祖母の手帳の最初のページに、そう書いてある。

 ――根まで取れば、来年は無い。

 摘みながら、ミアは考えた。

 自分は追放された。偽聖女として。そのとおりだと思う。ミアは一度も「聖女です」と名乗っていないけれど、名乗らずにいたことは、名乗ったのと同じくらいずるい。

 神殿で三年、ミアは病人の枕元で祈った。手を額に当てて、決まった言葉を唱えた。

 唱えながら、祈りの前に、水を飲ませていた。

 その水には、袋の中の草を煮出したものが混ぜてあった。

 熱には灰根。咳にはしろ苔。腹には鉄葉の粉。祖母の手帳のとおりにやると、たいてい治った。治ると人は泣いて、ミアの手を握って、聖女さま、と言った。

 ミアは、そのたびに困った。

 困ったけれど、訂正しなかった。訂正すると、薬が使えなくなるからだ。

 王国では、薬は禁じられている。病は祈りで治すものと決まっていて、薬を使うのは祈りを疑うことだ、と神殿は言う。

 ミアは、祈りを疑ってはいない。ただ、祈りだけでは熱が下がらないことを知っていただけだ。

 三年目の冬、それが露見した。

 露見した経緯は単純で、袋を落としただけだった。

 石段で、袋の口が開いて、乾いた灰根が散らばった。拾っているところを、書記の一人に見られた。

 あとは早かった。

「その草は何か」

「薬です」

 それだけ言った。言い訳はしなかった。

 大神官オーウェンは、三日考えて、追放と決めた。

 処刑にはならなかった。理由は、ミアが治した病人の中に、有力な家の人間が何人もいたからだ。処刑にすると、その人たちが「では自分は薬で治ったのか」と考え始める。考えられると困る。

