
最弱テイマーが拾った卵は、竜でした 第三話 鉄くず
十四日目。分銅を三つ全部載せても、皿は下がったまま戻らない。チビは、卵込みで百三十グラムを超えた。測りの店の親父は、一言で鍛冶屋を指した。南の門の手前、昼でも炉の口が赤い店で、新しい百グラムを一つ打ってもらう。ロウが両手で竿を吊るしている間に、チビは上着の裾から出て、入口の脇の鉄くずの箱へ歩いていった。
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十四日目。 体長 十一センチ。 体重 ――(百三十グラムでは足りない) 食べたもの 卵(殻ごと)、干し肉(噛んでやった) 飛べた距離 〇。
体重の欄に、また線が引いてある。
七日目に一度埋まった欄だ。九十グラム。卵込みで百三十。あの夜、分銅を三つ全部使って、来週には足りなくなると思った。
来週を待たなかった。
十二日目の夜、割れ卵を左の皿に置いて、チビを乗せて、右に百、二十、十を載せた。
左が、下がったままだった。
竿は、左に傾いたまま動かない。分銅はもう無い。手のひらで右の皿を押してみると、少し押したところで水平になった。俺の指の重さは、帳面に書けない。
「……読めない」
読み上げる数字が無かった。
チビは、皿の上で卵を食い終わって、殻を舐めていた。
*
分銅は、使わないときは机の引き出しに入れてある。上に帳面を三冊積んである。
七日目の夜から、チビはその引き出しの前に座るようになった。
八日目の朝も座っていた。九日目の朝は、引き出しの取っ手に前脚をかけて、引こうとしていた。爪が鋭いので、取っ手の木に白い筋が三本ついた。
そのたびに、俺は言った。
「食い物じゃない」
危険を教えるのと同じやり方だ。そのものを見せて、言葉を言う。何度もやる。食べ物を覚えさせる技には、食べ物でないものを覚えさせることも入っている。シロには、宿の石鹸と、従魔市の肥料袋を、そうやって覚えさせた。
チビは、俺を見て、引き出しを見て、また俺を見た。
分かった、という顔ではなかった。
*
九日目から三日、北の倉の荷運びに出た。
親方が、また呼んでくれた。マリを通さずに、倉の荷運びの男が宿まで言いに来た。四日、隣で袋を担いだ男だ。
親方は、日当を渡すときに俺の胸を見て、やっぱり何も訊かなかった。上着の内側は、前の四日より重くなっている。袋を担ぐと、硬いものが肋に当たる。
十日目と十三日目に、ガドーの台へ行った。割れ卵、十二で二枚。
どちらの日も、ガドーは前の客と怒鳴り合っていて、俺の顔を見ると「籠なら端だ」とだけ言った。二度とも、何も訊かなかった。
数えると、どちらも十三だった。
チビは、日に三つか四つ食う。割れ卵は三日目から匂う。十日目に買った籠の最後の二つは、十三日目の朝には匂いがしていて、チビは嗅いで、顔を背けた。匂うものは食わない。帳面には、まだ書いていない。
銅貨を数える。
二十四あった。倉で四十五。宿が七晩で二十一。割れ卵が二籠で四。干し肉が六。
三十八枚。
七日目より、増えている。増えたのは初めてだった。
*
十四日目の朝、従魔市の端の、測りの店へ行った。
親父は、店先で荷車の秤の鎖を磨いていた。俺の顔を覚えていたらしく、手を止めて、言った。
「壊したか」
「壊してません。分銅を、一つ足したくて」
「分銅だけは、売らん」
「……組でしか、売らないんですか」
「組でも、もう無い」
親父は、鎖に目を戻した。それから、顎で南を指した。
「鍛冶屋だ」
それで終わりだった。
*
鍛冶屋は、南の門の手前にあった。
通りに面した壁が半分無くて、中が見える。炉が一つ。昼なのに、炉の口が赤い。金床の横に、水を張った桶。壁際に、鉄の棒が長さ順に立てかけてある。
入口の脇に、木の箱が一つ置いてあった。
