夕暮れの草原に残る廃村。苔むした石の井戸のふちに、赤い髪をポニーテールにした若い女性が革のベストと長ズボン姿で腰かけ、灰色の外套を風になびかせながら空を見上げている。足元に革の鞄、背後に崩れた石壁と遠い山並み。
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白紙の国の帳簿係 第四話 升と秤

谷を上がってきた荷馬車は、行商人だった。塩がある。村には、売れるものが無い。遼は廃屋の屋根から古い釘を集め、塩と替える。秤は重さを量り、升は塩を量った。どちらも正しい顔をしていた。三十人の前で、遼は升の内側と外側に縄を当てる。数字が、合わなかった。

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収入 塩、一升三合(この地の升で)。人、二。 支出 釘、四十一本。蝶番、六つ。紙、一枚。 備考 升が、浅かった。

 荷馬車は、入口の石の手前で止まった。

 馬が一頭。荷台に木箱と樽と麻袋。御者台に男が一人、荷台の後ろに若いのが二人、歩いてついてきていた。

 御者台の男は、五十くらいだった。丸い帽子をかぶり、顎の髭を短く刈っている。石の手前で手綱を引いて、目を細めて村を見た。

 見て、瞬きをした。

 もう一度、見た。

「……あるな」

 男は、独り言のように言った。

「炭焼きの婆さんが言ってたが、本当にあるな。家が、十四」

 遼は、その言葉を帳面の端に書き留めた。十四。数え違えていない。ぼやけてもいない。

 ミレイなら、こうは言わない。ミレイは帳簿に半分だけ載っているから、この村が七つか八つにぼやけて見える。指をさされて、やっと焦点が合う。

 この男には、はっきり見えている。ガルと同じだ。

 ガルは、名を団長に預けている。帳簿に「本人として」載っていないから、白地が見える。

 帳簿に一度も載ったことのない者か。名を、誰かに預けている者か。

「行商です」

 男は、帽子を少し上げた。

「ロッコと呼ばれてます。塩、針、糸、火打ち金、干し肉。要るものがあれば」

 呼ばれている、と男は言った。名乗ったのではない。

 遼は、それも書き留めた。

    *

 塩は、要った。

 昨夜の汁は、塩が無かった。芋のにおいしかしなかった。三十人が、黙ってそれを飲んだ。

「塩を、ください」

「何と替えます」

 ロッコは、荷台から降りて、腰を伸ばした。

「銭は……無さそうですな」

「ありません」

「物で結構。何があります」

 遼は、振り返った。

 二十七人が申告した持ち物は、昨日、帳面に書いてある。小刀三本、鉈一本、鍋三つ、木の皿十四枚、毛布九枚、縄二尋。どれも、手放せば明日から困るものだ。

 手放せないものは、売り物にならない。

「少し、待ってください」

 遼は、ガルを呼んだ。

 ガルは、入口の石の横に立っていた。土埃を最初に見つけてから、ずっとそこにいる。

「ガル。この村の家で、屋根が落ちている家はいくつある」

「九つ」

「屋根の木に、釘は残っているか」

 ガルは、少し考えた。

「錆びている」

「錆びていても、鉄だ」

 ガルは、何も言わずに歩き出した。

 遼は、二十七人のほうを向いた。

「手の空いている人。廃屋の屋根の木から、釘と、扉の蝶番を外してください。この村のものです。誰のものでもありません。外したものは、全部ここに持ってきて、数えます」

「村のもの」

 先頭の女が言った。昨日、屋根の形の印を書いた女だ。

「村のものってのは、誰のものだい」

「三十人のものです」

「じゃあ、塩も三十人のものになるのかい」

「なります。台帳に、そう書きます」

 女は、ふん、と鼻から息を出して、それから、若い者を三人連れて廃屋のほうへ歩いていった。

 昼前に、釘が集まった。

 穀倉の前の石の上に並べた。錆びて茶色い。曲がっているものも多い。長いのと短いのが混じっている。

 遼は、数えた。

 四十一本。

 蝶番が、六つ。

「釘、四十一本。蝶番、六つ」

 声に出して言うと、ガルが短く言った。

「四十一だ」

