
死に戻り花嫁は、三度目の初夜で毒杯を割る 第一話 杯を割る
政略結婚の初夜、花嫁レナは毒杯を飲んで死ぬ。目が覚めると婚礼の朝に戻っている。二度目は寝室の花で、三度目は香炉で死んだ。四度目の朝、鐘が六つ鳴る。今日は杯を飲まない。受け取って、床に落として、割る。夫となる男が動きを止めて、言った。「……また、割ったのか」
お使いのブラウザの音声合成を使います。本文が外部へ送信されることはありません。
四周目。 毒 杯(未回避)/花(未確認)/香(未確認) 生存 ――
鐘が六つ鳴った。
私は、目を開けずにそれを数えた。四つ、五つ、六つ。六つで止まる。止まってから、遠くで扉の閉まる音が二回。厨房の勝手口と、井戸端の木戸。この順番も、同じだ。
目を開ける。
天蓋がある。深い青の布に、銀の糸で蔦が縫い取られている。蔦は十四本。左から数えて七本目だけが、途中で途切れている。刺した人が糸を継ぎ足すのを忘れたのだろう。三周目に数えて、四周目のいまも同じところで途切れている。
私は、天井を見たまま息を吐いた。
四周目です、と心の中で言った。
一周目、銀苔。初夜の杯。生存十一時間。
二周目、夜露。寝室に飾られた白い花。生存十時間。
三周目、灰蜜。香炉。生存九時間。
三度死んだ。痛みは三度とも違った。銀苔は喉が焼けた。夜露は眠るように止まった。灰蜜がいちばん長く、いちばん苦しかった。
慣れた、と私は思う。
慣れたことが、いちばん怖い。
扉が鳴った。三回。
「お嬢さま。お目覚めでいらっしゃいますか」
イネス。侍女頭。四十四歳。三周とも、この声で一日が始まる。
「起きています」
扉が開く。イネスは湯の桶を持って入ってきて、窓のほうへ回り、いつもの順で鎧戸を開けた。北、東、南。西の窓は開けない。西は隣の館が近くて、覗かれるからだ。
「よくお休みになれました?」
「いいえ」
イネスは手を止めて、こちらを見た。
三周とも、私は「ええ」と答えていた。
「……お気が立っておいでですね。無理もございません」
「そうかもしれません」
「大丈夫でございますよ。旦那さまは、お優しい方でございます」
優しい、という言葉を、イネスは三周とも同じところで使った。湯の桶を置いて、袖をまくるとき。
私は寝台から下りた。足が冷たい石に触れる。ここも同じだ。
一周目、私はこの日を、嫁ぐ日として過ごした。
二周目は、怯えて過ごした。誰が毒を入れたのかを知らないまま、誰の顔も見られなかった。
三周目は、探して過ごした。厨房に下り、香炉を調べ、庭を歩いた。そして、灰蜜で死んだ。動き回ったぶん、いつもより四時間早く。
だから四周目は、決めていた。
今日は、一日を、知っている順に進む。
余計なことを一つもしない。そのかわり、全部を見る。
朝の支度は、東の小部屋でやる。
鏡の前に座らされ、イネスと若い侍女二人に髪を結われた。髪飾りは銀。南の伯爵家から持ってきた唯一の高価な品で、母のものだった。ここで、若い侍女の一人が飾りを落とす。
落ちた。
拾う音。
「申し訳ございません!」
「構いません」
三周とも同じところで落ちる。この娘は手が震える。理由は三周目に分かった。この娘は前の月に厨房から配置が変わったばかりで、髪を結ったことがない。
私は鏡の中の自分を見た。二十三歳。血色はいい。今日の夜に死ぬ顔ではない。
「お嬢さま」イネスが背後から言った。「このあと、大叔母さまがお見えになります」
「はい」
九時。大叔母マグダが来る。七十一歳。車輪の椅子に乗って、家令が押してくる。
「まあ、ずいぶん華やかな」
これが第一声。三周とも同じ。
「ありがとうございます」
「南の家の方は、色をお使いになるのねえ。北では、婚礼にその色は使いませんの」
「知りませんでした。教えていただけて助かります」