蓋の無い箱で、中に黒いものが詰まっている。釘の頭、曲がった蹄鉄の釘、鎖の輪の割れたもの、鑢で削った粉の塊。鉄くずだ。
上着の内側で、チビが動いた。
俺は、上着の前を押さえた。
「何だ」
炉の向こうから、声がした。
鍛冶屋は、五十を過ぎたくらいの女だった。腕が、俺の腿くらいある。前掛けに、焦げ跡が点々とついている。
「分銅を、一つ」
俺は、布にくるんで持ってきた測りを出して、竿を吊るして見せた。皿が二つ揺れた。
「百グラムのを。これと同じものを、もう一つ」
引き出しから出してきた百グラムの分銅を、差し出した。
鍛冶屋は、受け取って、手のひらで二度、軽く跳ねさせた。
「同じ重さにしろってことか」
「はい」
「同じ形でなくていいな」
「重さだけで」
「六枚」
俺は、少し考えた。
六枚あれば、割れ卵が三籠。十日ぶんだ。
だが、量れないものは、育てられない。シロの帳面には、重さを書かなかった日が少ない。自分の測りは無かったから、ギルドの共用の測りを借りに通った。最後の一行にも、体重のことが書いてある。減、と。
「お願いします」
銅貨を六枚、金床の端に置いた。
鍛冶屋は、それを前掛けのポケットに落として、壁から鉄の棒を一本取った。親指くらいの太さの棒だ。
百グラムは、返された。
「量りながらやる。それ、持ってろ」
*
俺は竿を吊るして、立っていた。
左の皿に、俺の百グラム。右の皿に、鍛冶屋が棒から切った鉄の塊を載せる。
塊は、赤くなるまで炉で焼いて、金床の上で鏨を当てて、槌で一度叩いて切ったものだった。切ってすぐ、水の桶に放り込む。じゅう、と音がして、湯気が上がる。取り出して、右の皿に載せる。
右が、少し下がる。
鍛冶屋は、塊を取って、鑢をかける。粉が、金床の下に落ちる。また載せる。まだ右が下がる。また鑢。
両手で竿を持っているので、上着の前を押さえられなかった。
胸の重みが、すっと消えた。
下を見た。
チビが、上着の裾から出て、床に降りていた。
床を、歩いていく。よたよたしていない。脚が、しっかりしている。一度も転ばずに、入口の脇の箱まで行って、縁に前脚をかけた。
「おい」
竿を持ったまま、声を出した。
チビは、振り向かなかった。
鍛冶屋が、鑢を止めて、チビを見た。
「……蜥蜴か」
「そんなようなもんです」
嘘ではない、と思うことにした。
箱の手前で、チビは一度、床の何かに鼻先を向けた。向けて、すぐに首を引いた。
それから、箱の縁を越えて、中に入った。鉄くずが、かしゃ、と鳴った。
俺は、竿を金床の端に引っかけて、手を離した。分銅が揺れた。鍛冶屋が何か言った。聞いていなかった。
箱へ、行った。
しゃがんで、チビを掴もうとした。左手を床について、右手を箱へ伸ばした。
「きっ」
短い音だった。
金物が擦れたような、高くて、硬い音。
俺の手が、止まった。
止めたのではない。止まった。
チビが、箱の中から、こっちを見ていた。首を伸ばして、目を大きく開けて、俺を見ていた。
俺の顔ではなかった。
俺の、左手を見ていた。
床についた左手の、指の先。指三本ぶん先の床に、黒い鉄の塊が一つ、落ちていた。
鍛冶屋が、さっき切ったものの、端だ。切ったときに金床から跳ねて、床に落ちていたらしい。色は黒い。赤くない。ほかの鉄くずと、見分けがつかない。
「触るな」
鍛冶屋が言った。
金床の向こうから回ってきて、その塊に、ぺっと唾を吐いた。
じっ、と音がして、唾が玉になって転がり、消えた。
「さっき切ったやつだ。黒くても、熱い」
俺は、左手を、床から離した。
あと一度、手をついて体を寄せていたら、指の腹で掴んでいた。チビを掴もうとして、そのまま。
鍛冶屋は、火箸でその塊を拾って、水の桶に落とした。じゅう、と音がした。
俺は、チビを見た。
チビは、もう俺を見ていなかった。
あの声は、知らない声だった。
腹が減った、ではない。うれしい、でもない。
