絵を描きはじめる人の最初の一枚:何から描き、どう続けるか
絵を描きはじめる人が最初につまずくのは、技術ではなく「何を描けばいいか分からない」という一点である。この記事は、最初の一枚を完成させるまでの道筋を扱う。人体・色・構図・仕上げについてはそれぞれ別の記事があるので、ここではその手前にある問題——何から手を付け、どう続けるか——だけを書く。
最初の一枚は「完成させられる題材」から選ぶ
最初に描くものを選ぶとき、多くの人は「描きたいもの」を選ぼうとする。全身の立ち絵、背景つきのイラスト、複数人が絡む場面。これは高い確率で失敗する。理由は単純で、描きたいものと、いま描けるものの距離が離れすぎているからである。距離が離れていると、途中で自分の絵の下手さが目に入り、そこで手が止まる。
最初の一枚は、完成までの工程が数えられる題材から選ぶのがよい。具体的には、身の回りにある単体の物——マグカップ、鍵、丸めた紙、自分の手——のような、輪郭が閉じていて、光の当たり方が一目で分かるものである。人物を描きたいなら、全身ではなく「顔だけ」「バストアップ」に絞る。この絞り込みは妥協ではなく、完成という経験を一度手に入れるための手続きだと考えたほうがいい。
完成した絵が一枚あることと、未完成の絵が十枚あることは、次に描くときの心理がまったく違う。完成の経験は「自分は絵を完成させられる」という前提を作る。この前提が無いまま枚数だけ重ねると、描きかけを放置する癖のほうが先に身についてしまう。
道具は無料で揃う
デジタルで描く場合、道具は無料で揃う。有料ソフトを買うのは、続くと分かってからでよい。
PC で描くなら Krita が候補になる。公式サイトはこれを「プロフェッショナルな機能を持つ、自由かつ無料でオープンソースのペイントプログラム」と説明しており、GNU GPL ライセンス下のプロジェクトとして公開されている。MediBang Paint はデスクトップ版が Windows・Mac 向けに無料で提供され、クラウド保存や漫画向けのコマ割り機能を持つ。
タブレットやスマートフォンで描くなら ibisPaint がある。公式の使い方講座は「デジタル絵が初めてという人を対象」としており、プレミアム会員や広告除去アップグレードといった有料オプションが別に用意されている構成になっている。つまり基本機能は無料で触れる。
紙と鉛筆から始めるのも間違いではない。pixiv のヘルプは「デッサンや油絵などのアナログ作品を撮影した写真(実写)であれば投稿できます」と明記している(ハンドメイドグッズや人物などの実写を主体とした写真は投稿禁止)。紙で描いたものを撮って投稿する経路は公式に用意されている。
ペンタブレットは、あれば楽になるが、無ければ描けないものではない。マウスでも指でも線は引ける。道具の不足を、描かない理由にしないことのほうが重要である。
模写と観察は別の練習である
「模写をするといい」とよく言われるが、模写という言葉は二つの違う練習を指してしまっている。この二つを混ぜると、時間の割に何も身につかない。
ひとつは形を写す練習である。好きな絵を横に置き、線の位置と長さをそのまま写す。ここで鍛えられるのは「見えている形と、自分が引いた線のズレに気づく能力」である。写している最中に「ここが違う」と自分で気づけるかどうかが全てで、気づけないなら、元の絵と自分の絵を重ねる・左右反転して見るといった確認の手順を挟む必要がある。
もうひとつは構造を読む練習である。こちらは写すことが目的ではない。なぜこの線がここに引かれているのか、この影は何を表しているのか、を言葉にしながら描く。同じ絵を模写しても、この問いを持って描いた三十分と、線をなぞっただけの三十分では、残るものが違う。
そして観察は、模写とは別物である。実物——自分の手、机の上の物、鏡に映った自分——を見て描く。実物には「誰かがすでに解いた答え」が無いので、形を自分で読み取るしかない。ここからは整理になるが、初心者のうちは模写7・観察3くらいの比率から始め、模写で線を引く感覚が付いてきたら観察の比率を上げていくのが実際的だと考える。模写だけを続けると、元絵の無い状態で何も出てこなくなる。
模写を公開するときの線引き
他人の絵を模写したものを公開することには注意が要る。著作権情報センターの解説によれば、私的使用のための複製が認められるのは「自分自身や家族、ごく親しい少人数の友人など限られた範囲内で使用することを目的とする場合」である。手元で練習として描く分は、通常この範囲に入る。
問題になるのは、そこから先である。同センターは著作者の権利として、複製権を「著作物を印刷、写真、複写、録音、録画などの方法によって有形的に再製する権利」、翻案権を「自己の著作物を翻訳、編曲、変形、翻案等する権利(二次的著作物を創作する権利)」、公衆送信権を「著作物を自動公衆送信したり、放送したり、有線放送したり、また、それらの公衆送信された著作物を受信装置を用いて公に伝達する権利」と説明している。模写を投稿サイトに上げる行為は、このうち公衆送信にあたる。つまり、練習として描くところまでと、それをネット上に置くところは、働く権利が違う。
