辺境の鑑定士 第一話 錆びた剣の値打ち
都を追われた帳簿係カイは、ある日「万物の来歴が視える」力に目覚める。辺境の街で行き倒れかけた彼は、一軒の質屋で誰も気づかなかった錆びた剣の真価を見抜き、店主とギルド職員を驚かせる。だがその噂は、思わぬ場所へ届いていた。
辺境の街ドルムンドに、乗合馬車が土埃を巻き上げて滑り込んできたのは、日が傾きかけた頃だった。
御者台から降りたカイは、大きく伸びをしてから、腰の袋の軽さに顔をしかめた。銅貨が数枚、心細い音を立てる。都を出てから半月、路銀はほとんど尽きていた。硬いパンと薄いスープだけの旅暮らしで、体はすっかり軽くなっている。
「――ここが辺境、か」
木造の家々、泥のついた石畳、鎧姿の冒険者たちが行き交う通り。都の整然とした街並みとは何もかもが違う。石壁の隙間からは煮込み料理の匂いが漂い、露店では武具や薬草が声高に売り買いされている。だが不思議と、息が吸いやすい気がした。誰もカイの素性を知らない。それだけで、肩の力が抜けるようだった。
カイは二十四歳。半年前までは、都の大きな商会で帳簿係として働いていた。数字と伝票にまみれた地味な仕事だったが、性には合っていた。物の価値を数字に落とし込む作業が、嫌いではなかったのだ。同僚からは「面白みのない男」と言われていたが、本人はそれで構わないと思っていた。
その日常が壊れたのは、ある夜のことだった。
商会の倉庫で棚卸しをしていたとき、古い壺に触れた瞬間、頭の中に光の奔流が流れ込んできた。壺がどの土から生まれ、どの窯で焼かれ、誰の手を渡り歩いてきたか――その来歴のすべてが、映像のように見えたのだ。息もできないほどの情報量に、カイはその場に座り込んでしまった。
「――視える」
それが「鑑定」の力だと気づくのに、そう時間はかからなかった。指先で触れたものの生まれと歩みが、まるで自分の記憶であったかのように流れ込んでくる。だが商会はその力を歓迎しなかった。むしろ疎まれた。カイが偶然、帳簿の不正――上司が横流ししていた品の水増し請求――を見抜いてしまったことが決定打だった。難癖をつけられ、証拠もなく解雇を言い渡され、カイは長年勤めた商会を追われた。
行くあてもなく、カイは西へ西へと流れた。宿場町を渡り歩き、日雇いの荷運びで食いつなぎながら、最後に辿り着いたのがこの辺境の街――ドルムンドだった。ここまで来れば、もう誰も自分を知らない。それが、今のカイにとって唯一の救いだった。
「……とりあえず、腹ごしらえより先に、金だな」
カイは通りの隅にある古びた質屋の看板を見つけ、足を向けた。『マルガの質屋』と書かれた木札が、風にかすかに軋んでいる。
扉を押すと、埃っぽい匂いと共に、店主らしき恰幅のいい中年女性が顔を上げた。
「らっしゃい。買い取りかい、質入れかい」
「見るだけでも構いませんか」
「好きにしな。冷やかしは困るけどね」
店内には、冒険者たちが持ち込んだであろう雑多な品が並んでいた。古い盾、欠けた杖、色褪せた指輪。カイの視線は、店の隅に無造作に立てかけられた一振りの剣に吸い寄せられた。
刃はすっかり赤茶けて錆び、柄の革は擦り切れている。誰がどう見ても、ただの鉄くずだ。
「店主さん、あの剣は」
「ああ、あれか。三日前に冒険者崩れが持ち込んだんだよ。ダンジョンの奥から拾ってきたとか言ってたけど、見ての通りの代物さ。買い取りは五十リンが精一杯だって断ったら、そのまま置いていっちまった」
カイは吸い寄せられるように剣に近づき、そっと柄に触れた。
その瞬間、視界が白く弾けた。
――鍛冶場の炎。何百年も前の職人の手。刃に刻まれる紋様。王に献上される儀式。そして長い長い年月、地中深くで眠り続けた静寂。