だが、聞いた瞬間に手が止まった。犬にも、鳥にも、荷牛にも、それぞれ同じ意味の声がある。十二年、それを聞くたびに、俺はシロの前に出た。
危ない、だ。
俺は、チビに、あれは危ないと教えた。荷牛の脚を見せて、二度、言葉で言った。
俺は、「きっ」とは言っていない。
*
箱の中で、かり、と音がした。
チビが、鉄くずの中から、何かを咥えていた。
釘の切れ端だった。蹄鉄の釘を、打ったあとに切り落とした先のほう。俺の小指の爪くらいの長さで、錆びて、赤茶けている。
チビは、それを、噛んだ。
かり。かり。
卵の殻を噛むときと同じ音だった。
俺の手が、また伸びた。
口から取り上げる。分銅のときと同じだ。食い物じゃない。七日間、毎朝そう言ってきた。
手が、チビの鼻先の、指一本ぶん手前まで行った。
そこで、止めた。
こんどは、俺が止めた。
チビが咥えている釘の切れ端は、冷えていた。錆びて、赤茶けて、何日もこの箱にあったものだ。さっき床に落ちていた塊は、箱のすぐ手前にあった。チビは箱に入る前に、そこへ鼻先を向けて、首を引いていた。
熱いのが、分かっていたように見えた。それには口をつけず、冷えたものを選んだ。
シロの餌の帳面も、そうだった。芋は、茹でたものだけ。どれも、シロが選んで、俺が書いた。選ぶのは向こうが先で、分けるのは俺の仕事だ。
ここで取り上げたら、こいつが何を食う生き物なのか、一生分からない。
手を、引いた。
チビは、釘の切れ端を、飲み込んだ。
喉が、一度動いた。
俺は、息を止めて、見ていた。
チビは、咳もせず、吐きもせず、首を振りもしなかった。箱の中を嗅いで、二つ目を咥えた。同じような、釘の先だった。
かり。かり。飲み込んだ。
三つ目を咥えたところで、俺は言った。
「チビ」
チビが、俺を見た。
「それで、終わりだ」
三つ目を飲み込むのを待ってから、両手で掬い上げた。
チビは、抵抗しなかった。手のひらの上で、口の周りを舐めて、それから、俺の親指の付け根に、顎を乗せた。
重かった。七日目より、確かに重い。
*
「鉄を食う蜥蜴は、聞いたことがねえな」
鍛冶屋が、金床に戻って、鑢を取りながら言った。
「俺もです」
「腹、壊さねえのか」
「分かりません」
俺は、正直に言った。
「分からないから、三つでやめました」
鍛冶屋は、ふん、と鼻を鳴らした。
それきり、鑢に戻った。
俺は、チビを上着の内側に戻して、こんどは前のボタンを二つ留めた。それから竿を取って、また吊るした。
鍛冶屋が、塊を右の皿に載せる。まだ少し、右が下がる。鑢を一度。載せる。竿が、ゆっくり戻ってきて、真ん中で止まった。
鍛冶屋は、塊を取り上げて、鏨で一つ、印を刻んだ。縦の線が一本。
「百だ。お前の百と、同じ百だ」
俺の手のひらに、落とした。まだ少し温かかった。
「お前の百が正しいかどうかは、知らん」
「……はい」
「正しくなくても、二つとも同じだけ間違ってる。量るぶんには困らねえ」
分銅を握った。棒を切ったままの形で、角が立っている。俺の百グラムより、少し短くて、太い。
帰ろうとしたとき、鍛冶屋が、金床の下から何かを掬って、布切れにあけて、包んで、俺に放った。
受け取ると、ざらりと重かった。
「削り粉だ。溶かし直すには少なすぎる」
「……いくらですか」
「ごみに値はつけねえ」
鍛冶屋は、もう炉のほうを向いていた。
上着の内側で、チビが、包みのほうへ鼻先を押しつけてきた。
*
宿に戻って、測りを机に吊るした。
分銅を並べる。十、二十、百。それから、新しい百。四つになった。
チビは、机の端に座って、新しい百を見ていた。
卵を置かなければ、チビは皿に乗らない。卵を置くと、百三十では足りない。七日目は、卵の重さを「ざっと」で引いた。
今夜は、やり方を変える。