 だから、静かに外へ出した。

 ミアは、それでよかったと思っている。

 ただ、置いてきた臼が惜しかった。祖母が使っていたやつで、内側が使い込まれて、いい具合に丸くなっていた。

「臼、買わなきゃ」

 声に出して言って、袋の口を縛った。

 二日目の夕方、ミアは道端で人に会った。

 荷車を引いた老人で、車輪が轍にはまって動かなくなっていた。ミアは後ろから押した。三度目で抜けた。

「ありがたい。北から?」

「はい」

「そりゃ大変だ。あっちは石が多いだろう」

「多いです」

 老人は荷台から干した果実を一掴みくれて、南へ行くなら街道沿いのロウで休め、と言った。

「ただ、あそこはもう人がおらんよ。宿が二軒あるが、片方は閉じた」

「もう片方は」

「枯れ井戸亭。あれも、そのうち閉じるな」

「どうしてですか」

「主が一人でやってる。一人だと、寝込んだらそれきりだ」

 老人は荷車を引いて、北へ行った。

 ミアは干した果実を袋に入れて、南へ歩いた。

 三日かかった。

 一日目は野宿。二日目も野宿。三日目の昼過ぎに、屋根が見えた。

 街道の街だった。

 街道の街というのは、たいてい、道の両側に建物が並んでいて、人が歩いている。

 ここは、人が歩いていなかった。

 建物は並んでいる。ただ、そのうちの半分近くが、板を打ちつけて閉じられていた。看板の残っているものもあるが、字が読めないくらい剥げている。

 通りの中ほどに、井戸があった。石の縁が欠けている。

 その向かいに、宿が一軒あった。

 看板に、井戸の絵が描いてある。その井戸には水が入っていない。

「枯れ井戸亭」

 ミアは読み上げて、戸を押した。

 開いた。

 中は薄暗く、板張りの食堂に椅子が伏せてあった。カウンターの奥で、何かが動いた。

「……悪いが、今日は休みだ」

 声が、掠れていた。

 ミアはカウンターに近づいた。

 男が一人、床に敷いた毛布の上に横になっていた。五十半ばくらい。肩幅が広く、腕が太く、その太い腕が小刻みに震えている。顔が赤い。

 ミアは、しゃがんだ。

「熱がありますね」

「ほっといてくれ」

「いつからですか」

「……三日」

「三日」ミアは眉を上げた。「食べました?」

「……」

「飲みました?」

 男は答えなかった。

 ミアは立ち上がって、カウンターの向こうを覗いた。水甕がある。柄杓が甕の縁にかかったままで、乾いていた。ここ数日、誰も汲んでいない。

 ミアは柄杓で水を汲み、男の口元へ持っていった。

「飲んでください」

「いい」

「三日です。飲んでください」

 男は、目を開けてミアを見た。

「あんた、誰だ」

「旅の者です。今日着きました」

「宿は、やってない」

「はい、聞きました」

 ミアは柄杓を近づけた。

 男は、しばらく睨んでから、口を開けた。ミアは少しずつ流し込んだ。半分ほど飲んで、咳き込んで、残りをこぼした。

「もう一杯いきましょう」

「……あんた、押しが強いな」

「よく言われます」

 二杯目を飲ませて、ミアは外へ出た。

 通りを北へ歩いて、井戸の裏の空き地を見た。人が通らなくなった土地は、草が生える。

 ミアはしゃがんで、指で葉を分けた。

 鋸のような縁の、灰色がかった細い葉。根元が赤い。

「あった」

 灰根だった。

 王国の山でも育つが、こちらのほうがずっと太い。日がよく当たっているのだろう。

 ミアは、腰の小刀で根の周りの土を崩した。根は指ほどの太さで、途中で二股に分かれていた。

 三株掘って、二株は残した。

 宿へ戻って、厨房を借りた。借りると言っても、寝ている主に「厨房、使いますね」と声をかけただけだ。

「……勝手にしろ」

「はい」

 竈に火を熾すのに手間取った。火打ち石の打ち方が下手で、七回目でやっと炭に移った。

 鍋を洗って、水を張って、火にかける。

 そのあいだに、灰根を洗った。井戸の水は澄んでいた。枯れ井戸亭という名前のわりに、井戸は生きている。

 洗った根の泥を落として、皮を薄く削いだ。皮は捨てる。ここに苦味が集まっていて、飲みにくくなる。

 削いだ根を、薄く輪切りにする。

 薄いほどいい、と手帳に書いてある。厚いと、外側だけ煮えて中が残る。

 湯が沸いた。

 沸いたら、いったん火から少し離す。ぐらぐらのまま入れると、いい成分が飛ぶ。

 輪切りにした灰根を、湯に入れた。

 しゅ、と音がして、白い湯が、すぐに薄い茶色になった。