映像が奔流のように流れ込み、やがて収束していく。カイは大きく息を吐いた。
「……店主さん。これ、五十リンどころの品じゃないですよ」
「はぁ? 兄さん、目は大丈夫かい。そんな錆び剣、鍛冶屋に持ってったって鉄クズ扱いだよ」
「表面の錆はひどいですが、地金が違います。これは魔鉄――それも、二百年以上前に王国で鍛えられた儀礼剣です。刻まれている紋様、よく見てください。柄の付け根、革の下に隠れてます」
半信半疑ながら店主が革を剥がすと、確かに小さな紋章が刻まれていた。店主の目が丸くなる。
「錆は表面だけで、地金は腐食していません。魔鉄は普通の鉄と違って、内側から朽ちることがないんです。研磨して魔力を通せば、本来の輝きを取り戻すはずです」
その時、店の隅で酒瓶を眺めていた恰幅の良い男が、鼻で笑いながら口を挟んできた。装飾の多い外套から見て、街の武具商か何かだろう。
「兄さん、口だけなら何とでも言えるぜ。俺は十年この街で武具を扱ってる。錆びた剣に魔鉄だなんて、聞いたこともない出鱈目だ」
「疑うのは自由です。ですが、地金の下に紋章が隠れていることまでは、口だけでは分かりません」
男は苦い顔をして黙り込んだ。店主が興味深そうに二人を見比べている。
「……兄さん、いったい何者だい」
「ただの、通りすがりです」
そう言いながらも、カイの胸には小さな高揚があった。都で疎まれた力が、ここでは誰かを驚かせている。それだけで、悪くない気分だった。
「ちょっと待ってな。今この街のギルドから、鑑定の得意な人間を探してるって話があったんだよ。あんた、その気があるなら――」
店主が奥へと駆け込んでいく背中を見ながら、カイは剣にもう一度目をやった。
朽ちて見えるものの中に、本当の価値が眠っている。それを見抜く力を、自分は持っている。
その考えが胸に灯った矢先、店の扉が勢いよく開いた。
「マルガさん、噂の鑑定士ってのはこの兄ちゃんかい?」
入ってきたのは、革鎧に身を包んだ屈強な女性だった。腰には見るからに使い込まれた斧を提げ、胸には冒険者ギルドの紋章が輝いている。鋭い目が、カイの全身を値踏みするように動いた。
「はじめまして、と言うべきかな。あたしはギルドの受付をしてるノーラ。今この街で、ちょっとした厄介事を抱えててね」
「厄介事、ですか」
「詳しい話はギルドで。――ただ言っておくけど、その剣を五十リンで見逃さなかったあんたの目、うちのギルドじゃ喉から手が出るほど欲しい代物だよ」
先ほどまで文句を言っていた武具商の男は、決まり悪そうに店を出ていった。マルガはその背中を見送りながら、感心したように腕を組む。
「兄さん、只者じゃないねえ。あの気難しい男を黙らせるなんて、この街じゃ誰にもできなかったことだよ」
「たまたま、視えただけです」
「その『視える』ってやつが、うちのギルドには喉から手が出るほど欲しいんだよ」ノーラが割り込んだ。「実を言うとね、うちの倉庫、鑑定待ちの品が山ほど溜まっててどうにもならないんだ。専属の鑑定士を探してたところに、あんたの噂が飛び込んできた」
「山ほど、ですか」
「見れば分かるよ。それに――」
ノーラはそこで一瞬、言葉を切った。何かを言いかけて、あえて呑み込んだような間だった。
「それに、何ですか」
「いや、まずは仕事を見てもらってからにしよう。会って早々、妙な話をして怖がらせちゃ元も子もない」
ノーラの視線には、値踏み以上の何かが宿っていた。獲物を見つけた狩人のような、あるいは救いを求める者のような。その奥に、微かな不安の色が滲んでいるのを、カイは見逃さなかった。
カイは自分の運命が、その一言で大きく動き出したのを感じた。
(第二話に続く)