夕日の差す石畳の細い路地。石造りの家に挟まれた階段に、茶色の髪で使い古した革のベストとブーツ姿の若い男性が腰かけ、左の手のひらに乗せた体長二十センチほどの灰緑色の小さな竜に、右手で餌をやっている。竜には小さな翼と大きな目がある。周囲に鉢植えの花と洗濯物。
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最弱テイマーが拾った卵は、竜でした 第一話 拾う

従魔一匹しか従えられない等外テイマーのロウは、二十六歳でギルドの札を外された。帰り道、東の岩場の石の窪みに卵が一つあった。転がっていたのではなく、置いてあった。その夜、宿の部屋で卵が割れる。出てきたのは手のひらに乗る大きさで、火も吐けず、飛べもしない。三百年前に絶えたはずの生き物だった。

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異世界ファンタジー5,035字約10分で読めます

〇日目。 体長 ――  体重 ―― 食べたもの ―― 飛べた距離 ――

 等外の札は、掲示板のいちばん下に貼られている。

 一等が上、二等がその下、三等がさらに下。等外は、板の下の縁から指三本ぶんのところに、小さく貼ってある。屈まないと読めない。

 俺は、そこに屈んで、自分の名前を見ていた。

 ロウ/従魔〇/登録八年目。

 従魔〇。

 三か月前までは、一だった。

 背中で、ギルドの扉が開いた。誰かが入ってきて、受付へ行く。話し声。笑い声。俺は動かなかった。

「ロウさん」

 呼ばれて、振り返った。

 受付のマリが、カウンターの内側から手招きしていた。三十一歳。この街のギルドに七年いる。事務的な人で、無駄なことを言わない。

 俺は立ち上がって、行った。膝が鳴った。

「これ」

 マリが、木の札を一枚、カウンターに置いた。

 俺の名前が焼き印で入っている。等外の札だ。

「外しました」

「……はい」

「規定で、従魔がゼロの状態が三か月続くと、登録が失効します。先月のお知らせに書いてありました」

「読みました」

「読んでらしたんですね」

 マリは、少しだけ意外そうな顔をした。

「読みました。……返す場所が、分からなくて」

「返さなくていいです。記念品なので」

 記念品、という言葉が、俺の胸のどこかに引っかかった。

「あの」

「はい」

「もう一度、登録するには」

「実技試験からです」

「試験は」

「春です」

「……半年ですね」

「はい」

 マリは、書類に何か書き込んだ。その手が、いつもより速かった。

「ロウさん」

「はい」

「あの」

 マリは顔を上げなかった。

「……ごめんなさい、なんでもないです」

 俺は、札を握って、ギルドを出た。

 カルナ街は、三本の街道が交わる中継地だ。従魔市が立ち、荷運びの獣が通りを塞ぎ、朝から晩まで蹄の音がしている。

 俺は、その音を聞きながら、東の門へ歩いた。

 従魔は、三か月前に死んだ。

 シロという名前の、灰色の毛の犬だった。名前と毛の色が合っていないとよく笑われた。拾ったとき真っ白だったのだ、と説明するのが面倒で、途中から笑われるままにしていた。

