
偽聖女として追放されたので、隣国で薬屋を始めました 第一話 熱冷ましの根
聖女の力が無いと暴かれ、ミアは国境の外へ押し出された。もともと彼女がやっていたのは祈りではなく、祖母の手帳に書かれた薬の調合だった。三日歩いて着いた寂れた街で、宿の主が熱を出して寝込んでいる。道端に灰根が生えている。ここは王国の外で、薬は罪ではない。
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国境の石は、思っていたより小さかった。
膝くらいの高さの、ただの白い石だ。表に王国の紋が彫ってあるが、風でだいぶ削れていて、鳥の足のようにしか見えない。
ミア・ハルトは、その石を跨いだ。
跨いだところで、背中を押された。押したのは神殿の衛士で、悪気はなかったと思う。その人は「早くしてください」という顔をしていた。日が暮れる前に帰りたかったのだろう。
ミアはよろけて、二歩進んで、振り返った。
国境の門が、閉まるところだった。木の門扉が二枚、内側から押されて、蝶番が鳴って、合わさった。閂の落ちる音がした。
「お世話になりました」
ミアは言った。
門の向こうから、返事はなかった。
ミアは荷物を数えた。
布の袋が六つ。乾かした草が四袋と、空が二つ。臼はない。重くて持てなかった。
祖母の手帳が一冊。革の表紙で、角が丸くなっている。
銀貨が四枚。追放される者に渡される決まりの額だそうで、大神官が直々に手渡してくれた。手が震えていた。年のせいだと思う。
それから、着ている服。
以上。
ミアは空を見た。まだ明るい。南へ続く道は、一本しかない。
「まあ、いいか」
そう言って、歩き出した。
道は下っていた。
王国は高いところにある。北の山裾に石の都があって、そこから南へ、ゆるい坂が延々と続く。歩いていると、空気が少しずつ重くなって、草の種類が変わっていくのが分かる。
二時間ほど歩いたところで、ミアは道端にしゃがんだ。
白い、小さな星形の花が咲いていた。
「月花だ」
思わず声が出た。
王国では見なかった。山が高すぎて育たない。手帳には絵と名前だけがあって、「南に多い」と書いてある。
ミアは葉を一枚つまんで、揉んで、嗅いだ。青くて、少し甘い。舌の先に当てる。苦味が来て、すぐ引く。
「うん、月花」
空の袋を一つ開けて、周りの株から葉だけを摘んだ。根は残す。祖母の手帳の最初のページに、そう書いてある。
――根まで取れば、来年は無い。
摘みながら、ミアは考えた。
自分は追放された。偽聖女として。そのとおりだと思う。ミアは一度も「聖女です」と名乗っていないけれど、名乗らずにいたことは、名乗ったのと同じくらいずるい。
神殿で三年、ミアは病人の枕元で祈った。手を額に当てて、決まった言葉を唱えた。
唱えながら、祈りの前に、水を飲ませていた。
その水には、袋の中の草を煮出したものが混ぜてあった。
熱には灰根。咳にはしろ苔。腹には鉄葉の粉。祖母の手帳のとおりにやると、たいてい治った。治ると人は泣いて、ミアの手を握って、聖女さま、と言った。
ミアは、そのたびに困った。
困ったけれど、訂正しなかった。訂正すると、薬が使えなくなるからだ。
王国では、薬は禁じられている。病は祈りで治すものと決まっていて、薬を使うのは祈りを疑うことだ、と神殿は言う。
ミアは、祈りを疑ってはいない。ただ、祈りだけでは熱が下がらないことを知っていただけだ。
三年目の冬、それが露見した。
露見した経緯は単純で、袋を落としただけだった。
石段で、袋の口が開いて、乾いた灰根が散らばった。拾っているところを、書記の一人に見られた。
あとは早かった。
「その草は何か」
「薬です」
それだけ言った。言い訳はしなかった。
大神官オーウェンは、三日考えて、追放と決めた。
処刑にはならなかった。理由は、ミアが治した病人の中に、有力な家の人間が何人もいたからだ。処刑にすると、その人たちが「では自分は薬で治ったのか」と考え始める。考えられると困る。
だから、静かに外へ出した。
ミアは、それでよかったと思っている。
ただ、置いてきた臼が惜しかった。祖母が使っていたやつで、内側が使い込まれて、いい具合に丸くなっていた。
「臼、買わなきゃ」