 ガルは、自分でも数えていた。

    *

 ロッコは、荷台から秤を出した。

 天秤だった。真ん中に支点があり、竿の両端から皿が下がっている。片方の皿に鉄を載せ、もう片方に分銅を載せる。釣り合ったところで、分銅の数を読む。

 分銅は、真鍮の小さな塊だった。一つに、刻みが一本。

「一斤です」

 ロッコは、そう言って、分銅を右の皿に載せた。釘と蝶番を、左の皿に少しずつ載せていく。

 遼は、横で見ていた。

 三つ目の分銅を載せたところで、竿が水平になった。

「三斤」

 ロッコは、手際よく言った。

「鉄は、三斤で塩一升。相場です」

 それから、荷台から升を出した。

 四角い木の升だった。角が擦れて丸くなっている。ロッコは塩の袋の口を開けて、升に塩を盛り、手の縁で平らにすり切った。

 一升。

 それを、遼が差し出した大きい鍋に空けた。四十過ぎの男の、女房の鍋だ。男は、鍋を差し出す遼の手を、じっと見ていた。

 塩が、鍋の底に白く溜まった。

「毎度」

 ロッコは、帽子に手をやった。

 遼は、鍋の中の塩を見た。

 一升、と言われた。

 一升が、どのくらいなのか、遼は知らない。この世界の一升を、遼は見たことがない。前の世界の一升なら知っている。一升瓶の中身だ。だが、ここの升が、それと同じだという保証はどこにもない。

 知らない単位で、知らない量を渡された。

 確かめる方法は、無い。

 そう思いかけたとき、先頭の女が、鍋を覗き込んだ。

「……浅いね」

「浅い?」

「その升。町のより、浅い気がする」

 ロッコが、振り返った。

「婆さん、町の升を知ってるのかい」

「婆さんじゃないよ。四十だ」

 女は、ロッコを見ずに、升を見ていた。

「若い頃、市で豆を売ってた。一升すり切りってのは、手が覚えてる。その升は、手に入る前に満ちた」

「手の覚えなんてのは、あてになりませんよ」

「そうだね」

 女は、あっさり認めた。

「あてにならない。だから、気がする、と言ったんだ」

 遼は、女を見た。

 それから、ロッコの升を見た。

 あてにならない、と女は言った。それは正しい。手の覚えは、人によって違う。この女の手が、昔の市の升を正確に覚えている保証は無い。

 だが、升は、目の前にある。

 目の前にあるものは、測れる。

「ロッコさん」

「はい」

「その升を、少し、見せてもらえますか」

    *

 遼は、縄を一本もらった。

 昨日、井戸の深さを測った縄の、余りだ。遼はそれに、指の幅ごとに小さな結び目を作った。十個。

 升を、石の上に置いた。

 まず、外側の高さを測る。縄の端を石に当てて、升の縁まで縄を立てる。

 結び目、七つと少し。

 次に、内側の深さを測る。縄の端を升の中に垂らして、底に触れたところから縁まで。

 結び目、六つ。

 遼は、もう一度測った。

 外、七つと少し。内、六つ。

 皆が、黙って見ていた。

「木の升の底は、厚いものです」

 遼は、誰に言うともなく言った。

「底の板の分だけ、外は内より高い。それは当たり前です。ただ、この升の底の板は、指一本と少しの厚さがあることになります」

 遼は、升を持ち上げて、裏返した。

 底の板の縁を、指でなぞった。

 木目が、途中で変わっていた。

 外側の底板と、内側の底板が、別の板だった。内側に、もう一枚、板が嵌め込んである。

 上げ底だった。

 底板の真ん中に、焼印が押してあった。丸の中に、天秤の絵。その下に、読めない字が三つ。

「商会の印ですか」

「……商会の升ですからな」

 ロッコは、それだけ答えた。

 ロッコは、表情を変えなかった。

「底を厚くしないと、塩が湿るんですよ」

「そうかもしれません」

 遼は、升を石の上に戻した。

 責めなかった。

 責める理由は、ある。だが、責めれば、この男は二度と谷を上がってこない。塩を持ってくる者が、いなくなる。

 それに、升の底が厚いのが、塩を湿らせないためなのか、客を騙すためなのかは、遼には分からない。分かるのは、この升の一升が、外から見た一升より少ない、ということだけだ。

