同居してる幼馴染に「私の推しに似てる」と言ったら、本気で怒られた
家賃折半で同居して二年目、幼馴染の航に「推しの岸谷レオに似てる」と言った瞬間、空気が凍った。冗談のつもりだった一言に本気で怒った彼が、実は自分を見てほしかったのだと気づいてから、二人の関係は静かに変わっていく。
同居している幼馴染に「推しに似てる」と言ったら、本気で怒られた。
私、宮下叶、25歳。同居相手は幼馴染の航、同い年。二人とも今年で社会人三年目。家賃も光熱費も折半、2LDKのそれぞれの部屋、恋愛感情はナシ――という建前で、もう二年一緒に暮らしている。
きっかけは実家が近所同士だったことと、就職を機に上京するタイミングが同じだったこと。「どうせなら一緒に住めば家賃浮くよね」という、恋愛映画とは対極の理由で始まった同居生活だった。子どもの頃の話は、正直もうほとんど覚えていない。せいぜい、公園でよく取っ組み合いの喧嘩をしていたことくらい。今の私たちは、それぞれ会社員として朝早く出て、夜遅く帰ってくる、ただのルームメイトだ。
同居のルールはシンプルだった。家賃と光熱費は折半。食費は当番制。恋愛関係になったら即解消、というのが唯一の暗黙の掟。二年間、その掟を破りそうになったことは、多分お互い一度もない。少なくとも私の記憶では。友達に同居の話をすると、大抵「それもう付き合ってるようなもんじゃない?」と言われるけど、そのたび私は「いや違う、生活コストの分担だから」と真顔で返してきた。今思えば、その説明自体がちょっと不自然だったのかもしれない。
事件が起きたのは、金曜の夜だった。
私は録画していたライブ映像を見ながら、缶チューハイを片手にソファでだらけていた。画面の中では、私の推し――アイドルグループ「PRISM」の岸谷レオが、汗だくで歌っている。
「レオ、今日も尊い……」
呟いた瞬間、キッチンから戻ってきた航が画面を覗き込んで、固まった。
「……これ、俺に似てない?」
え。
私は画面と航の顔を、二回くらい見比べた。言われてみれば、目元の感じとか、笑ったときの口の形とか、ちょっと似ている、気がしないでもない。
「言われてみれば、似てるかも」
軽い気持ちで頷いたら、航の表情がすっと固くなった。
「……そう」
それだけ言って、航はキッチンに戻っていった。何、その反応。
その日から、航の様子がおかしかった。会話が減った。目も合わせない。リビングで顔を合わせても、必要最低限の「おかえり」「お風呂先入る」しか言わない。
「ねえ、なんか怒ってる?」
三日目の夜、さすがに耐えかねて聞いた。航は洗い物をしていた手を止めて、こっちを見ずに言った。
「別に怒ってない」
「怒ってるじゃん、その言い方」
思えば同居を始めてからの二年、航がこんなに露骨に不機嫌を隠さないのは初めてだった。喧嘩らしい喧嘩といえば、洗濯物の畳み方とか、生ゴミの日を忘れたとか、その程度。今回みたいに、話しかけても目を合わせないレベルの空気の悪さは記憶にない。
航はしばらく黙っていた。水を止めて、タオルで手を拭いて、それからやっと私の方を向いた。
「怒ってるわけじゃなくて……ちょっと、傷ついた」
意外な単語が出てきて、私は缶チューハイを持ったまま固まった。
「傷ついた? 何に?」
「叶が、俺のことレオに似てるって言ったとき」
「え、それだけ? 褒めたつもりだったんだけど」
「褒め言葉に聞こえなかった」航の声が、少し低くなった。「叶にとって俺は、レオの代わりでいいってことなのかなって」
「そんなつもりじゃ」
「わかってる、そんなつもりじゃないのはわかってる。でも」航は言葉を切って、それからちょっと自棄になったみたいに続けた。「俺は、俺として叶に見てほしいんだよ。誰かの劣化コピーとしてじゃなくて」