 十二年、一緒にいた。資格を取る六年前に拾って、資格を取ってから登録した。

 テイマーの格は、従える数で決まる。十匹以上が一等、三匹で三等。一匹は等外だ。

 俺は、十二年やって、ずっと一匹だった。

 増やそうとしたことはある。二匹目を取ろうとしたことが、三度ある。三度とも、シロが痩せた。

 名を与え、食べ物を覚えさせ、危険を教える。テイマーの技はそれだけで、そのぶん、全部を一匹に向けてしまう気質の人間には、二匹目が持てない。

 才能ではなく、気質だ。ギルドの講師にそう言われた。二十のときだった。

「一匹でいいんですよ、俺は」

 そう答えたのを覚えている。

 いま、その一匹もいない。

 東の門を出ると、岩場が広がっている。

 昔、川が流れていた場所らしい。白っぽい岩が段になっていて、隙間に硬い草が生えている。獣も来ない。だから誰も来ない。

 俺は、この岩場を歩くのが好きだった。

 シロと、よくここへ来た。シロは岩の上をぴょんぴょんと渡って、いちばん高いところに座って、俺が追いつくのを待っていた。

 今日は、その岩まで登った。

 登って、座って、街を見下ろした。

 夕方の街は、煙が真っ直ぐ上がっている。風がない。

 俺は、札を出して、見た。

 ロウ/従魔〇/登録八年目。

 岩の隙間に捨てようとして、やめた。

 捨てると、本当に終わる気がした。

 立ち上がって、帰ろうとしたとき、足元に何かがあった。

 岩のくぼみだった。

 直径が、両手を広げたくらい。深さは膝ほど。底に、乾いた草が敷き詰めてある。

 その真ん中に、卵が一つ置いてあった。

 俺は、しゃがんだ。

 白っぽい殻で、表面に細かい斑点がある。大きさは、両手で包むくらい。

 最初に思ったのは、鳥だろうか、ということだった。

 次に思ったのは、違う、ということだった。

 鳥の巣は、こんなに整っていない。草の敷き方が、外から内へ渦を巻いている。獣が体で押し固めた形ではない。

 手で、置いてある。

 俺は、周りを見回した。

 誰もいない。足跡もない。岩場は硬くて、跡が残らない。

 卵に触れた。

 冷たくなかった。

 夕方の岩は冷えている。なのに、卵はぬるかった。人の体温より少し低いくらい。

「……」

 俺は、しばらくそのまま座っていた。

 持ち帰る理由は、無かった。

 テイマーの登録は失効した。従魔を取る資格はない。無登録で従魔を持つのは違反ではないが、仕事は取れない。

 それに、これが何の卵か分からない。孵ってから手に負えないものだったら、街に迷惑がかかる。

 理由は、無い。

 俺は、上着を脱いだ。

 脱いで、卵を包んで、抱えた。

「……なんでだよ」

 自分に言った。

 答えは出なかった。

 宿は、街の西の端にある。一晩で銅貨三枚の安宿で、俺はここに四年住んでいる。

 部屋は、寝台と、小さな机と、窓が一つ。

 俺は卵を寝台に置いて、毛布をかけた。かけてから、暑すぎるかもしれないと思って、半分めくった。

 それから、机の前に座った。

 机の上には、帳面が三冊ある。

 一冊目は、シロの育成記録だ。十二年ぶん、全部書いてある。最後のページの日付は三か月前で、そこには一行だけ書いてある。

 ――四千三百八日目。散歩、いつもの岩場まで。体重、減。

 二冊目は、餌の帳面。三冊目は、白紙だ。

 俺は、三冊目を開いた。開いて、閉じた。

 何を書けばいいのか分からなかった。孵るかどうかも分からない。

 窓の外が暗くなった。

 俺は、干し肉を一切れ齧って、水を飲んで、寝台の端に座った。

 卵を見ていた。

 八年、テイマーをやって、卵から育てたことは一度もない。テイマーが扱うのは、たいてい成体か、それに近い獣だ。卵から育てるのは畜産の仕事で、技術が違う。

「……温度、どのくらいなんだろうな」

 俺は、卵に手を当てた。

 ぬるい。

 その手のひらの下で、こつん、と音がした。

 俺は、手を引いた。

 もう一度、こつん。

 内側から、殻を叩く音だった。

 俺は、寝台から降りて、床に膝をついた。

 こつ、こつ、こつん。

 音が速くなる。殻の一点に、白い線が走った。線は枝分かれして、蜘蛛の巣のように広がった。

 殻が、剥がれた。

 小さな穴が開いて、そこから、何かが突き出た。

 爪だった。

 黒くて、艶があって、俺の小指の爪くらいの大きさで、先が鋭い。

 俺は、動かなかった。

 爪が引っ込んで、また出た。二度、三度。そのたびに穴が広がる。

 殻の上半分が、割れて落ちた。

 中から、頭が出た。

 鱗があった。

 灰色がかった緑で、夕方の光の残りを受けて、わずかに虹色に光った。目が、大きい。顔の半分が目だ。その目が、開いて、俺を見た。

 首が伸びて、肩が出て、前脚が縁にかかった。

 そして、背中から、折り畳まれたものが広がった。

 翼だった。

 俺は、息を吸った。

 吸って、止めた。

 従魔市で、いろんな獣を見てきた。羽のある獣もいる。だが、これは違う。

 骨が、三本ある。

 翼の骨が三本で、その間に薄い膜が張っている。鳥でも、蝙蝠でもない。

 そして、首から背中へ、小さな棘が並んでいる。

 俺は、ギルドの資料室にあった古い本の挿絵を思い出した。

 三百年前に絶えた、とされている生き物。

 骨も残っていない。伝承の中にしかいない。

 火を吐き、空を飛び、金を好むと言われている。

 それは、成体の話だ。

 目の前のそれは、殻から這い出して、床に落ちて、ぺたん、と腹をつけた。

 立とうとして、脚が滑って、転んだ。

 もう一度立とうとして、また転んだ。

