
最弱テイマーが拾った卵は、竜でした 第二話 食べるもの
七日目。体長九センチ、体重は卵込みで百三十グラム。干し肉は噛んでやらないと食べない。何を食べる生き物なのか、誰も知らない。記録が無いからだ。ロウは従魔市を回って、穀物、野菜、干し草、虫、魚、乳、卵と、片端から試す。声の大きい商人ガドーが、チビを見て、黙る。夕方、測りの分銅を、チビが舐めた。
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七日目。 体長 九センチ。 体重 ―― 食べたもの 干し肉(噛んでやった) 飛べた距離 〇。
体重の欄が、まだ埋まらない。
測りは買った。一昨日だ。従魔市の端の、荷の重さを量る店で、銅貨八枚。皿が二つと、竿と、分銅が三つ。十グラム、二十グラム、百グラム。荷運びの獣を量る測りではなく、香辛料を量る測りだ。店の親父に「何を量るんだ」と訊かれて、「餌です」と答えた。嘘ではない。
あの朝――卵が孵った翌朝は、測りの店の前でマリに会って、買わずに帰った。二十枚しかない銅貨から八枚は出せなかった。日当をもらった翌日に、買いに行った。
だが、皿に乗せると、チビは降りる。
乗せる。降りる。乗せる。降りる。四度目に、皿ごとひっくり返した。分銅が床に転がって、宿の下の酒場から「うるせえぞ」と声がした。
それで、体重の欄は、七日目になっても線が引いてあるだけだ。
帳面を閉じた。
閉じて、机の端に置いてある餌袋を見た。
干し肉が、二切れ。
一週間で、俺が学んだことは三つある。
一つ。チビは、干し肉を噛めない。俺が噛んで柔らかくすれば食べる。
二つ。俺が噛むぶんは、俺の腹に入らない。
三つ。干し肉は、一切れ銅貨一枚する。
銅貨を数える。
二十二枚あった。荷運びで六十。測りに八。宿が七晩で二十一。干し肉に、二十三。二切れ、まだ袋にある。
残り、三十枚。
荷運びは、街の北の倉から南の倉へ、麻袋を運ぶ仕事だった。マリが紹介してくれた、ギルドを通さない仕事。従魔なし。俺の背中だけ。四日で、腕が上がらなくなった。
昼飯は、倉が出した。四日、それで足りた。
チビは、その四日、上着の内側にいた。
袋を担ぐたびに、胸の中で、硬いものが動く。倉の親方に「腹に何か入れてるのか」と訊かれて、「腹巻きです」と答えた。嘘だ。だが、竜ですと言うよりは、話が早い。
マリには、言ってある。たぶん、竜です、と。あれで一人だ。二人目に言う気には、まだなれない。
昼に、倉の裏で、干し肉を噛んで食わせた。倉の犬が二匹、寄ってきて、俺の上着の匂いを嗅いで、後ずさった。犬は分かるらしい。俺には分からないものが。
四日目の夕方、親方が日当を数えて渡しながら、言った。
「あんた、テイマーだったんだろ。獣は」
「一匹でいいんですよ、俺は」
親方は、俺の胸を見て、それ以上訊かなかった。
三十枚。
一日一枚の干し肉なら、三十日。
だが、チビは一日に三切れ食う。
「……十日か」
声に出すと、腹が減った気がした。
寝台の上で、チビが顔を上げた。
「きゅう」
腹が減った、の声だ。
最後の二切れのうち、一切れを口に入れた。
*
六日目に、岩場へ行った。
卵を拾った、あのくぼみだ。
草は、そのままだった。外から内へ、渦を巻いて敷いてある。真ん中が、卵の形に、少しへこんでいる。
それだけだった。
足跡は、もともと残らない場所だ。新しい草もない。誰かが戻ってきた様子もない。
くぼみの縁にしゃがんで、上着の前を開けた。
チビが、顔を出して、草を見た。
嗅いだ。
それから、上着から出て、くぼみの中へ降りて、草の真ん中の、へこんだところに、腹をつけた。
ぴたりと、収まった。
俺は、何も言わなかった。
しばらくして、チビは起き上がって、くぼみの縁をよじ登って、すぐ横の岩に取りついた。
いちばん高い岩だ。シロが、いつも座っていた岩。
三度、滑って落ちた。四度目に、登った。
登って、てっぺんに座って、こっちを見た。
「……お前も、そこか」
俺は、登った。膝が鳴った。
隣に座って、街を見た。夕方で、煙が真っ直ぐ上がっていた。
卵を置いた者のことは、分からないままだ。
分からないことは、帳面に書けない。書けないことは、いまは、置いておく。
*
技の順は、名、餌、危険だと教わる。
だが、腹が減っている獣は、名前を聞かない。だから実際は、餌が先になる。
問題は、何を食うのか、誰も知らないことだった。
犬なら、肉と骨と少しの穀物。鳥なら、種と虫。荷牛なら草。従魔市に行けば、獣の種類ごとに餌の袋が積んであって、袋に獣の絵が描いてある。