声に出して言って、袋の口を縛った。
二日目の夕方、ミアは道端で人に会った。
荷車を引いた老人で、車輪が轍にはまって動かなくなっていた。ミアは後ろから押した。三度目で抜けた。
「ありがたい。北から?」
「はい」
「そりゃ大変だ。あっちは石が多いだろう」
「多いです」
老人は荷台から干した果実を一掴みくれて、南へ行くなら街道沿いのロウで休め、と言った。
「ただ、あそこはもう人がおらんよ。宿が二軒あるが、片方は閉じた」
「もう片方は」
「枯れ井戸亭。あれも、そのうち閉じるな」
「どうしてですか」
「主が一人でやってる。一人だと、寝込んだらそれきりだ」
老人は荷車を引いて、北へ行った。
ミアは干した果実を袋に入れて、南へ歩いた。
三日かかった。
一日目は野宿。二日目も野宿。三日目の昼過ぎに、屋根が見えた。
街道の街だった。
街道の街というのは、たいてい、道の両側に建物が並んでいて、人が歩いている。
ここは、人が歩いていなかった。
建物は並んでいる。ただ、そのうちの半分近くが、板を打ちつけて閉じられていた。看板の残っているものもあるが、字が読めないくらい剥げている。
通りの中ほどに、井戸があった。石の縁が欠けている。
その向かいに、宿が一軒あった。
看板に、井戸の絵が描いてある。その井戸には水が入っていない。
「枯れ井戸亭」
ミアは読み上げて、戸を押した。
開いた。
中は薄暗く、板張りの食堂に椅子が伏せてあった。カウンターの奥で、何かが動いた。
「……悪いが、今日は休みだ」
声が、掠れていた。
ミアはカウンターに近づいた。
男が一人、床に敷いた毛布の上に横になっていた。五十半ばくらい。肩幅が広く、腕が太く、その太い腕が小刻みに震えている。顔が赤い。
ミアは、しゃがんだ。
「熱がありますね」
「ほっといてくれ」
「いつからですか」
「……三日」
「三日」ミアは眉を上げた。「食べました?」
「……」
「飲みました?」
男は答えなかった。
ミアは立ち上がって、カウンターの向こうを覗いた。水甕がある。柄杓が甕の縁にかかったままで、乾いていた。ここ数日、誰も汲んでいない。
ミアは柄杓で水を汲み、男の口元へ持っていった。
「飲んでください」
「いい」
「三日です。飲んでください」
男は、目を開けてミアを見た。
「あんた、誰だ」
「旅の者です。今日着きました」
「宿は、やってない」
「はい、聞きました」
ミアは柄杓を近づけた。
男は、しばらく睨んでから、口を開けた。ミアは少しずつ流し込んだ。半分ほど飲んで、咳き込んで、残りをこぼした。
「もう一杯いきましょう」
「……あんた、押しが強いな」
「よく言われます」
二杯目を飲ませて、ミアは外へ出た。
通りを北へ歩いて、井戸の裏の空き地を見た。人が通らなくなった土地は、草が生える。
ミアはしゃがんで、指で葉を分けた。
鋸のような縁の、灰色がかった細い葉。根元が赤い。
「あった」
灰根だった。
王国の山でも育つが、こちらのほうがずっと太い。日がよく当たっているのだろう。
ミアは、腰の小刀で根の周りの土を崩した。根は指ほどの太さで、途中で二股に分かれていた。
三株掘って、二株は残した。
宿へ戻って、厨房を借りた。借りると言っても、寝ている主に「厨房、使いますね」と声をかけただけだ。
「……勝手にしろ」
「はい」
竈に火を熾すのに手間取った。火打ち石の打ち方が下手で、七回目でやっと炭に移った。
鍋を洗って、水を張って、火にかける。
そのあいだに、灰根を洗った。井戸の水は澄んでいた。枯れ井戸亭という名前のわりに、井戸は生きている。
洗った根の泥を落として、皮を薄く削いだ。皮は捨てる。ここに苦味が集まっていて、飲みにくくなる。
削いだ根を、薄く輪切りにする。
薄いほどいい、と手帳に書いてある。厚いと、外側だけ煮えて中が残る。
湯が沸いた。
沸いたら、いったん火から少し離す。ぐらぐらのまま入れると、いい成分が飛ぶ。
輪切りにした灰根を、湯に入れた。
しゅ、と音がして、白い湯が、すぐに薄い茶色になった。
においが立った。
土のにおいと、干した藁のにおいと、少しだけ薬のにおい。ミアはこのにおいが好きだ。祖母の台所は、いつもこのにおいがしていた。
