漫画の制作環境の整え方:ソフト・機材・原稿サイズと解像度
道具を揃えることは、漫画を描き始める条件ではない。手元にある紙とペン、あるいはすでに持っているスマートフォンで、8ページの読み切りは描き切れる。それでもこの記事を書くのは、原稿サイズと解像度だけは、間違えると後から取り返しがつかないからである。ここだけは最初に正しい数値を入れておく必要がある。
以下では、アナログとデジタルの分かれ目、無料で始められるソフト、入力機器の違い、そして数値の話を順に扱う。価格や仕様は変わるので、金額に関わる判断は必ず各社の公式ページで確認してほしい。
アナログとデジタルの分かれ目
どちらが優れているという話ではなく、何が楽になるかが違う。
アナログの長所は、起動と片付けが要らないこと、線を引く感覚が最初から手に馴染んでいること、そして初期費用がほぼゼロで済むことである。短所は、修正が効きにくいこと、トーン貼りに材料費と手間がかかること、そして投稿・公開の前にスキャンという工程が挟まることだ。
デジタルの長所は、やり直しが無限にできること、トーンと効果線の手間が劇的に減ること、ネームから仕上げまでを同じファイル上で連続して進められること。短所は、道具に慣れるまでの時間が要ること、そして画面越しに線を引く感覚に適応が必要なことである。
ここからは整理だが、1本目をどちらで描くかは大きな問題にならない。8ページなら、アナログでも完成する。判断を分けるのは、その後に何をしたいかである。縦読み漫画を作りたい、Web に定期的に投稿したい、トーンを多用したいのであればデジタルが前提になる。同人誌を作りたい、紙の質感で描きたいのであればアナログでも支障はない。
無料で始められるソフト
デジタルを選ぶ場合、有料ソフトを買わなければ始められないということはない。公式に無料と明記されているものを挙げる。
Krita は、公式サイトで「professional FREE and open source painting program」と明記された、GNU GPL のもとで公開されているオープンソースのペイントソフトである。デスクトップ向けで、機能制限のない完全な無料ソフトという点が特徴になる。漫画専用の機能は多くないが、描画そのものの機能は十分に揃っている。
MediBang Paint は、公式サイトで「無料のイラスト・マンガ制作ツール」とされているソフトで、Windows/Mac のデスクトップ版、iPad、iPhone、Android に対応する。クラウド機能と、マンガのネームを使ったチーム制作の機能が公式に紹介されており、複数人で作る場合に向く。追加の素材やブラシを使える有料の MediBang Premium も用意されている。
ibisPaint(アイビスペイント) は、公式サイトで基本機能が無料で利用可能とされ、スマートフォン・タブレット・PC に対応する。公式が挙げている機能の中には、スクリーントーン・コマ割り・吹き出しといったマンガ機能が明示されている点が、この記事の目的からは重要になる。すでにスマートフォンを持っているなら、追加の出費なしで漫画の制作を始められる。
このほか、CLIP STUDIO PAINT にも無料で使える範囲がある。スマートフォン版に毎月一定時間を無料で使える枠が設けられているが、時間数や条件は変わりうるので、公式の購入ページで確認してほしい。無料の体験版も提供されている。
**まず1本描くだけなら、この中のどれでも足りる。**選べないなら、いま持っている端末で動くものを選ぶのが正解に近い。
有料ソフトを検討する基準
無料で始めたうえで、次のどれかに当たったら有料ソフトを検討する、という順序を勧めたい。ここからは整理である。
第一に、コマ枠の作成・トーン・パース定規といった漫画専用機能に手間を取られていると感じたとき。第二に、複数ページを1つのファイルで管理したくなったとき。第三に、同人誌の入稿やプロの投稿要件に合わせた書き出しが必要になったとき。第四に、3D素材を背景の下敷きに使いたくなったとき。
裏を返せば、これらに当たっていないうちは、有料ソフトを買っても使う機能が増えない。道具を買うことは、描かない理由の先送りになりやすい。
板タブ・液タブ・タブレット端末
デジタルの入力機器は、大きく3種類ある。