マグダの目が、わずかに動いた。
三周目、私はここで黙った。一周目と二周目は「申し訳ありません」と謝った。今日は、礼を言った。
「……あなた、思っていたより聞き分けがよろしいのね」
「南は穀倉しかございませんから、教えていただくことばかりです」
「穀倉ね」
マグダは扇を開いた。骨の一本が折れていて、開くたびに引っかかる。
「その穀倉のために、うちの関所を欲しがっていらっしゃるのでしょう」
「父はそう申しております」
マグダの扇が止まった。
私は微笑んだ。
嘘は言っていない。父は本当にそう言っている。だが、それを花嫁の口から聞かされると、人は次の言葉を探す。探す時間のあいだに、私はこの人を見ることができる。
右手は膝の上。左手は扇。首は動くが、肩から下は動かない。三周とも、マグダは自分で車輪を回さない。押すのは必ず家令だ。
この人は、自分では毒を運べない。
「……お上手だこと」
マグダはそう言って、扇を閉じた。
「では、夜に」
家令ドルンが車輪を回して、椅子を廊下へ出した。五十八歳。三十年この館にいる。腰の鍵束は、二十七本。三周目に数えた。
扉を閉めるとき、ドルンはいつも、わずかに中を見る。
今日も見た。
私は目を合わせた。ドルンは目を伏せて、扉を閉めた。
部屋を出て、廊下を歩いた。
三階の廊下には扉が九つある。花嫁の部屋、当主の居室、空き部屋が四つ、物置が二つ、そして突き当たりに、開かない扉が一つ。
三周目に、ドルンの鍵束を目で数えた。二十七本。三階の扉は九つ。一階と二階の扉を足しても、二十七には届かない。
余っている鍵が、何本かある。
私は突き当たりの扉の前で足を止めた。把手を握って、回した。動かない。
背後で、床板が鳴った。
振り返ると、イネスが立っていた。
「お嬢さま。そちらは開きませんの」
「何のお部屋ですか」
「先代の奥さまのお部屋でございます。十四年、閉めたままで」
「亡くなられたのですか」
イネスは、湯の桶を持ち直した。
「……ええ」
三周とも、私はこの廊下を歩かなかった。
「どのように」
「わたくしは、その頃はまだこちらにおりませんでしたので」
イネスは先に立って歩き出した。
私は、開かない扉をもう一度見てから、ついていった。
昼餉は、小さな食堂で出た。婚礼の本膳は夜なので、昼は軽い。
パンと、干した果実と、薄い肉のスープ。運んできたのはイネスだった。三周とも同じ。
私はスープの椀を持ち上げて、湯気を嗅いだ。塩と、乾いた香草。それだけ。
飲んだ。
これは死なない。一周目に飲んで、死んだのは夜だった。
「お嬢さま、よくお召し上がりになりますのね」
「南では、朝から動きますので」
「まあ。北の奥さまがたは、昼はほとんど召し上がりません」
私は椀を置いた。
「イネス」
「はい」
「今夜、杯を運ぶのは、あなたですか」
イネスの手が、盆の縁で止まった。
「……はい。侍女頭の役でございます」
「杯は、どこから来ますか」
「厨房から、広間を通って、階段を上がってまいります」
「その間、誰かに渡しますか」
「いいえ。わたくしが最後まで持ちます」
私は、イネスの顔を見た。三周とも優しい顔をしている人が、いま、少しだけ困っていた。
「変なことを聞きました。忘れてください」
「いえ……。ご不安なのは、当然のことでございます」
イネスは出ていった。
厨房から、広間を通って、階段。
三周目、私は厨房を見張った。イネスは嘘を言っていなかった。杯を持ってから、誰にも渡していない。
ならば、毒は杯に入れられたのではない。
注がれる前の、酒に入っていた。
昼。広間で、兄クラウスに会う。
「やあ、レナ! 見違えたなあ」
二十七歳。付き添いとして南から来ている。よく笑う。笑うときに、右の袖口をいじる癖がある。
「兄さま」
「いや、驚いた。いい家だぞここは。石が古い。古い石は金では買えん」