 三度目に立って、二歩あるいて、また転んだ。

 俺は、床に手をついたまま、それを見ていた。

 大きさは、手のひらに乗るくらいだった。

 しばらくして、そいつは口を開けた。

「きゅう」

 高い、細い声だった。

 俺は、その声を知っていた。

 十二年、従魔を見てきた人間なら、誰でも知っている。

 腹が減った、という声だ。

「……あ」

 俺は、立ち上がった。

 机の引き出しを開けて、餌袋を出した。中に、干し肉が三切れ。今日買ったばかりのやつだ。

 一切れ取って、指で千切った。

 しゃがんで、床に置いた。

 そいつは、鼻先を近づけて、嗅いだ。それから、噛みついた。

 噛みついて、引っ張った。干し肉は硬い。歯が立たない。

「待て待て、ちょっと待て」

 俺は、干し肉を拾って、口に入れた。

 噛んだ。自分の唾で柔らかくして、出して、指先で潰した。

 それを、床に置いた。

 そいつは、また嗅いで、こんどは飲み込んだ。

「うまいか」

「きゅう」

 同じ声だった。

 俺は、二切れ目を口に入れた。

 三切れ、全部そうやってやった。最後の一切れを飲み込んだあと、そいつは床にぺたんと座って、しばらく俺を見上げていた。

 それから、よたよたと歩いてきて、俺の膝に頭をぶつけて、止まった。

 俺は、動けなかった。

 膝に、小さくて硬いものの重みがある。

 しばらくして、そいつは腹を床につけて、目を閉じた。

 俺は、そのまま、床に座っていた。

 夜が更けて、宿の下の酒場の声が小さくなって、外を通る蹄の音が途切れた。

 俺は、机に手を伸ばして、三冊目の帳面を取った。

 開いて、ペンを取って、止まった。

 名前が要る。

 名を与えなければ、技は始まらない。名を与えた従魔は、その名にだけ反応する。名を捨てれば縁が切れて、二度と結べない。

 俺は、膝の上のそれを見た。

 何と呼べばいいのか。

 伝承の名前は知っている。長くて、仰々しくて、どれも火や空や金の話だった。

 目の前のそれは、火を吐かない。飛べない。金もない。

 手のひらに乗るくらいで、干し肉を噛めなくて、三度転んだ。

「……小さいな、お前」

「きゅう」

 寝ぼけた声がした。

 俺は、少し笑った。三か月ぶりに笑った気がした。

「チビ」

 言ってから、俺は自分の口を疑った。

 伝承の生き物に、チビ。

 だが、名は飾りではない。呼ぶための道具だ。呼びやすくない名は、危ないときに間に合わない。危ないときに間に合わない名は、名として失敗している。

 十二年、俺が学んだのはそれくらいだった。

 そいつの耳が、ぴくりと動いた。

 俺は、もう一度言った。

「チビ」

 目が開いて、俺を見た。

 俺は、帳面に書いた。

〇日目。 体長 八センチ。 体重 ――(測りがない) 食べたもの 干し肉、三切れ(噛んでやった) 飛べた距離 〇。

 書いてから、下に一行足した。

 ――名を、チビとした。返事をした。

 ペンを置いて、俺は寝台に上がった。

 チビは、床で寝ている。

 俺は、しばらく天井を見ていた。

 明日、やることを数えた。

 測りを買う。銅貨が要る。餌を買う。干し肉は高い。卵のほうが安いかもしれない。

 それから、あの岩場に、もう一度行く。

 卵は、置いてあった。

 置いた者がいる。

 俺は、目を閉じた。

 閉じてすぐ、床で小さな足音がして、寝台が軽く揺れた。

 毛布の中に、硬くて、ぬるいものが入ってきた。

 翌朝、俺はチビを上着の内側に入れて、街へ出た。

 測りを買うためだった。従魔市の端に、荷の重さを量る店がある。小さい秤なら銅貨八枚。

 店の前で、声をかけられた。

「ロウさん」

 マリだった。ギルドの受付。仕事に行く途中らしい。

「あ、おはようございます」

「おはようございます」

 マリは、俺の胸元を見た。

 上着が、ふくらんでいる。そして、動いた。

「……何か、入れてます?」

「い、いや、これは」

「ロウさん」

 マリは、一歩近づいた。

「無登録で従魔を持つのは、違反ではありません」

「はい」

「ただ、仕事は受けられません」

「分かっています」

「餌代は、どうするんですか」

 俺は、答えられなかった。

 貯えは、銅貨で二十枚とちょっとだ。干し肉は一切れ銅貨一枚。今日だけで三枚使った。

 マリは、ため息をついた。

 それから、腰の袋から、紙を一枚出した。

「荷運びの手伝い、明日から三日。従魔なしでいい仕事です。日当、銅貨十五枚」

「え」

「ギルドを通さない、個人の仕事です。だから私が紹介しても規定に触れません」

 俺は、紙を受け取った。

「……なんで」

「なんで、とは」

「いや、その」

 マリは、目を合わせなかった。

「三か月前、シロの登録抹消の手続きを、私がやりました」

「はい」

「規定どおりです。規定どおりですけど」

 マリは、言葉を切った。

「……十二年ぶんの記録を、私が一枚の紙にして、判を押して、それで終わりでした」

 俺は、紙を握った。

「ありがとうございます」

「いえ」

 マリは、行こうとして、足を止めた。

「ロウさん」

「はい」

「それ、何ですか」

 上着の中で、チビが身じろぎした。

 俺は、少し考えて、正直に言った。

「……たぶん、竜です」

 マリは、しばらく俺を見ていた。

 それから、まじめな顔で言った。

「餌代、かかりますね」

「かかります」

「じゃあ、四日にします」

 俺は、目を開けなかった。

「……一匹でいいんだよ、俺は」

 返事はなかった。

 寝息だけがした。