ここで最も多い誤解が、「模写だと書いておけば大丈夫」という理解である。これは成り立たない。出所や事情を書き添えることは、権利者の許諾の代わりにはならず、明示したかどうかで侵害の成否は変わらない。著作権法にある「引用」として扱う道も、模写を一枚絵として単独で投稿する形では、引用の要件(自分の表現が主で引用部分が従であること、引用する必然性があること、両者が明瞭に区別されていること)を通常は満たさない。
したがって実際の選択肢は、①公開しない(練習として手元に置く)、②権利者から許諾を得る、③二次創作のガイドラインが公表されている作品であれば、その範囲を確認したうえでそれに従う、のいずれかになる。自分で撮った写真や、自分で作った3Dモデルを資料にして描いたものであれば、この問題はそもそも起きない。
「上達しない」と感じる時期の正体
描き始めて数週間から数か月で、ほぼ全員が「上達していない」と感じる時期に入る。これは実際に上達していないのではなく、目が先に育っていることによる。
絵を描くと、絵の見方が変わる。それまで気にならなかった顔のパーツの位置、線の汚さ、影の不自然さが見えるようになる。つまり自分の絵の欠点を検出する能力が上がる。一方で、手はそれより遅れて動くようになる。結果として、上達すればするほど自分の絵が下手に見えるという状態が起きる。これは正常な過程であり、むしろ目が育っている証拠である。
この時期に効くのは、記録である。描いた絵に日付を付けて残しておく。三か月前の絵を見返すと、当時は気づかなかった欠点が見える。その「見えるようになった」ことが上達の証拠になる。今日の絵と昨日の絵を比べても差は見えないが、三か月離すと見える。
もうひとつ、この時期は評価の得られなさとも重なる。投稿しても反応が無い、あるいはそもそも投稿していない。技術の停滞感と評価の空白が同時に来るので、やめる人が多い。ここからは整理だが、この時期の対処として現実的なのは、評価とは別の指標を持つことである。「今月は10枚描いた」「手を5回描いた」のような、自分で数えられる指標に切り替える。
続けるための仕組みをつくる
「毎日描こう」は、続けるための助言としてはほとんど機能しない。続かない理由が意志の弱さではなく、開始のコストの高さにあることが多いからである。
開始のコストを下げる方法はいくつかある。ソフトを起動したままにしておく、あるいは紙とペンを机の上に出しっぱなしにしておく。これだけで「描き始めるまでの手数」が減る。次に、一回の分量を極端に小さくする。「線を10本引く」「丸を20個描く」のような、数分で終わる単位を設定する。実際に描き始めると、そのまま続けてしまうことが多い。始めることと、続けることは別の問題であり、詰まっているのはたいてい前者である。
もうひとつは、描く対象をあらかじめ決めておくこと。「今日は何を描こう」と考える時間が、そのまま描かない時間になる。前日の終わりに次の題材を一行メモしておく。あるいは、一週間分の題材をまとめて決めておく。お題を配布している企画やタグに乗るのも、この「決める手間」を外部に預ける方法として有効である。
期限を作るのも効く。投稿サイトの月例企画、季節の行事、友人との約束。締切があると完成率は上がる。ただし、締切を守れなかったときに自分を責める仕組みにすると逆効果になるので、守れなくても次があるものを選ぶ。
最初の一枚を完成させる手順
具体的な進め方をひとつ示す。これが唯一の正解ではないが、迷ったときの叩き台にはなる。
- 題材を決める(5分)。単体の物、または顔だけ。描きたい理由が一行で言えるものにする。
- 参考を集める(10分)。写真でも実物でもよい。角度が違うものを2〜3点。「見ないで描く」は、この段階では不要な縛りである。
- 大きさと位置を決める(10分)。紙・キャンバスのどこに、どのくらいの大きさで置くか。ここを飛ばすと、描いている途中で画面からはみ出す。
- 形を取る(30分〜)。細部から入らず、全体の輪郭・比率から。
- 線を整える(30分〜)。デジタルなら別レイヤーに。
- 色を置く(30分〜)。まず全体に色を置き、それから影を足す。
- 完成と決める(5分)。ここが一番難しい。時間を決めて、そこで手を止める。
7番目を軽く見ないほうがいい。完成させられない人の多くは、技術が足りないのではなく、どこで止めるかを決めていない。あらかじめ「今日の18時で終わり」と決めておけば、その時点のものが完成品になる。粗があってもよい。粗があることと、未完成であることは違う。
つまずいたときの抜け方
最後に、実際に止まりやすい場所とその抜け方を挙げておく。
線が汚くて進めない——線は最後に整えられる。形が合っているかだけを見て先に進む。デジタルなら手ぶれ補正の設定を上げる。
顔が上手く描けない——正面顔は左右の対称性が崩れると目立つ。左右反転表示で確認する癖をつける。斜め顔のほうが破綻に気づかれにくいので、最初は斜めから入るという手もある。
途中で飽きる——一枚にかける時間が長すぎる可能性が高い。完成までを2時間以内に収める設計にする。細かく描き込むのは、完成の経験を何度かしてからでよい。
他人の絵と比べて描けなくなる——比較対象を「一年前の自分」に固定する。他人の絵を見る時間と、自分が描く時間を、同じ日に混ぜない、という運用も効く。
何を描いても同じ絵になる——観察の比率が足りていない。実物を見て描く回数を増やす。
最初の一枚は、上手い必要が無い。完成していればよい。その一枚が、次の一枚を描くための土台になる。