「では、底の厚さを書いておきます」

 遼は、帳面に書いた。

『行商の升 外、結び目七つと少し。内、六つ。底、二重。』

 ロッコは、帳面を覗き込んだ。字が読めるのかどうかは、分からなかった。

「……秤も、見せてもらえますか」

 ロッコの口の端が、少しだけ動いた。

    *

 秤は、升より簡単だった。

 何も載せない竿は、水平だった。皿の重さで誤魔化してはいない。誤魔化してあるのは、腕の長さのほうだ。

 遼は、左の皿に載っていた釘と蝶番を、全部、右の皿に移した。

 分銅三つを、左の皿に移した。

 竿が、大きく傾いた。

 鉄の載った右の皿が、下がった。分銅三つでは、釣り合わない。

 遼は、ロッコの荷台から分銅をもう一つ借りて、左に足した。まだ右が下がる。もう一つ足した。

 五つ目で、竿が水平になった。

「鉄を左に載せると、三斤。鉄を右に載せると、五斤」

 遼は、竿の真ん中の支点を指した。

「支点が、真ん中にありません。左の腕が短い。短い腕に載せたものは、軽く出ます」

 鉄は、最初、左に載っていた。

 ロッコが買う、鉄の皿だった。

 ロッコは、今度は、少し笑った。

「古い秤でしてね」

「そうかもしれません」

 遼は、また責めなかった。

 ただ、帳面に書いた。

『行商の秤 左の腕が短い。鉄を左で三斤、右で五斤。本当の重さは、その間。』

 書いてから、顔を上げた。

「分銅は、正しいですか」

「分銅は正しい。刻みの通りです」

「では、分銅はそのまま使います。悪いのは、竿のほうです」

    *

 そこから先で、揉めた。

 揉めたのは、ロッコとではなかった。村の中でだった。

「じゃあ、どの升を使えばいいんだい」

 先頭の女が言った。

「町の升は、ここに無い。行商の升は浅い。あたしの手は、あてにならない」

「俺の手のひらで、どうだ」

 殴り合った二人のうちの、殴ったほうが言った。

「俺の手でひと掬いを一合にすれば」

「あんたの手は、でかい」

「なら、得するじゃねえか」

「誰が得するかで決めた升は、次の日には誰かが損するんだよ」

 女が、そう言った。

 遼は、その言葉を、帳面に書かなかった。書かなくても、覚えていられる言葉だった。

 升の大きさを誰が決めるか。

 前の世界では、考えたことが無かった。一リットルは一リットルで、どこかの誰かが決めてくれていた。経理の仕事は、決められた単位で数えることで、単位そのものを疑ったことは、一度も無かった。

 単位は、誰かが決めている。

 決めた者が、得をする。

 だから、決める者は、得をしない者でなければならない。

「升は、穀倉にあります」

 遼は、そう言った。

 全員が、遼を見た。

「私が最初に目を覚ました場所です。石の穀倉の隅に、木の升が一つ、転がっています。底の角が少し欠けていますが、穴は開いていません」

「そりゃ、誰の升だい」

「分かりません」

 遼は、正直に答えた。

「たぶん、台帳が止まった頃に、ここで誰かが使った升です。誰のものでもありません。いま生きている誰の得にもなりません」

 女は、しばらく黙っていた。

 それから、言った。

「……持ってきな」

    *

 穀倉の升は、ロッコの升より一回り大きかった。

 遼は、同じ縄で測った。外、八つ。内、七つと少し。底の板は、一枚だった。

 一升は、これでいい。

 だが、一升だけでは、量れないものがある。一升に満たない塩を、何合と言えばいいのか。

「目盛りを、入れます」

 遼は、縄をもう一本もらった。

 縄を升の中に垂らして、底に触れるところと、縁に来るところに、まず結び目を一つずつ作った。その二つの間に、同じ間を空けて結び目を九つ作れば、十に分かれる。十に分けた一つが、一合になる。升の底は平らで、壁はまっすぐだから、深さを十に分ければ、量も十に分かれる。