数を数える。手帳には「ゆっくり三百」と書いてある。
ミアは口の中で数えた。百を過ぎたころ、宿の主が身じろぎする音がした。
二百を過ぎたころ、外で犬が鳴いた。
三百。
鍋を下ろして、布で漉した。布は袋の空いていたやつを裂いて使った。
漉した汁は、濃い茶色だった。湯呑みに移すと、湯気の中に細かい粒が舞った。
「できました」
ミアは湯呑みを持って、カウンターの裏へ行った。
「起きてください」
「……なんだそれ」
「薬です」
男の目が、動いた。
ミアは、そのとき初めて気づいた。
いま、自分は「薬です」と言った。
三年間、一度も言わなかった言葉だ。
「薬だと」
「はい」
「……薬って」男は、掠れた声で言った。「あんた、北から来たのか」
「はい」
「北じゃ、そりゃ、罪だろう」
ミアは、湯呑みを両手で持ったまま、少し考えた。
それから言った。
「ここは、王国の外なので」
男は、天井を見た。しばらく何も言わなかった。
「……罪じゃないのか」
「たぶん、違います」
「たぶんか」
「はい、たぶんです。私も昨日までよく知らなかったので」
男は、低く笑った。笑って、咳き込んだ。
「飲んでください。熱いです」
ミアは、男の頭の下に丸めた毛布を入れて、少し起こした。湯呑みを口元へ持っていく。
男は一口飲んで、顔をしかめた。
「苦い」
「苦いです。苦くないやつは効きません」
「そんなわけあるか」
「そんなわけあります」
男は、三度に分けて飲み干した。
「これで治るのか」
「効かなかったら、言ってくださいね」
男は、空になった湯呑みを見てから、ミアを見た。
「……変な女だな」
「よく言われます」
同じ夜、国境の北。
セルディア王国の神殿では、大神官オーウェンが、書記の報告を聞いていた。
「西の病棟、十一人。快方に向かっているのは三人です」
「三人」
「はい」
オーウェンは、指を組んだ。
先月は、十一人のうち九人が快方に向かっていた。先々月は十人のうち八人だった。
「新しい聖女候補は」
「毎朝、毎夕、祈っておられます」
「回数が足りんのではないか」
「一日に四十二回でございます」
オーウェンは黙った。
書記のフェルンは、帳面を閉じずに立っていた。三十一歳。記録を取るのが仕事で、数を並べるのが上手い。
「大神官さま」
「なんだ」
「一つ、お尋ねしてもよろしいですか」
「言え」
「先の聖女候補が務めておられた三年間、快方に向かった者の割合は、八割を超えておりました。いまは、三割を切っております」
「……」
「信心の量が、この三か月で半分以下になったということでしょうか」
オーウェンは、フェルンを見た。
「言葉を選べ」
「はい。失礼をいたしました」
フェルンは頭を下げて、下がった。
下がりながら、帳面の余白に、細かい字で数字を書き足した。
八割、三割、と。
ミアは、その夜、食堂の椅子を二つ並べて寝た。
毛布はなかったので、荷物の袋を抱えて丸くなった。板張りの床から冷えが上がってくる。王国の石の宿坊よりは、ましだった。
夜中に、二度起きた。
一度目は、男の呼吸が速くなったとき。ミアは水を飲ませて、額に濡らした布を置いた。
二度目は、男が寝言を言ったとき。女の名前だった。ミアは聞かなかったことにした。
三度目に目を開けたとき、板の隙間が白かった。
ミアは起き上がって、カウンターの裏を覗いた。
男は、眠っていた。
顔の赤みが引いていた。額に手を当てる。汗で湿っている。熱い、というほどではない。
ミアは、息を吐いた。
こういうとき、王国では、祈りの言葉を唱えることになっていた。唱えると病人の家族が泣いて、喜んでくれた。
ここには誰もいない。
ミアは、代わりに、手帳を開いて、空いている行に書いた。
――灰根、南のもの。根が太い。皮を削いで薄く切り、ゆっくり三百。一晩で熱が引いた。五十代、男、大柄。
書き終えて、ミアは厨房へ行き、湯を沸かした。
朝、男は自分で起き上がった。
カウンターに手をついて、ゆっくり立って、それから、おそるおそる二、三歩あるいた。
「……治ってやがる」
「まだ治ってません。三日ぶん食べてないので、今日は粥にしてください」
「粥」
「作れます?」
「宿屋だぞ」
男は、ぶつぶつ言いながら厨房へ入っていった。火の熾し方が、ミアの七倍速かった。