 においが立った。

 土のにおいと、干した藁のにおいと、少しだけ薬のにおい。ミアはこのにおいが好きだ。祖母の台所は、いつもこのにおいがしていた。

 数を数える。手帳には「ゆっくり三百」と書いてある。

 ミアは口の中で数えた。百を過ぎたころ、宿の主が身じろぎする音がした。

 二百を過ぎたころ、外で犬が鳴いた。

 三百。

 鍋を下ろして、布で漉した。布は袋の空いていたやつを裂いて使った。

 漉した汁は、濃い茶色だった。湯呑みに移すと、湯気の中に細かい粒が舞った。

「できました」

 ミアは湯呑みを持って、カウンターの裏へ行った。

「起きてください」

「……なんだそれ」

「薬です」

 男の目が、動いた。

 ミアは、そのとき初めて気づいた。

 いま、自分は「薬です」と言った。

 三年間、一度も言わなかった言葉だ。

「薬だと」

「はい」

「……薬って」男は、掠れた声で言った。「あんた、北から来たのか」

「はい」

「北じゃ、そりゃ、罪だろう」

 ミアは、湯呑みを両手で持ったまま、少し考えた。

 それから言った。

「ここは、王国の外なので」

 男は、天井を見た。しばらく何も言わなかった。

「……罪じゃないのか」

「たぶん、違います」

「たぶんか」

「はい、たぶんです。私も昨日までよく知らなかったので」

 男は、低く笑った。笑って、咳き込んだ。

「飲んでください。熱いです」

 ミアは、男の頭の下に丸めた毛布を入れて、少し起こした。湯呑みを口元へ持っていく。

 男は一口飲んで、顔をしかめた。

「苦い」

「苦いです。苦くないやつは効きません」

「そんなわけあるか」

「そんなわけあります」

 男は、三度に分けて飲み干した。

「これで治るのか」

「効かなかったら、言ってくださいね」

 男は、空になった湯呑みを見てから、ミアを見た。

「……変な女だな」

「よく言われます」

 同じ夜、国境の北。

 セルディア王国の神殿では、大神官オーウェンが、書記の報告を聞いていた。

「西の病棟、十一人。快方に向かっているのは三人です」

「三人」

「はい」

 オーウェンは、指を組んだ。

 先月は、十一人のうち九人が快方に向かっていた。先々月は十人のうち八人だった。

「新しい聖女候補は」

「毎朝、毎夕、祈っておられます」

「回数が足りんのではないか」

「一日に四十二回でございます」

 オーウェンは黙った。

 書記のフェルンは、帳面を閉じずに立っていた。三十一歳。記録を取るのが仕事で、数を並べるのが上手い。

「大神官さま」

「なんだ」

「一つ、お尋ねしてもよろしいですか」

「言え」

「先の聖女候補が務めておられた三年間、快方に向かった者の割合は、八割を超えておりました。いまは、三割を切っております」

「……」

「信心の量が、この三か月で半分以下になったということでしょうか」

 オーウェンは、フェルンを見た。

「言葉を選べ」

「はい。失礼をいたしました」

 フェルンは頭を下げて、下がった。

 下がりながら、帳面の余白に、細かい字で数字を書き足した。

 八割、三割、と。

 ミアは、その夜、食堂の椅子を二つ並べて寝た。

 毛布はなかったので、荷物の袋を抱えて丸くなった。板張りの床から冷えが上がってくる。王国の石の宿坊よりは、ましだった。

 夜中に、二度起きた。

 一度目は、男の呼吸が速くなったとき。ミアは水を飲ませて、額に濡らした布を置いた。

 二度目は、男が寝言を言ったとき。女の名前だった。ミアは聞かなかったことにした。

 三度目に目を開けたとき、板の隙間が白かった。

 ミアは起き上がって、カウンターの裏を覗いた。

 男は、眠っていた。

 顔の赤みが引いていた。額に手を当てる。汗で湿っている。熱い、というほどではない。

 ミアは、息を吐いた。

 こういうとき、王国では、祈りの言葉を唱えることになっていた。唱えると病人の家族が泣いて、喜んでくれた。

 ここには誰もいない。

 ミアは、代わりに、手帳を開いて、空いている行に書いた。

 ――灰根、南のもの。根が太い。皮を削いで薄く切り、ゆっくり三百。一晩で熱が引いた。五十代、男、大柄。

 書き終えて、ミアは厨房へ行き、湯を沸かした。

 朝、男は自分で起き上がった。

 カウンターに手をついて、ゆっくり立って、それから、おそるおそる二、三歩あるいた。

「……治ってやがる」

「まだ治ってません。三日ぶん食べてないので、今日は粥にしてください」