 言うのは、簡単だった。

 一度目は、最後の一区切りが長すぎた。ほどいて、作り直した。二度目は、短すぎた。

「貸しな」

 先頭の女が、縄を取った。

「豆の袋を縛るのに、同じ間で結ぶのは慣れてる」

 女の三度目で、九つの結び目が、端の二つの間にきれいに揃った。遼は、区切りの間を一つずつ、指で確かめた。女も、確かめた。殴ったほうの男が、覗き込んで、自分の指でも確かめた。

 ずれは、無かった。

 ガルが、小刀の先で、升の内側の壁に、結び目の高さごとに短い線を刻んだ。九本。擦っても、消えない深さで。

「下から一本目が一合。九本目が九合。縁まで満たして、一升です」

「目盛りは、誰が決めたことになるんだい」

 女が言った。

「縄です」

 遼は、答えた。

「縄の結び目は、見ていた全員が、自分の指で確かめました。誰か一人が決めたのではありません」

 女は、升の内側の九本の線を、しばらく見ていた。

「……あたしの結び目だけどね」

「はい。だから、あなたも、得はしません。自分の結び目で、自分の塩を量るんですから」

 女は、笑わなかった。だが、升を遼に返す手つきは、さっきより丁寧だった。

    *

 秤は、ガルが作った。

 梁を裂いた木の、まっすぐなところを一本選んで、真ん中に小刀で溝を刻んだ。溝に縄を掛けて吊る。両端に縄で木の皿を吊る。

「真ん中は、どうやって決めた」

「半分に折った縄を当てた」

 ガルは、それだけ言った。

 遼は、何も載せない皿で、竿が水平になるのを見た。それから、川原の石を二つ、左右の皿に一つずつ載せた。水平。石を入れ替えた。水平。

「左右を入れ替えても、傾かない」

 遼は、帳面に書いた。

『村の秤 竿、梁の木。支点、縄を半分に折って決めた。入れ替えて、傾かず。』

 分銅は、村に無い。

「ロッコさん。分銅を一つ、少しの間だけ、貸してください」

「持っていく気じゃないでしょうな」

「返します。借りるのは、重さだけです」

 ガルが、川原から石を拾ってきた。拳より少し小さい、平たい石だ。村の秤の片方に真鍮の分銅を、もう片方に石を載せる。石のほうが下がった。ガルは、石の角を小刀の背で叩いて、欠いた。また載せる。まだ下がる。また欠く。

 五度目で、竿が水平になった。

 遼は、分銅をロッコに返した。

 それから、欠いた石を持ち上げて、全員に見えるように掲げた。

「これを、この地の一斤とします」

「俺の分銅で作った一斤だ」

 ロッコが言った。

「分銅は正しいと、あなたが言いました」

 ロッコは、口を開けて、閉じた。

    *

 遼は、反故紙を一枚、出した。

 役場の抽斗にあった、裏の白い紙だ。台帳の白い頁は、あと五枚。これは使わない。

 遼は、ボールペンをミレイに渡した。インクは、まだ出る。

 ミレイの右の足首は、まだ腫れている。石の上に足を投げ出したまま、膝の上に板を置いて、紙を載せた。

「なんて書くの」

「短く」

 遼は、言った。

「この地で、物を売り買いするときは、穀倉の升を一升とする。目盛りは升の内に刻んだ線に従う。村の秤で量り、分銅と釣り合わせて欠いた最初の石を一斤とする。その石は穀倉に置き、量るときは、その石と釣り合わせた写しを使う。売るときも、買うときも、同じ升と、同じ秤で量る」