「そうですね」
「北の関所は、通行税が年に――」
クラウスはそこまで言って、気づいたように笑った。
「いや、今日はやめよう。婚礼の日だ」
三周とも、ここで同じように言葉を切る。
私は兄の袖口を見た。いじっている。金の話をしたあと、必ずいじる。
「兄さま。お借りになっているものは、いくらですか」
クラウスの手が止まった。
「……なんの話だ」
「南を出る前、父上が兄さまの名で証文を出されたと聞きました」
言ってしまってから、私は自分の口を呪った。
聞いていない。三周目に、書庫でその証文を見つけただけだ。この時点の私は、まだ何も知らないはずだった。
クラウスの顔から、笑いが消えた。
「誰から聞いた」
「……使用人が話しているのを」
「どの使用人だ」
「顔は見ていません」
クラウスは、しばらく私を見ていた。それから、また笑った。さっきより浅い笑いだった。
「くだらん噂だ。忘れなさい」
「はい」
クラウスは行った。広間の柱の陰で、一度振り返ったのが分かった。
私は息を吐いた。
一つ、余計なことをした。
この一言で、兄は今夜、私のそばに来ない。三周目のときは来た。来て、酒を勧めた。あの酒は、飲んでも死ななかった。
だから今日、確かめられるはずだったことが、一つ減った。
――知っていることを口に出すたび、道が一本ずつ消える。
私はそれを、四周目にして、ようやく体で理解した。
午後の早い時刻、私は庭に出た。
出るつもりはなかった。イネスに「お風に当たられては」と言われて、断る理由を思いつかなかっただけだ。
北の庭は、南の庭とは草の色が違った。乾いていて、硬い。花壇は三つあり、どれも低い草しか植わっていない。
庭師が一人、奥で鋏を使っていた。六十くらいの男で、こちらを見ずに手だけを動かしている。
「きれいですね」
男は顔を上げた。挨拶の形に頭を下げてから、また鋏に戻った。
「花は、少ないのですね」
「北は、冷えますので」
男は短く言った。
「夜に咲くものはありますか」
鋏の音が止まった。
男は、初めて私を正面から見た。日に焼けた顔で、目の下の皺が深い。
「……お客さまには、お見せしないことになっております」
「なぜ」
「香が強うございますので」
私の背中を、冷たいものが走った。
「どこに」
「壁の向こうでございます。奥さまのお部屋の、真下にあたります」
男は西の壁を指した。低い石壁があって、その向こうは見えない。
「どなたが植えられたのですか」
「先代の奥さまでございます」
私は壁を見ていた。
「今日は、夜に咲きますか」
「今日はよく冷えますので……咲くと思います」
男は言って、鋏を握り直した。
「お嬢さま。窓は、お閉めになったほうがようございます」
三周のあいだ、誰にも言われなかった一言だった。
私は礼を言って、館へ戻った。
戻りながら、指を折って数えた。
毒は三つ知っている。杯、花、香。
四つ目がある。
午後、ユリウスが来た。
アルヴィスの弟。二十九歳。この館でいちばんよく笑い、いちばんよく喋る。
「義姉上! お会いしたかった」
「はじめまして」
「兄が羨ましい。いや本当に。兄は僕より五つ年上なのに、こんなに若くて賢そうな方をもらうんですから」
「弟君も、いずれどなたか」
「僕には関所がありませんのでね」
ユリウスは軽く言って、ぱちんと指を鳴らした。
「継承は兄で、関所も兄です。僕には馬と、犬が三匹。それで充分ですよ」
三周とも、同じ台詞だった。
だが三周目、私はこの人が夜に厨房へ下りたのを見ている。
「犬は、お好きですか」
「大好きです。犬は嘘をつかない」
「人はつきますか」
ユリウスは、目をまるくして、それから、声を上げて笑った。
「義姉上! 今日いちばん面白い」
笑いながら、ユリウスの目は私を見ていた。