**板タブ(ペンタブレット)**は、手元の板の上でペンを動かし、視線はパソコンの画面に向ける方式である。安価で、姿勢が楽で、画面が手で隠れない。短所は、手元と画面が一致しないため慣れが要ること。慣れの期間は個人差が大きいが、数週間から数か月というのが一般的な感覚である。
**液タブ(液晶ペンタブレット)**は、画面そのものに直接描く方式。紙に近い感覚で描けるので移行の負担が小さい。短所は高価であること、画面が手で隠れること、そして発熱と設置スペースの問題がある。パソコンが別に必要になる点も費用に含めて考える必要がある。
タブレット端末(iPad や Android タブレットとスタイラス)は、単体で完結する方式である。パソコンが要らず、持ち運べる。短所は、パソコン用のソフトがそのまま使えるとは限らないこと、大きな作業画面が取りにくいこと。ただし縦読み漫画のように長いキャンバスを扱う場合は、作業のしやすさが機種の性能に左右される。
選ぶときに見る仕様は、描画面の大きさ、筆圧の段階数、傾き検知の有無、そして対応OSである。このうち初心者がいちばん気にしがちなのが筆圧の段階数なので、実際の幅を挙げておく。ワコムのストアの「ペンタブレットの選び方」では、板型4機種の筆圧レベルが、エントリー機の One by Wacom で最高2048段階、Wacom One ペンタブレットと Wacom Intuos で最高4096段階、プロ向けの Wacom Intuos Pro で8192段階と示されている。対応OSも機種で異なり、前3機種が Windows・Mac・Chrome、Intuos Pro は Windows・Mac とされている。
**ここからは当サイトの見解である。**最初の1本を仕上げるうえで、2048段階と8192段階の差はまず問題にならない。差が効き始めるのは、筆の入り抜きを筆圧だけで作り込むペン入れをするようになってからで、それは何本か描いた後の話だ。初心者が最初に体感するのは筆圧の段階数ではなく、描画面の大きさと、手元を見ずに描けるかどうかである。だから予算を上げるなら、筆圧の等級より先に、描画面を一段大きくするか液タブに移るかを検討したほうが効く。
価格については、金額が頻繁に変わるうえ機種構成も入れ替わるため、ここには書かない。傾向としては、同じ描画面サイズなら板タブがいちばん安く、液タブは同サイズの板タブよりはっきり高い。タブレット端末はその中間から上に位置するが、パソコンを別に買わなくてよい分、総額では逆転することがある。**板タブと液タブの比較では、液タブ本体の価格に加えて、それを繋ぐパソコンの費用まで足して比べること。**実際の金額は各社の公式ストアで確認してほしい。
なお、機材はあとから買い足せる。1本目はマウスやスマートフォンの指描きでも描き切れる。
原稿サイズと解像度:ここは間違えられない
紙に印刷される漫画(横読み)の標準は、B4サイズの原稿用紙である。CLIP STUDIO の公式解説では、B4は257mm × 364mm、その中の基本枠(内枠)は180mm × 270mm、裁ち落とし幅は5mmとされ、この内枠寸法がほとんどの出版社の規定に対応するとされている。解像度は雑誌掲載用で600dpi以上が推奨されている。
ここで、原稿用紙に引かれている3本の枠の意味を正確に押さえておきたい。取り違えると実害が出るのはこの部分である。
外側から順に、裁ち落とし線・仕上がり線・基本枠(内枠)が並ぶ。同解説によれば、製本のときに原稿が裁断されるのは仕上がり線であり、「『仕上がり線』より外側に描いた内容は印刷されません」。仕上がり線とその外側の裁ち落とし線との間の幅が裁ち落とし幅で、これは「裁ち落としするときのズレを想定した余白」である。断裁は毎回わずかにずれるので、端まで絵を見せたいコマ(タチキリ)は、仕上がり線で止めずに裁ち落とし線まで描き伸ばしておく。
一方、基本枠(内枠)は断裁線ではない。同解説は「基本枠の中に絵やセリフが収まるようにコマ割りするのが原則ですが、演出によって仕上がり線までの間に絵やセリフを入れる場合もあります」と書いている。つまり内枠と仕上がり線の間は、ふつうに印刷される領域であり、タチキリの絵はここを通る。内枠は、断裁のブレや綴じ込みで欠けたら困るもの——台詞、重要な線——を収めておくための安全枠だと理解するのが正しい。