割れ卵を一つ、先に左の皿に載せた。チビを乗せずに、卵だけ。右に、二十と十と、もう一つ十があればいいが、無い。二十と十で、左が少し下がる。もう少し。
思いついて、二十と十はそのままにして、手元の銅貨を一枚ずつ足した。銅貨は一枚、ざっと四グラムある。ギルドの共用の測りで、昔シロの薬を量ったときに覚えた。
二十と十と、銅貨が三枚で、水平になった。
「……四十と、少し」
四十二。七日目に「ざっと四十」と書いたのは、当たっていた。当たっていたが、ざっとではなくなった。
卵を皿に置いたまま、チビを乗せた。
チビは、乗った。乗って、卵を食い始めた。右の皿から銅貨と小さい分銅を全部下ろして、百を載せた。左が下がる。新しい百を足した。
右が、下がった。
重すぎる。
新しい百を下ろして、百と二十と十。左が下がる。
百三十と、二百の間だ。
竿を見ていた。
百と百で右が下がり、百と二十と十で左が下がる。その間を埋める分銅が、無い。百を二つにしても、間は埋まらない。
しばらく、そのまま見ていた。
それから、右の皿の二百はそのままにして、左の皿に、銅貨を一枚、置いた。
二枚。三枚。
七枚で、竿が、真ん中に戻ってきた。
頭の中で、数える。右は二百。左は、チビと、卵と、銅貨七枚。銅貨七枚で、ざっと二十八。卵が、四十二。
二百から、二十八と、四十二を引く。
「百三十」
声に出して、読んだ。
銅貨の重さは、ざっとでしかない。だから、この百三十も、少しだけ、ざっとだ。
七日目に、九十。
十四日目に、百三十。
一週間で、四十。卵一つぶん。
ペンを持ったまま、しばらく、その二つの数字を見ていた。
左の皿の上で、チビは卵を食い終わって、銅貨を嗅いでいた。嗅いで、顔を背けた。
銅は、食わないらしい。
*
餌の帳面を開いた。
チビの見出しの下に、×が五つと、△が一つと、〇が一つ並んでいる。
その下に、書き足した。
鉄くず、〇。少し。釘の切れ端、三つ。錆びたもの。冷えたものだけ。熱いものは、避けたように見えた。
銅、×(嗅いで、背けた)。
匂う卵、×。
書いてから、ペンを置いて、上着のポケットから布の包みを出した。
開くと、黒い粉と、細い削りかすが、手のひらに一杯ぶんくらいあった。
チビが、机の端から、首を伸ばした。
「明日だ」
包みを結び直して、引き出しに入れた。分銅は四つとも、その横に入れた。上に、帳面を三冊積んだ。
チビは、引き出しの前に座った。
七日間、同じことをしてきた。
だが今夜は、俺は「食い物じゃない」とは言わなかった。
言えなくなった。
代わりに、三冊目の帳面を、もう一度抜いた。
十四日目。 体長 十一センチ。 体重 百三十グラム。 食べたもの 卵(殻ごと、四つ)。干し肉、少し(噛んでやった)。鉄くず、少し(釘の切れ端、三つ)。 飛べた距離 〇。
――鍛冶場で、鉄くずを食べた。止めなかった。
一行あけて、もう一行書いた。
――知らない声を出した。きっ、と鳴った。危ない、だと思う。俺に向けて鳴いた。
ペンを置いた。
それから、もう一度取って、最後に一つ足した。
――教えていない。
帳面を閉じた。
等外のテイマーが、蜥蜴で通して、鍛冶屋のごみをもらって帰ってきた。それだけの一日だ。帳面に書くと、少し立派に見える。帳面のいいところは、そこくらいだ。
帳面を、引き出しの中の、分銅の上に戻した。
寝台の端に座って、自分の左手を見た。指の腹は、どこも焼けていない。
チビが、引き出しの前から歩いてきて、俺の膝に頭をぶつけて、止まった。
しばらく、そうしていた。
それから、向きを変えて、引き出しの前に戻った。
引き出しの中には、分銅が四つと、削り粉の包みが一つある。
明日だ、と言ったのは、俺だ。
チビは、俺に背中を向けて、引き出しの前に座っていた。
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