「粥」

「作れます?」

「宿屋だぞ」

 男は、ぶつぶつ言いながら厨房へ入っていった。火の熾し方が、ミアの七倍速かった。

 粥は二人ぶんあった。

 ミアは椅子に座って、食べた。塩と、干した肉の切れ端だけの粥で、三日ぶりのまともな食事だった。

「うまいです」

「粥だぞ」

「粥がうまいです」

 男は、匙を止めた。

「……ボルグだ」

「え」

「名前だ」

「ミアです。ミア・ハルト」

 ボルグは頷いて、また食べ始めた。

「ハルト。北の名前だな」

「はい」

「何をして追い出された」

 ミアは、少し驚いた。追い出された、と言い当てられるとは思わなかった。

「薬です」

「昨日のあれか」

「はい」

「あれで追い出されたのか」

「はい」

 ボルグは、匙を置いた。

「……馬鹿な国だな」

「そうかもしれません」

「そうかもしれません、じゃねえよ」

 ボルグは苛立たしげに言って、それから、大きく息を吐いた。

「あんた、これからどうする」

 ミアは、粥の最後の一口を飲み込んだ。

 それから、戸の外を指さした。

 通りの向かいに、板を打ちつけられた店舗がある。間口は狭い。看板は無い。窓が一つと、扉が一つ。

「あそこ、貸してもらえませんか」

 ボルグは、戸口のほうを見て、それからミアを見て、それから、また戸口を見た。

「あれは、俺の持ち物だが」

「知りませんでした。ちょうどいいですね」

「あんた」ボルグは額に手を当てた。「金は」

「銀貨が四枚あります」

「四枚」

「はい」

「四枚で何ができると思ってる」

「臼が一つ買えます」

 ボルグは、しばらくミアを見ていた。

 それから、椅子の背にもたれて、天井を見上げた。

「……家賃は、月に銀貨一枚だ」

「高くないですか」

「安い」

「そうですか」

「相場を知らんだろ」

「知りません」

 ボルグは、額を押さえたまま言った。

「先月ぶんはいらん。今月ぶんも、いらん」

「え」

「昨日の礼だ」

 ミアは、口を開けた。

「それ、いくらですか」

「何が」

「昨日の薬です。いくらもらえばいいですか」

 ボルグは、手を下ろして、ミアを見た。

 真顔だった。

「あんた、それ、いままで金を取ったことがないのか」

「神殿では、取りませんでした」

「……」

 ボルグは、しばらく黙っていた。

 それから、椅子を引いて、立ち上がった。

「鍵は、あとで持ってく」

「ありがとうございます」

「それと」

「はい」

「値段の付け方は、俺が教える」

 ミアは、鍵を受け取って、通りを渡った。

 板を剥がしていると、通りの向こうから人が来た。

 背の高い女だった。二十代の後半くらい。煤で汚れた前掛けをつけていて、右手に金槌を持っている。左腕は、袖の中で動いていなかった。

「あんたか。ボルグの熱を下げたってのは」

「もう聞いたんですか」

「この街、三百人しかいないよ」

 女は金槌を肩に載せて、ミアの手元を見た。

「釘、折れてるね。それ、全部やる気?」

「やります」

「その爪起こしじゃ無理だ」

 女は前掛けの腰から、細い鉄の棒を抜いて、ミアに渡した。先が薄く曲げてある。

「貸すよ。明日返して」

「ありがとうございます。あの」

「なに」

「臼を作れる方を、ご存じですか」

 女は、片眉を上げた。

「作れるよ」

「え」

「鍛冶屋だからね」

 女は、通りの南を顎で示した。低い煙突のある建物が見えた。

「石臼か、鉄臼か」

「石がいいです。鉄だと、草に色が移ることがあって」

 女は、初めてミアの顔をまっすぐ見た。

「……ふうん」

「何か」

「いや。ちゃんと理由を言うやつは久しぶりだと思って」

 女は背を向けて、歩き出した。

「ネイだ。来るなら、朝のうちにおいで。昼は暑い」

 板を剥がすのに半日かかった。釘が錆びていて、途中で折れた。

 中は埃だらけだった。前は何の店だったのか、壁に細い棚がたくさん残っていた。これは使える。

 窓の板を外すと、光が入った。

 埃が舞って、光の柱の中でゆっくり回った。

 ミアは、床に腰を下ろして、それをしばらく見ていた。

 持っているものを数えた。

 布の袋が五つ。うち、乾かした草が四袋と、月花が半袋。(一つは漉し布にした)

 祖母の手帳。

 銀貨が四枚。

 それから、棚が十二段と、窓が一つ。

「充分です」

 ミアは立ち上がって、袖をまくった。