CLIP STUDIO PAINT の公式ユーザーガイドでは、新規キャンバスの解像度の選択肢としてモノクロは600dpiと1200dpi、カラーは350dpiと600dpiが挙げられ、基本表現色はカラー・グレー・モノクロから選ぶ形になっている。裁ち落とし幅は5mmまたは3mmから選択する。作品の用途にはイラスト・Webtoon・コミック・同人誌入稿・アニメーションなどが並ぶ。
商業の投稿・持ち込みも、おおむねこの体系に乗っている。前掲の公式解説は、B4の内枠180mm × 270mmという寸法がほとんどの出版社の規定に対応し、雑誌掲載用の解像度は600dpi以上が推奨されると述べている。ただし提出ファイルの形式(PSD・TIFF・PDFのどれを受け付けるか)や容量の上限は賞ごとに異なる。**出す先が決まっているなら、その賞の応募要項を必ず自分で開いて確認すること。**当サイトの別記事「漫画を1本描き切るまで」に、集英社と講談社の新人賞の規定を出典付きで挙げてある。
同人誌の印刷所に入稿する場合は、数値の体系が少し変わる。同人誌印刷のコミグラのデータ作成手順では、カラー印刷は300〜400dpi、モノクロ印刷のグレースケールは600dpi、モノクロ2階調は1200dpi、塗り足し(裁ち落とし)の基本は3mm、カラーモードはCMYKが標準とされている。
つまり、用途によって正解の数値が違う。雑誌投稿ならB4・600dpi・モノクロ2値、同人誌入稿なら印刷所の指定に従う、Web公開だけならピクセル指定で構わない。出す先を決めてから、その先の規定を見てキャンバスを作る。これが唯一の安全な順序である。
書き出しと入稿の形式
デジタル原稿は、書き出しの設定を間違えると全ページやり直しになる。公式解説では、持ち込み用のモノクロ原稿を書き出す際、表現色を「モノクロ2階調(トーン化)」に、出力倍率を100.00%に設定するよう案内されている。書き出せる形式としてはjpg・png・tiff・psd・pdfが挙げられている。
実務上の注意を3つ挙げる。第一に、出力倍率を100%以外にしない。縮小した原稿は印刷で網点が潰れる。第二に、グレーで描いたトーンをそのままモノクロ2値で書き出すと、意図しない模様(モアレ)が出ることがある。トーンはトーンとして扱う。第三に、上で見た枠の役割どおりに要素を配置できているかを、書き出す前に一度確認する。**消えるのは仕上がり線の外側であり、内枠の外ではない。**台詞は安全枠である内枠に収め、タチキリの絵は裁ち落とし線まで伸ばす。
ページ番号(ノンブル)の扱いは提出先で変わるので、まとめて書いておく。制作ソフト側のノンブル設定について、公式解説は「印刷所へ直接製本を指定する際に利用する設定で、持ち込み原稿には不要なのでオフにします」としている。つまり出版社への持ち込み・投稿では基本的に不要である。同人誌の入稿では逆に、乱丁・落丁を防ぐために印刷所がノンブルを求めることが多く、位置も指定される。**位置の指定は印刷所ごとに違うので、入稿先の案内を必ず読むこと。**内枠に入れるのか、仕上がり線の内側ならよいのか、綴じ側に隠すのかは、ここで勝手に決めてよい事柄ではない。
そして、入稿の前に必ずテストを1ページ分だけ行う。書き出したファイルを開き直して、線が飛んでいないか、トーンが潰れていないか、白紙になっていないかを目で見る。この5分を惜しんで全ページを出し直した例は多い。
つまずきどころ
ソフトが多すぎて選べない。 選ぶことをやめて、いま持っている端末で動く無料のものを1つ入れる。合わなければ後で乗り換えればよい。ネームまでは、どのソフトでも同じように描ける。
線が思うように引けない。 手ぶれ補正の設定を上げる。それでも駄目なら、キャンバスを回転させて、自分が引きやすい向きで引く。デジタルでは紙を回すのと同じことができる。
ファイルが重くて動かない。 解像度を必要以上に高くしていることが多い。Web公開だけならモノクロ600dpiは過剰で、投稿サイトの推奨ピクセル数に合わせれば足りる。
途中で用途が変わった。 起こりうることなので、原本は必ずレイヤーを保った形式(ソフト独自形式やpsd)で残す。統合済みのファイルしか残っていないと、あとから作り直しになる。