粥は二人ぶんあった。
ミアは椅子に座って、食べた。塩と、干した肉の切れ端だけの粥で、三日ぶりのまともな食事だった。
「うまいです」
「粥だぞ」
「粥がうまいです」
男は、匙を止めた。
「……ボルグだ」
「え」
「名前だ」
「ミアです。ミア・ハルト」
ボルグは頷いて、また食べ始めた。
「ハルト。北の名前だな」
「はい」
「何をして追い出された」
ミアは、少し驚いた。追い出された、と言い当てられるとは思わなかった。
「薬です」
「昨日のあれか」
「はい」
「あれで追い出されたのか」
「はい」
ボルグは、匙を置いた。
「……馬鹿な国だな」
「そうかもしれません」
「そうかもしれません、じゃねえよ」
ボルグは苛立たしげに言って、それから、大きく息を吐いた。
「あんた、これからどうする」
ミアは、粥の最後の一口を飲み込んだ。
それから、戸の外を指さした。
通りの向かいに、板を打ちつけられた店舗がある。間口は狭い。看板は無い。窓が一つと、扉が一つ。
「あそこ、貸してもらえませんか」
ボルグは、戸口のほうを見て、それからミアを見て、それから、また戸口を見た。
「あれは、俺の持ち物だが」
「知りませんでした。ちょうどいいですね」
「あんた」ボルグは額に手を当てた。「金は」
「銀貨が四枚あります」
「四枚」
「はい」
「四枚で何ができると思ってる」
「臼が一つ買えます」
ボルグは、しばらくミアを見ていた。
それから、椅子の背にもたれて、天井を見上げた。
「……家賃は、月に銀貨一枚だ」
「高くないですか」
「安い」
「そうですか」
「相場を知らんだろ」
「知りません」
ボルグは、額を押さえたまま言った。
「先月ぶんはいらん。今月ぶんも、いらん」
「え」
「昨日の礼だ」
ミアは、口を開けた。
「それ、いくらですか」
「何が」
「昨日の薬です。いくらもらえばいいですか」
ボルグは、手を下ろして、ミアを見た。
真顔だった。
「あんた、それ、いままで金を取ったことがないのか」
「神殿では、取りませんでした」
「……」
ボルグは、しばらく黙っていた。
それから、椅子を引いて、立ち上がった。
「鍵は、あとで持ってく」
「ありがとうございます」
「それと」
「はい」
「値段の付け方は、俺が教える」
ミアは、鍵を受け取って、通りを渡った。
板を剥がしていると、通りの向こうから人が来た。
背の高い女だった。二十代の後半くらい。煤で汚れた前掛けをつけていて、右手に金槌を持っている。左腕は、袖の中で動いていなかった。
「あんたか。ボルグの熱を下げたってのは」
「もう聞いたんですか」
「この街、三百人しかいないよ」
女は金槌を肩に載せて、ミアの手元を見た。
「釘、折れてるね。それ、全部やる気?」
「やります」
「その爪起こしじゃ無理だ」
女は前掛けの腰から、細い鉄の棒を抜いて、ミアに渡した。先が薄く曲げてある。
「貸すよ。明日返して」
「ありがとうございます。あの」
「なに」
「臼を作れる方を、ご存じですか」
女は、片眉を上げた。
「作れるよ」
「え」
「鍛冶屋だからね」
女は、通りの南を顎で示した。低い煙突のある建物が見えた。
「石臼か、鉄臼か」
「石がいいです。鉄だと、草に色が移ることがあって」
女は、初めてミアの顔をまっすぐ見た。
「……ふうん」
「何か」
「いや。ちゃんと理由を言うやつは久しぶりだと思って」
女は背を向けて、歩き出した。
「ネイだ。来るなら、朝のうちにおいで。昼は暑い」
板を剥がすのに半日かかった。釘が錆びていて、途中で折れた。
中は埃だらけだった。前は何の店だったのか、壁に細い棚がたくさん残っていた。これは使える。
窓の板を外すと、光が入った。
埃が舞って、光の柱の中でゆっくり回った。
ミアは、床に腰を下ろして、それをしばらく見ていた。
持っているものを数えた。
布の袋が五つ。うち、乾かした草が四袋と、月花が半袋。(一つは漉し布にした)
祖母の手帳。
銀貨が四枚。
それから、棚が十二段と、窓が一つ。
「充分です」
ミアは立ち上がって、袖をまくった。
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