思ってもみない反撃だった。二年間、恋愛感情ナシの同居人として過ごしてきたはずのこの男が、なんでこんなにムキになってるんだろう。
「劣化コピーなんて思ってないよ。ただ似てるなって」
「似てるって言われて嬉しくなかった。それだけ」
そう言って、航はリビングを出ていった。残された私は、缶チューハイの結露した水滴をぼんやり見ながら考えた。航がこんなふうに本気で怒るのを、二年間で見たことがなかった。
翌朝、航はもう会社に行っていた。テーブルの上にメモがあった。「先に出る」とだけ書いてあって、いつもの軽口も何もない。
一日、仕事にならなかった。パソコンの前に座りながら、頭の中では航の顔ばかり浮かんでいた。傷ついたって、あんな顔で言われるとは思わなかった。
(誰かの代わりでいいってことなのかなって……)
その言葉が、頭の中で何度もリピートした。よく考えたら、私は航のことを「幼馴染で、同居人で、便利な生活パートナー」としか見てこなかった気がする。恋愛感情がないという建前を、二人とも都合よく使い続けてきただけなんじゃないか。
昼休み、会社の給湯室で同期に愚痴ったら、「それもう普通に両想いのやつじゃん」と即答された。
「いやいや、同居人だよ。恋愛感情ナシで始めた関係」
「二年間、恋愛感情ナシで一緒に住み続けてる時点で、もう十分怪しいけどね」
「怪しくない。ただの合理的な生活パートナーシップ」
「叶がそう思ってても、向こうは違うんじゃない?」
同期の言葉が、思ったより刺さった。会社帰りの電車の中でも、その一言が頭から離れなかった。「合理的な生活パートナーシップ」――自分で言っておいて、なんだかすごく寂しい響きに聞こえてきた。
その夜、私は航が帰ってくるのを、珍しく玄関で待った。
「おかえり」
「……ただいま」
航は靴を脱ぎながら、まだ気まずそうな顔をしていた。私は深呼吸して、言った。
「昨日はごめん。ちゃんと考えないで言った」
航が顔を上げる。
「私、航のことレオの代わりだなんて、一回も思ったことない。似てるって言ったのは、多分――航のこと、ちゃんと見てたから気づいたんだと思う。顔とか、笑い方とか。それって、代わりに見てたわけじゃなくて、航自身をちゃんと見てたってことじゃないの」
自分で言いながら、なんだか変な理屈だと思った。でも航は、少しだけ表情を緩めた。
「その理屈、ちょっと強引じゃない?」
「強引でもいいから、機嫌直して。航が黙ってると、家の中が寒い」
航は小さく息を吐いて、それから玄関の壁にもたれかかった。
「叶さ」
「なに」
「俺が本気で怒ったの、なんでだと思う」
「レオと比べられたのが嫌だったんでしょ」
「半分正解。もう半分は」航はまっすぐ私を見た。「叶に、ちゃんと男として意識されたかったから」
その言葉に、玄関の空気が変わった。二年間、意識的に避けてきた話題が、目の前に転がり出てきた気がした。
「それ、今、言うんだ」
「言うタイミング、ずっと逃してた。でも、叶が推しに似てるとか言うから、悔しくて言うしかなくなった」
「悔しさで告白しないでよ」
「悔しさじゃなかったら一生言わなかったと思う」
正直な返事に、私は思わず笑ってしまった。航も釣られて笑った。ずっと張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ気がした。
「ちなみに」航が咳払いして言った。「いつから意識してた、とか聞いていい?」
「答えたくない」
「なんで」
「恥ずかしいから」
「俺は答えたよ、悔しさで告白したって」
「それは航が勝手に自爆しただけでしょ」