「それだけ?」

「それだけだ」

「値段は?」

「値段は書かない。値段は、そのときに、売る者と買う者が決める。書くのは、量り方だけだ」

 ミレイは、手を止めた。

「……量り方だけ」

「値段で揉めるのは、構わない。揉めていいことだ。量り方で揉めると、揉めていることにも気づかない」

 ミレイは、少しの間、遼を見ていた。

 それから、書いた。ミレイの字は美しかった。反故紙の上で、そこだけが、きちんとした書類に見えた。

 下に、遼が丸を描いた。昨日と同じ丸。

 ミレイは、井戸の絵を描いた。名は書けるが、書かなかった。これから谷を下りていく男の前で、自分の名を紙に残す理由は無い。昨日より、少しだけ井戸らしくなっていた。

 二十七人が、印を書いた。昨日と同じ印を。屋根の形の三本線。丸。点を三つ。爪の跡。

 ガルは、書かなかった。

「秤は、俺が作った」

 それが理由なのかどうかは、分からなかった。

 遼は、紙をロッコに差し出した。

「あなたにも、印を書いてもらえますか」

 ロッコは、紙を見下ろした。

「名は、書けませんな」

「そうだと思っていました」

「なぜ」

「この村の家を、十四と数えました。迷わずに」

 ロッコの目が、細くなった。

「名のある人には、ここは見えません。名を落とされた人の身内には、ぼやけて見えます。はっきり見えるのは、帳簿に一度も載ったことのない人か、名をどこかに預けている人です」

 遼は、入口の石の横のガルを、目で示しはしなかった。

「この升には、商会の焼印があります。帳簿に一度も載ったことのない人に、商会は升を預けないでしょう。だから、名をどこかに預けている方だと思いました」

 ロッコは、しばらく黙っていた。

 それから、男は、ゆっくりと、息を吐いた。

「……商会に、預けてあるんですよ。二十年前に。借りた銭の、形に」

「返す期限は」

「書いてない」

 それだけ言って、ロッコはボールペンを取った。見慣れない筆記具を、指の間で一度回してから、紙に当てた。

 紙の端に、小さな升の絵を描いた。

 四角が一つ。中に、横線が一本。

 上げ底の升だった。

 遼は、何も言わなかった。

    *

 量り直しは、日が傾く前に終わった。

 まず、鍋の中の塩を、穀倉の升に空けた。升を軽く揺すって、塩の面を平らにならした。

 塩の面は、七本目の線に来ていた。

 七合。

 ロッコの升で一升と言われた塩は、この地の升で、七合だった。

 遼は、塩を鍋に戻した。

 次に、釘と蝶番を、村の秤に載せた。もう片方の皿に、一斤の石を載せる。鉄の皿は、びくともしない。

 石は、一つしかない。

 ガルが、川原から石をさらに三つ拾ってきた。一つずつ、一斤の石と釣り合わせて、欠いた。一斤が、四つになった。最初の一つには、ガルが爪で線を一本引いた。元の石。残りの三つは、写しだ。

 三つ載せた。まだ鉄が下がる。四つ載せた。鉄が上がった。

「三斤より重く、四斤より軽い」

 遼は、言った。

「もう少し、細かく」

 ガルが、今度は小石を掬ってきた。一斤の石と釣り合うだけの小石を、片方の皿に盛る。それを、村の秤の左右に分けて載せ、釣り合うまで一つずつ移した。釣り合ったところで、片方が半斤。同じようにして、その半斤を、また左右に分けた。四半斤。

 秤が正しいから、できることだった。左右の腕が同じだから、釣り合えば、同じ重さだ。

 鉄の向こうに、一斤を三つと、半斤と、四半斤を載せた。

 まだ、鉄のほうが、わずかに下がった。

「三斤と、四分の三より、少し重い。四斤には、少し足りない」

 遼は、言った。

 それから、ロッコの秤の数を思い出した。短い腕で三、長い腕で五。本当の重さは、その間のどこかにある。前の世界の算数なら、三と五を掛けて、その平方根を取れば出る。十五の平方根。四に少し足りない。