夕。
夕暮れの一刻、私は自分の部屋で一人になった。
三周のあいだ、この時間を私はいつも震えて過ごした。日が落ちれば、夜が来る。夜が来れば、死ぬ。
今日は、紙を借りた。
書き物机の抽斗に、館の便箋と、乾きかけたインクがあった。私は羽根ペンを取って、白い紙に、細かい字で書きはじめた。
朝、鐘六つ。目覚める。
七つ半、髪。飾りが落ちる。
九つ、大叔母。車輪の椅子。自分では動けない。
昼、兄。証文。※言ってはいけない。
午後、弟。犬。厨房へ下りる(三周目に目撃)。
庭。壁の向こう。夜に咲く。※新
夜、式。杯。花。香。
書き終えて、私はその紙を火にかざした。
紙が縮れて、黒くなって、灰になった。
持ち越せるのは記憶だけだ。紙は残らない。残らないと分かっていて、それでも書いたのは、書くと順番が整うからだった。
灰を暖炉の奥へ押し込んで、私は立ち上がった。
扉の前で、一度、深く息を吸った。
鐘が七つ。婚礼の式は短い。司祭が二つの家の名を読み上げ、杯を交わし、終わる。
式のあいだ、私はアルヴィス・ヴァルドを横から見ていた。
三十四歳。背が高く、肩が広く、顔に表情がない。式の途中、一度もこちらを見なかった。
三周とも、同じだった。
式のあいだ、アルヴィスは一度だけ口を開いた。
司祭が二つの家の名を読み上げ終えたあと、慣例で、夫となる者が短い言葉を述べる。
「北の関所は、これより南の穀倉と、同じ手の中にある」
アルヴィスはそう言った。
一周目も、二周目も、三周目も、同じだった。一言一句、同じだった。声の高さも、言い終えてから息を吸うまでの間合いも。
広間の人々が拍手をした。四十人ほどいる。うち十二人が本家の人間だと、私は三周目に数えて知っていた。
拍手のあいだ、私は十二人の顔を順に見た。
マグダは扇の陰で、笑っていなかった。
ユリウスは、いちばん大きな音で手を叩いていた。
ドルンは壁際に立って、手を叩かず、扉を見ていた。
そして、兄クラウスは、いなかった。
三周目には、この場所に立っていた。
私は、自分の昼の一言を思い出した。
道が、一本消えている。
夜。
三階の花嫁の部屋。扉は二つ。一つは大階段から、もう一つは使用人用の狭い階段から。狭いほうの扉は、外から閂がかかっている。三周目に確かめた。
部屋には、花が飾ってある。白い、小さな花の束が三つ。窓辺に一つ、寝台の脇に一つ、扉の横に一つ。
二周目に、私を殺した花だ。
香炉は、部屋の隅に二つ。三周目に、私を殺した香だ。
そして扉が開いて、イネスが銀の盆を持って入ってくる。
盆の上に、杯が二つ。
一周目に、私を殺した杯だ。
「旦那さまがお越しです」
アルヴィスが入ってきた。上着を脱いで、腕にかけている。何も言わずに窓辺へ行き、外を見た。
イネスが盆を置いて、頭を下げて、出ていった。扉が閉まる。
二人になった。
アルヴィスは窓から離れ、盆の前に立って、杯を一つ取った。それを私に差し出す。
ここだ。
三周それぞれ、この瞬間があった。一周目は受け取って飲んだ。二周目は飲まなかったが、花で死んだ。三周目は飲まず、花も捨てたが、香で死んだ。
私は杯を受け取った。
銀の杯は冷たかった。中の酒は、薄い琥珀色をしている。においを嗅ぐ。蜜と、果実と――その奥に、かすかに、苔のにおい。
一周目には分からなかったにおいだ。
私は、杯を持ったまま、アルヴィスを見た。
アルヴィスも私を見ていた。式のあいだ一度も見なかった目が、いま、まっすぐこちらを向いている。
私は、手を開いた。
杯が落ちた。
石の床で、澄んだ音がして、転がって、酒が広がった。琥珀色が石の目地に沿って走り、細い川になって、寝台の脚のほうへ流れていった。
私は動かなかった。
謝るつもりもなかった。