「自爆でも公平に情報開示してよ」
こういう言い合いを二年間ずっとしてきたはずなのに、今夜だけは同じやり取りの温度がまるで違って感じられた。多分、これまでは友達同士の軽口で、今は恋人になりかけの探り合いだから。
「……去年の秋くらい」私は根負けして白状した。「航が風邪で寝込んだとき、なんか変な優しさが出て。あれ以来、たまに意識してた」
「早くない? 一年近く黙ってたってこと?」
「航だって二年黙ってたでしょ」
「それはそう」
「私も、同じかも」私は言った。「航のこと、幼馴染とか同居人とか、そういう言葉で誤魔化してきた。でも本当は、ちゃんと意識してた。だから今日、めちゃくちゃ気になって仕事にならなかった」
「それ、告白?」
「告白されたから、返しただけ」
「じゃあ、付き合う?」
「その聞き方、雑すぎ」
「雑でいいから、返事聞かせて」
私は航の顔を見た。二年間、毎日見てきたはずのその顔が、今夜は知らない誰かみたいに見えた。
「いいよ。付き合おう」
その夜、私たちは二年間別々だった寝室の境界を、初めて越えた。
航が私の部屋のドアを、遠慮がちにノックした。
「入っていい?」
「今更、遠慮するんだ」
「今更だからこそ、ちゃんと聞きたい」
その律儀さが航らしいと思った。私はベッドの端に座って、頷いた。
「いいよ、入って」
航が近づいてきて、私の隣に腰を下ろす。二年間隣の部屋で寝ていたはずなのに、今夜だけは距離の詰め方がわからなくて、二人ともしばらく黙っていた。
「叶」
「なに」
「本当に、俺でいい?」
「レオの代わりじゃないかって、まだ疑ってるの」
「疑ってはない。ただ、確認したい」
その真面目さに、胸の奥が締めつけられた。私は自分から航の頬に手を伸ばした。
「航がいい。ずっと前から、多分」
その一言で、航の表情がふっと崩れた。彼は私の手に自分の手を重ねて、それからゆっくり顔を近づけてきた。唇が重なると、二年分の遠慮が、少しずつ溶けていくのがわかった。
「服、脱がせても?」
「うん」
航の指が、私のパジャマのボタンを外していく。手つき、思ったより丁寧で、ちょっと震えているのが伝わってきた。
「航、緊張してる?」
「してないわけないでしょ。二年間、意識しないふりしてきたのに」
「意外」
「意外じゃない。むしろ今までよく我慢してた方だと思う」
素肌が空気に触れた瞬間、私は思わず身をすくめた。でも航は責めるような目では見ず、ただじっと、確かめるように私を見つめた。
「叶、綺麗」
「その言い方、レオっぽくない?」
「今それ言う? 空気読んで」
「ごめん、つい」
軽口を叩き合いながらも、航の唇は私の首筋に落ちて、鎖骨へ、胸元へと下りていく。触れられるたびに、私の口から堪えきれない声が漏れて、慌てて手の甲で口を塞いだ。
「我慢しないで。声、聞きたい」
「隣の部屋、ないのに何言ってるの」
「隣の部屋関係なく、聞きたいの」
その言葉に、私の中の何かが緩んだ。航の手が下着の中に滑り込んできて、そこがすでに潤んでいることに触れると、恥ずかしさで消えたくなった。でも航は笑わず、安堵したような息を漏らした。
「よかった。俺だけ意識してたんじゃなくて」
「……そんなわけないでしょ」
指がゆっくり動くたびに、腰の奥から力が抜けていく。すべて脱ぎ終えると、航は避妊具の袋を開けながら、もう一度確かめた。
「叶、本当にいい?」
「もう何回目、その質問」
「大事なことだから」
「いいよ。航が、いい」
その言葉に航は目を細めて、それから覆いかぶさってきた。先端が入り口に触れた瞬間、私は思わず彼の背中に腕を回した。
「ゆっくり、入れるから」