 合っていた。

 ロッコは、腕を組んだ。

「で、値段は」

「値段は、あなたと、ここにいる全員で決めます」

 ロッコは、村の者たちを見回した。村の者たちが、ロッコを見ていた。先頭の女と、殴った男と、殴られた男と、泣いたトビと、屋根の形の印を書いた者たち。

 それから、入口の石の横に立っている、ガルを見た。

「……鉄三斤で、この升で一升」

 ロッコは、言った。

「さっきと、同じ相場だ。升と秤が違うだけです」

「では、四斤に少し足りない鉄で、一升と三合に少し足りない塩です」

「細かいな」

 ロッコは、鼻を鳴らした。

「一升三合でいい。端は、まけときます」

「鍋に、七合あります。足りないのは、六合です」

 ロッコは、長いこと、鍋を見ていた。

 それから、塩の袋を持ち上げて、穀倉の升に、塩を盛った。

 手の縁で、面をならした。

 六本目の線まで。

「……六合」

 遼は、升の中を見た。刻んだ線と、塩の面が、揃っていた。

「六合です」

 ロッコは、それを鍋に空けた。

 鍋の中の塩が、白く、厚くなった。

 四十過ぎの男が、鍋の縁に手をかけて、中を覗き込んだ。

 何も言わなかった。

 ただ、覗き込んだまま、しばらく動かなかった。

    *

 ロッコの連れの若い二人が、荷馬車の後ろで、何か話していた。

 遼がそちらを見ると、二人は話をやめて、こちらを向いた。

 二十歳を少し過ぎたくらいに見えた。一人は背が高く、一人は片方の耳が欠けていた。

 荷馬車が止まったとき、この二人は、村を見て瞬きもしなかった。家を数えようともしなかった。見えるのが、当たり前の顔をしていた。

「……ここに、残ってもいいか」

 背の高いほうが、言った。

 ロッコが、振り返った。

「おい」

「荷運びの日当は、塩で一日ひとつまみだ」

 背の高いほうが、ロッコに言った。

「ひとつまみは、あんたの指で量る」

 ロッコは、口を開けて、閉じた。

 遼は、二人を見た。

「ここでは、日当は出ません。塩が一升三合あるだけです。皆で分けます」

「分かってる」

「決まりが三つあります。盗まない。数を偽らない。出て行くときは、出て行くと言う」

「言う」

「今日は、残ると言いましたね」

「言った」

「名は」

「無い。親もたぶん無かった。ロッコの荷を担ぐようになってから、ずっと、この道だ」

 遼は、頷いた。

 帳面を開いて、書いた。

『人、三十二。』

 書いてから、塩の数を足した。

 一升三合は、十三合。一合は十勺。百三十勺。三十二で割る。

「一人あたり、四勺」

 遼は、声に出した。

「配りはしません。塩は壺に入れて、穀倉に置きます。汁に入れる分を、毎日、この升で出して、台帳に書きます。三十二人で百二十八勺。残る二勺は、別の小さな壺に分けておきます。誰かが熱を出したときの分です」

「四勺ってのは、どのくらいだい」

 先頭の女が訊いた。

「一合の、半分より少ない」

「少ないね」

「少ないです。でも、偽りのない少なさです」

 女は、鍋の塩を見た。それから、自分の手のひらを見た。

「……手の覚えより、線のほうがいい」

 それだけ言って、女は、壺を探しに役場のほうへ歩いていった。

 ロッコは、しばらく二人を見ていた。

 それから、帽子を深くかぶり直した。

「……勝手にしろ」

 御者台に上がった。

 荷馬車が、向きを変えた。馬が、谷を下る道へ鼻を向けた。

 動き出す前に、ロッコは、振り返った。

「帳簿の旦那」

「はい」

「あんた、あの紙、何だと思って書いたんです」

「量り方を、書きました」

「約定のつもりで?」

「まだ、です」

 ロッコは、笑った。

 短い、乾いた笑いだった。

「なら、覚えときな。立会人がいない約定は、紙切れだぞ」

 手綱が鳴った。

 荷馬車は、土埃を立てて、谷を下っていった。

 遼は、懐の紙を、布の上から押さえた。

 昨日の三行と、今日の量り方。

 紙切れが、二枚。

 その奥に、石の印章が、一つ。

 遼は、帳面を開いて、今日の台帳を締めた。

 締めてから、備考の欄に、もう一行足した。

『紙切れ、二枚。印、まだ押さず。』