どんな顔をするだろう、と思った。怒るか。驚くか。使用人を呼ぶか。三周のあいだ、この男は一度も感情を見せなかった。だから、見たかった。
一周目、私はこの男に何も期待していなかった。政略で来た花嫁に、夫が優しくする理由などない。
二周目、私はこの男を疑った。毒を盛る理由がいちばんあるのは、関所を渡したくない当主だ。
三周目、私はこの男を諦めた。三度目の夜、香で喉が焼けているとき、この男は寝ていた。
だから四周目、私はこの男を、ただ見ることにした。
アルヴィスは、動かなかった。
落ちた杯を見て、それから、私を見た。
そして、言った。
「……また、割ったのか」
私の息が、止まった。
また。
そう言った。
部屋の中の音が、全部遠くなった。石を打つ酒の音も、窓の外の風も。
また、と言った。
この男は、覚えている。
私は口を開けた。何か言おうとした。何を言えばいいのか分からなかった。
言葉が出る前に、アルヴィスは目を逸らした。逸らして、床の酒を見て、それから低く言った。
「誰か」
扉が開き、使用人が二人入ってきて、こぼれた酒を拭き始めた。布が石をこする音がする。イネスが来て、新しい杯を、と言いかけて、アルヴィスに止められた。
「今夜はいい。下がれ」
全員が出ていった。
アルヴィスは、上着を椅子の背にかけて、寝台とは反対側の長椅子に腰を下ろした。それきり、何も言わなかった。
私は立っていた。
聞きたかった。あなたは何を知っているのか。何周目から見ているのか。なぜ毎回、同じ台詞を言うのか。
聞けば、道がまた一本消える。
私は、窓辺の花を見た。白い花が三つ。
窓を開けて、一つ目を捨てた。二つ目を捨てた。三つ目を捨てた。
振り返ると、アルヴィスがこちらを見ていた。何も言わなかった。
次に、香炉を二つとも持って、水差しの水をかけた。灰が濡れて、黒い塊になった。
それも、何も言われなかった。
私は寝台の端に腰を下ろして、扉を見た。閂は内側からかけた。
窓を、見た。
庭師は閉めろと言った。
だが、花の香も、香炉の煙も、この部屋の中にある。中にあるものを外へ出すには、窓を開けるしかない。
閉めれば、こもる。開ければ、入る。
私は、開けたままにした。
空気を動かすほうを選んだのだ、と自分に言い聞かせた。
いま思えば、それが四つ目だった。
夜が更けた。
鐘が十一。十二。
生きている。
一周目は、この時刻にはもう死んでいた。
私は、天蓋の蔦を数えた。十四本。七本目だけが途中で切れている。
鐘が一つ。二つ。
生きている。
これまでで、いちばん長い。
窓から風が入って、私の髪を少し動かした。
夜の風は、思っていたより甘かった。
甘い、と思ってから、私はそれに気づいた。
花は捨てた。香は消した。杯は割った。
なのに、甘い。
窓の外に、庭がある。
三周のあいだ、一度も見なかった。夜の庭に何が植わっているか、私は知らない。
立ち上がろうとして、膝が抜けた。
床に手をついた。息を吸うと、甘さが喉の奥まで入ってきた。
長椅子で、アルヴィスが立ち上がるのが見えた。こちらへ来る。速い。この男がこんなに速く動くのを、私は初めて見た。
腕が背中に回って、抱え上げられた。窓から離される。扉が蹴り開けられる音。廊下の冷たい空気。
声が、頭の上で聞こえた。
「――息を止めろ。次は、窓だ」
次は。
私は、その二文字を掴もうとした。
掴む前に、目の前が白くなった。
四周目。 毒 杯(回避)/花(回避)/香(回避)/庭(未確認) 生存 十三時間。三周目の九時間から、四時間、延びた。これまでで一番長い。
覚えておくこと。 一、アルヴィスは「また」と言った。 二、兄に証文の話をしてはいけない。 三、夜の庭に、何かある。
鐘が六つ鳴った。
私は、目を開けずにそれを数えた。
縦書きでは右から左へ読み進みます。キーボードの ← → でもめくれます。