宣言どおり、航はゆっくり腰を進めた。狭いところを押し広げられる感覚に、私は息を止めた。痛みというより圧迫感。慣れない重さに身体が一瞬こわばる。
「痛い?」
「痛くない……ちょっとびっくりしてるだけ」
「止まる?」
「ううん、そのまま来て」
航はゆっくりと、でも確実に奥まで沈んできた。繋がった場所から広がる熱に、私は喉の奥から声を漏らした。
最初の動きは、確かめるように緩やかだった。航は私の反応を見ながら、少しずつ速さを上げていく。腰を打ちつけられるたび、抑えきれない声が漏れて、慌てて枕に顔を埋めた。
「顔、見せて」
「無理、恥ずかしい」
「二年我慢したんだから、見せてよ」
そう言われると弱かった。顔を上げると、航はすごく嬉しそうな顔をしていて、それだけで胸がいっぱいになった。律動が少しずつ速くなり、二人の息が重なっていく。汗ばんだ航の背中に爪を立てると、彼は小さく呻いて、体勢を変え、私を横向きに抱き直した。背中から包み込むように繋がったまま動かれると、さっきまでと違う場所に当たって、私は思わず高い声を上げてしまった。
「今の、可愛い」
「言わないでって言ったのに」
「無理、我慢できない」
腰の動きが速くなるにつれて、頭の中がだんだん白くなっていく。恥ずかしさも、二年分の遠慮も、全部溶けていって、ただ航の体温と繋がっている感覚だけが残った。
「航……もう……」
「俺も、そろそろ」
最後、航が一段深く沈んできた瞬間、私の内側で何かが弾けた。声にならない声を上げて、彼の背中にしがみつく。航も同時に低く息を詰めて、身体をこわばらせた。
しばらく、二人とも動けなかった。私の身体はまだ甘く痺れていて、指先まで力が入らない。航は私の額の汗を、指でそっと拭ってくれた。
「大丈夫?」
「大丈夫……なんか、腰、抜けた」
「それ、褒め言葉として受け取っていい?」
「ばか」
そう言いながら、私は笑った。航も笑って、隣に横になって腕を伸ばし、私を抱き寄せた。
翌朝、目を覚ますと航はまだ隣で眠っていた。二年間、隣の部屋の壁越しにしか感じたことのなかった寝息が、今は肩のすぐそばで聞こえる。
「……起きてる?」
薄目を開けた航が、寝ぼけた声で聞いてきた。
「起きてる」
「昨日のこと、覚えてる? 俺、ちゃんと告白した?」
「覚えてる。しかも悔し紛れって自分で言ってた」
「言わなくていいそれ」
航は照れくさそうに私の肩に顔を埋めた。私はその頭を撫でながら、ふと思い出して聞いた。
「ねえ、レオのポスター、まだ部屋に貼ってるけど大丈夫?」
「大丈夫じゃない。それは普通に嫉妬する」
「じゃあ剥がす」
「剥がさなくていいけど、隣に俺の写真も貼って」
「対等に張り合う気なんだ」
「張り合うでしょ、これから彼氏なんだから」
彼氏、という単語が、まだ耳に馴染まなくてくすぐったい。でも悪い気は全然しなかった。二年間、家賃と生活費を折半してきた関係が、今日から少しだけ違う名前を持つ。
月曜になったら、同期に何て報告しようか考えて、ちょっと笑ってしまった。「両想いのやつじゃん」と即答してきたあの同期は、多分「ほら見たことか」みたいな顔をするに違いない。それはそれで、ちょっと悔しい。
「航」
「なに」
「これからも、家賃は折半でいい?」
「そこはブレないんだ」
「一番大事なことだから」
航が笑って、私を抱きしめる腕に力を込めた。窓の外はもうすっかり明るくなっていて、休日の朝の匂いがした。推しに似てると言った一言から始まったこの騒動が、結局、二年分の遠慮を全部片付けてくれたんだと思うと、ちょっとおかしかった。
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