竜の絵が描いてある袋は、無い。
三百年前に絶えた生き物の餌を、誰も売っていない。伝承には、火を吐き、空を飛び、金を好む、と書いてある。金を食うのか、と思って、自分の財布を見た。銅貨しかない。
「……金じゃなくてよかったな、お前」
チビは、上着の内側で、返事をしなかった。
朝の従魔市は、蹄の音で始まる。
荷牛が並んで、その後ろに荷馬、その後ろに犬。鳥の籠が積んであって、その横に、種の袋、虫の桶、干し草の山。売る声、値切る声、獣の声。
上着の前を押さえて、その中を歩いた。
最初は、穀物だった。
種の袋の店で、大麦を一つかみ、銅貨一枚。手のひらに載せて、上着の中に差し込んだ。
チビは、嗅いだ。
嗅いで、顔を背けた。
「だめか」
次は、野菜。荷牛の餌の店で、萎びた葉を一枚もらった。ただだった。
嗅いだ。顔を背けた。
次は、干し草。同じだった。
次は、虫。鳥の餌の店で、桶から一匹。
これは、嗅いで、前脚で叩いた。叩いて、転がして、また叩いた。食わなかった。遊んでいるようだった。
「遊ぶな。食え」
食わなかった。
次は、魚。川魚の干したのを、一切れ。
嗅いだ。口に入れた。吐いた。
試したものを指で数えると、五つ。銅貨は三枚減った。干し肉のほかに食うものが見つからなければ、十日が、もっと短くなる。
「まだあるだろ。乳とか」
乳は、山羊の乳を売る店で、木の匙に一杯。ただだった。
チビは、舐めた。
舐めて、首を傾げた。
もう一度舐めて、それきりだった。嫌いではないが、欲しがらない。そういう顔だった。
匙を返した。
残ったのは、卵だ。
*
卵の店は、従魔市のいちばん奥にある。
鳥の卵、蛇の卵、蜥蜴の卵。獣の餌にする卵と、人が食べる卵が、同じ台に並んでいる。
店の主は、ガドーという男だ。四十八歳。従魔市の仲買を二十年やっていて、獣を見る目が利く。声が大きくて、値切る。売る側なのに値切る。「そんな値で買うなら帰れ」と言って、客を帰らせてから、追いかけて安く売る。
着いたとき、ガドーは荷馬の買い手と怒鳴り合っていた。
「銀で四十だ! 四十以下なら、そいつは俺が飼う!」
「三十五だ。脚を見ろ、左の後ろが」
「左の後ろがどうした! 歩いてる! 歩いてりゃ荷馬だ!」
台の端で待った。
怒鳴り合いが終わって(三十八で決まった)、ガドーがこっちを見た。
「なんだ、ロウか」
「どうも」
「シロの餌なら、もう要らねえだろ」
ガドーは、そう言ってから、少し口を閉じた。
「……悪い。聞いた」
「いえ」
「で、何だ。卵か」
「卵です。一つ」
「一つ?」
「まず、一つ」
ガドーは、鳥の卵を一つ、台から取って、俺に放った。
「やる。試すんだろ、何かに」
「……はい」
「何にだ」
答えなかった。
上着の前を、少し開けた。
チビが、顔を出した。
ガドーの声が、止まった。
大きな声の男が黙ると、周りの音が急に聞こえる。荷牛の蹄。籠の中の鳥。隣の店の値切り。
ガドーは、チビを見ていた。
目を細めて、見ていた。獣を見るときの目だ。この目で二十年、荷馬の脚と犬の歯と鳥の羽を見てきた。
何も言わなかった。
卵を、手のひらに載せた。
チビは、嗅いだ。
嗅いで、首を伸ばして、卵に鼻先をつけた。
それから、口を開けて、殻に歯を立てた。
ぱき、と音がした。
殻が割れて、中身が手のひらに流れた。チビは、それを舐めた。舐めて、舐めて、殻の破片を、噛んだ。
噛んで、飲み込んだ。
殻ごと。
「……あ」
声が出た。
チビは、手のひらの上の殻を、全部食った。白身も黄身も、指の間に流れた分まで、舐めた。
それから、俺を見上げた。
「きゅるる」
知らない声だった。
腹が減った、の声ではない。もっと短くて、喉の奥で転がるような声。
十二年、従魔を見てきた。犬の声なら全部分かる。だが、これは犬ではない。
それでも、分かった。
うれしい、だ。
しばらく、手のひらを見ていた。
「もう一つ、ください」
「銅貨一枚」
「さっきは、くれたじゃないですか」
「さっきは試しだ。いまは餌だ」
ガドーの声が、元に戻っていた。
銅貨を一枚置いた。
二つ目も、殻ごと食った。
ガドーは、その間、一度も口を開かなかった。
二つ目が終わって、チビが上着の中に潜ったあと、ガドーは台の下から、籠を一つ出した。
割れた卵が、十いくつ入っている。
「割れ卵だ。人には売れねえ。獣の餌にする分だ」
「いくらですか」
「十二で、二枚」
安かった。安すぎた。
銅貨を二枚置いた。
ガドーは、籠を俺の前に押した。
「持って帰れ」
それだけ言って、次の客のほうを向いた。
「おい、そこの! その犬、歯を見せろ! 銀で四十? ふざけるな!」
声が、また大きくなった。
訊かれなかった。
これが何か、と。
籠を抱えて、台を離れた。
離れてから、一度だけ振り返った。
ガドーは、客と怒鳴り合いながら、こっちを見ていた。
*
帰り道で、一つ、教えた。
従魔市の出口で、荷牛が一頭、道を塞いでいた。荷を積み替えている。牛の脚は、俺の胴ほど太い。
その脚が、俺のすぐ横に、どすん、と下りた。
上着の中で、チビが、奥へ潜った。
立ち止まった。
牛から、二歩、下がった。
下がって、上着の前を開けて、チビの目を、牛の脚に向けた。
「あれは、危ない」
声に出して言った。
テイマーの技の三つ目は、危険を教えることだ。危ないものを、危ないときに、言葉と一緒に見せる。それだけだ。魔法ではない。何度もやる。
チビは、牛の脚を見て、それから俺を見た。
「危ない」
もう一度、言った。
チビは、上着の奥に、潜った。
それでいい。逃げるのは、正しい。
俺は、逃げるのが下手だ。足が遅い。だから、危ないときは俺が前に出て、従魔を後ろに置く。それしかできない。
十二年、それしかやってこなかった。
*
宿に戻って、籠を机に置いた。
割れ卵を数えた。
十三。
一つ、多い。数え違いか、そうでないか。ガドーの台で数え違いは、聞いたことがない。
鳥の卵一つは、干し肉二切れぶんの嵩がある。一日に二つ食うとして、六日。二枚で六日。もつかどうかは別だ。割れ卵は、三日目から匂いで分かる。
干し肉なら、六日で十八枚。
「……九分の一だ」
銅貨を数えた。二十四枚。
机の上には、帳面が三冊ある。
一冊目は、シロの育成記録。三冊目が、チビの育成記録。
二冊目が、餌の帳面だ。
シロの十二年ぶん、何を食って何を吐いたか、全部書いてある。鶏の骨は嫌がった。干し魚は三日目から食った。芋は、茹でたものだけ。
その帳面の、最後のページの次を開いた。
新しい見出しを書いた。
――チビ。
大麦、×。葉、×。干し草、×。虫、×(遊ぶ)。魚、×(吐いた)。乳、△。
卵、〇。殻ごと。
×が五つ並ぶ帳面を、しばらく見ていた。
シロの最初のページも、こんなだった。
*
書いてから、測りを出した。
皿を二つ、竿に吊る。分銅を、横に並べる。十、二十、百。
チビは、机の端から、それを見ていた。
「乗れ」
乗らなかった。
「卵、やるから」
割れ卵を一つ、左の皿に置いた。
チビは、皿に乗った。
乗って、卵を食い始めた。
右の皿に、分銅を載せた。百。左が下がったまま。二十を足した。まだ下がっている。十を足した。
竿が、水平になった。
「百三十グラム」
声に出して読んだ。
読んでから、手が止まった。
三つ全部だ。来週には、足りなくなる。
それと、もう一つ。
皿の上のチビは、卵を食っている最中だった。殻ごと食う生き物だ。皿の重さは、チビと、卵の食い残しと、腹に入った分で、変わらない。
「……卵込みだ」
割れ卵一つ、ざっと四十。
九十か。
帳面に書いた。
七日目、体重、九十。卵込みで、百三十。
ペンを置いて、息を吐いた。
一週間かかった。
顔を上げると、チビは卵を食い終わっていた。
左の皿の上で、殻を舐めて、それから、右の皿を見た。
分銅を、見ていた。
十グラムの、いちばん小さい分銅。鉄でできていて、黒くて、俺の親指の先くらいの大きさだ。
チビは、皿から降りて、竿を渡って、右の皿へ行った。
嗅いだ。
「……おい」
鼻先をつけた。
「おい、それは食い物じゃない」
舐めた。
舐めて、口を開けかけた。
手を伸ばして、分銅を取り上げた。
チビは、皿の上で、俺の手を見上げた。
分銅には、唾がついているだけだった。傷は、無い。
俺は、それを窓の光にかざした。光が、もう斜めだった。
黒い鉄。俺の親指の先ほどの、十グラム。
「きゅう」
腹が減った、の声だった。
卵を、いま食ったばかりなのに。
分銅を、机の引き出しに入れた。入れて、その上に、帳面を三冊、積んだ。
積んでから、三冊目を、もう一度抜いて、最後の一行を書き足した。
七日目。 体長 九センチ。 体重 九十グラム(卵込みで百三十)。 食べたもの 卵(殻ごと、三つ)。干し肉は噛んでやれば食べる。穀物、野菜、干し草、虫、魚、乳は食べない。 飛べた距離 〇。
――測りの分銅を舐めた。鉄だ。食い物ではない。
書いてから、引き出しを見た。
チビは、その引き出しの前に座って、動かなかった。
「……食い物じゃない」
俺は、もう一度言った。
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